第六章ー1
誕生会へ向けて、それなりに行うことがあった。
まず、西条さん一家への情報提供だ。
西条さんのご家族は、ふれあい西家へ西条さんを預けてから、ほとんど西条さんと会っていない。骨折した際、何度かお見舞いに訪れたらしいが、その後は、退院時に付き添っただけだ。
西条さんは自宅へ戻り、一泊することになっている。
現在、どのような症状が出ていて、普段、どんな話をしているのか、どんなことに注意した方が良いのか。
彩花には随時、情報を送っているが、それは特例だ。
西条さんの主介護者である娘さん夫婦へ、きちんと情報共有しておく必要があった。
「ヒロ、荷物まとめておいたぞ」
松岡主任がボストンバッグを持って居室から出て来る。
「ありがとうございます」
俺はそれを受けとると、もう一度、忘れ物がないか確認する。
この春から利用を開始した西条さんは、冬服を持参していた。
誕生会とは直接関係ないが、この機会に、一度、衣類などを持って帰ってもらい、夏服と総入れ替えしてもらう予定になっていた。
「あと、今日のうちにしておくことあるか?」
「いえ、とりあえず終わりです」
手を動かしながら答える。
「了解。あとはウォーカーか?」
「ですね。そろそろ来るはずですが……」
ちらっと時計を見ると、十四時を回っていた。
西条さんが家へ帰るのは明日。
今日はウォーカーの点検を行う予定になっていた。
予定では十四時のはずだったが、業者さんはまだ来ない。
西条さんが現在使用しているウォーカーは、ふれあい西家を利用するにあたり、事業所側で業者とやり取りを行い、レンタルしたものだ。
ふれあい西家を利用する前、自宅では室内用の杖を使っていたとご家族から聞いている。
以前までなら杖でも問題なかったのだろうが、骨折後、ふらつくことが多くなっている。今回、ご家族ともその点について検討した結果、ウォーカーを自宅へ持ち帰り、自宅でもウォーカーを使用していただくことになった。
今回、ウォーカーを使用し始めてから初めての帰宅ということもあり、業者に依頼し、本人立ち合いのもと、点検をお願いしていた。
「あの~、すみません」
「はい、どうされましたか?」
噂をすれば。西条さんがウォーカーを押して、俺と主任のもとへやってきた。
今日も、笑顔はない。
「家に帰らせてもらえないでしょうか?」
「西条さん、家へ帰るのは明日ですよ。申し訳ないのですが、今日は泊まりの予定です」
「ええ? 今日は帰れないんですか?」
「そうなんですよ。すみません」
西条さんの帰宅願望は、誕生会をやると決めてからも収まることはなかった。
毎日毎日、よくもまあと思うほど、職員をつかまえて「帰れませんか?」、「今日は家で○○が~」と数分置きに聞いてくる。
本人も疲れるらしく、夕食を食べる頃になると諦め、席でゆったり過ごされるのだが、玄関へ行き、頑として動こうとしなくなることも多々ある。
とはいえ、一つだけ、進展があった。
「――先生からも、ここで泊まった方が良いと言われているので、よろしくお願いします」
先生、というのは医者のことだ。
「あら、そうなんですか?」
「そうなんです。先生も、この前転んでしまったことを心配されていまして、なるべく、ここにいた方が良いと言われてましたよ」
「そうですか……それは、お手数おかけしますね」
「いえいえ。私たちのことは気になさらず、ゆっくりしていてください」
「分かりました」
ウォーカーを押し、西条さんは席に戻っていく。
この一週間、様々な声かけを試してみたところ、『先生に言われているので』と話すと、納得するのが早いことが分かった。
ご家族へ情報提供を行う際、このことも話したのだが、ご家族曰く、西条さんは数十年単位で同じ医者にずっとかかっているらしく、お世話になっているその先生の言うことだけは、昔からよく聞いていたようなのだ。
もちろん、数分後にはすぐに忘れてまた話しかけてくるし、玄関に居座り、意固地になっている時は効果がないのだが、それでも、決まり文句ができたことで職員の負担は少し軽減されていた。禅問答のようなやり取りを繰り返す必要がなくなったため、精神的に楽になった。
「あとは、家に帰って、落ち着いてくれれば御の字だけどな」
「そうですね。明日、帰ってみて、どうなるか……」
松岡主任と二人、祈る。
誕生会がメインイベントではあるが、俺含め、誕生会に参加しない介護職員にとっては『家から帰ってきたあとのこと』も気にかかる。
帰宅してみて、どうなるか。
帰宅願望が少しでも収まってくれれば御の字だが、悪化するパターンも大いにあり得る。
「すみませーん!」
玄関から声が聞こえた。
「お、ウォーカー点検かな?」
「たぶんそうだと思います。俺が行きます」
玄関へ走る。
ダブル誕生会。
俺たちにとっても、彩花にとっても、西条さんにとっても、今後を左右する大きな大きなイベントになりそうだった。




