第五章ー10
「北条さん?」
「あ、いえ、すみません。失礼します」
北条さんは慌てた様子で謝り、そのまま切ろうとする。
「あのっ!」
反射的に、口が動いていた。
電話口とはいえ、部外者が相手の場でため息をつくなんて、北条さんらしくないと、おこがましくも、心配になったのかもしれなかった。
「はい? なんでしょうか?」
「ええと……」
ただ、勢いで止めてしまったのは事実で。
必死に言葉を探すが、上手い言葉が見つからず。
結局、出てきた言葉は――
「あの、そちらは大丈夫ですか?」
なんとも曖昧で、下手くそなものだった。
「ええ、大丈夫ですよ」
気にした様子もなく、即答される。
「私だけでなく、悠さんもいますし、なんとかやっています。ご心配おかけして申し訳ないです」
北条さんは、そこまで言って、そうだ、と付け足す。
「先日、彩花に配慮したメールを番組宛てに送って頂いて、ありがとうございました。とても助かりました」
「いえ! あの程度で良ければ、いくらでも……。きっと困るだろうなと思いましたので」
答えつつ、自分で書いた『百坂・東都のグレーゾーン』のコーナー宛てのメールを思い出す。
彩花の声が作れなくなってから、番組の人気コーナーであるはずの『真っ二つに切り刻め!』が一度として放送に乗っていないことは確認していた。
彩花のファンとして、できることはやりたかった。
なるべく不自然にならないよう、メールの文面にも気を付け、少しでも手助けになれば、と送ったものだった。
まだあのメールが読まれた放送回は聞いていないが、北条さんの言葉から、役に立ったのだと分かる。
素直に嬉しかった。
――でも、そっか。あのメール、採用されたのか。
彩花を助けることができて、嬉しい気持ちもあるが、できることなら、採用されずに済んで欲しかった。
――ん? そう言えば。
ふと、疑問が浮かぶ。
聞いて良いのか分からなかったが、この際だ。
思い切って尋ねてみる。
「そう言えば、北条さん。声が作れなくなったのは、今回が二回目なんですよね?」
「ええ、そうですが?」
「前回は、どうやって取り戻したんですか?」
今まで、疑問に思わなかったことが自分でも不思議なくらいだった。
前回、彩花は二週間で復活を果たしている。
今回と違い、仕事を休み、療養に専念していたこともあるだろうが、精神的なものであることに変わりはない。ただ体を休めているだけで回復するとも思えない。
北条さんは、俺の疑問にためらいなく答えた。
「悠さんが、彩花を殴り飛ばしたんですよ」
「殴っ!?」
びっくりして大きな声が出てしまう。
北条さんは、それが面白かったのか、クスリと笑いながら話を続ける。
「本当に、文字通り、殴ったんですよ。……桜川さんも知っての通り、悠さんは物怖じせず、なんでもはっきりと言葉にするタイプの方ですからね」
応接室での出来事を思い出す。
初対面にも関わらず、「信用していない」と面と向かってはっきり言われた時の衝撃は今でも覚えている。
「彩花の名誉のためにも、詳しくは話せませんが、昨年、彩花が休養した時、それはもう、今なんかよりずっと深刻な事態になりまして」
「今より深刻って……」
無意識に、ごくりと唾を飲む。
北条さんに見せてもらったあの動画。
あれを超える状態だったのだろうか。
一体、どれほどダメージを受けたのか。
想像することもできない。
「そんな中、周囲の誰もが、彩花のことを心配したのに対して、悠さんだけは違ったんですよ。同時期にデビューして、同じ演者として、ずっと一緒に番組をやってきた仲ですからね。私なんかより、悠さんの方が、彩花のことをよく理解していたんです。彩花の声優に対する気持ちを、誰よりも、悠さんが一番信じていたんですよ。……彩花が心に秘めている、西条ヨシさんとの大切な絆や思い出、その全てを分かった上で、『彩花がそんな簡単に潰れるとは思わなかった』、『ふざけんな。何人のファンが待ってると思ってるんだ』、『甘えるのもいい加減にしろ』って、本当に殴り飛ばしたんですよ」
「……それで、どうなったんですか?」
「彩花も、殴り返しました」
「は?」
え、あの彩花が?
「私もその現場にいたのですが、大変でしたよ。声優二人が、全力の罵声を浴びせながら、取っ組み合いのケンカですからね。前代未聞ですよ。……でも、そのおかげで、彩花は目が覚めたと言いますか、なんとか立ち直りまして。今に至ります」
北条さんは、どこか楽しそうだった。
過ぎてしまえばなんとやら、なのだろう。
彩花と悠の絆。
一人のファンとして、いろいろあったのだろうと察してはいたし、理解していたつもりだったけど。
とんだ思い違いだった。
あの二人は、声優仲間とか、友達とか、そんな枠を超えた、強い信頼関係があるのだろう。
それだけじゃない。
『今、彩花のフォロワーさんが何人いるか、桜川さんは把握していますか?』
応接室で、何故、悠があそこまで俺にキツイ言葉を浴びせたのか、ようやく納得できた。
悠にとって、彩花はただの声優仲間ではないのだ。
彩花と関わる以上、半端な気持ちでいて欲しくないと、あえて語気を強めたのだろう。
北条さんだけじゃない。
彩花の周りには、本当に多くの人が集まり、支えてくれている。
心配など無用だった。
「桜川さん。ところで、そちらはどうですか?」
だから、俺はこの問いかけにはっきりと答えられる。
「大丈夫です。自分だけでなく、市川園長も、松岡主任も、頼りになる先輩方もついています。任せてください」
彩花の周りだけじゃない。
西条ヨシさんの周囲にだって、支えてくれる人は沢山いるのだ。




