第五章ー4
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「西条さん、皆さんがいるところへ戻りませんか? そろそろおやつの時間ですよ」
六月末。梅雨もそろそろ終わりの季節だ。
俺は玄関で西条さんと二人、ぼんやり外を眺めていた。
しとしとと降る雨は俺の心境を表しているようだった。
「はい、あなたは戻ってください。わたしはここにいますので。お構いなく」
お構いなく、ではない。
西条さんは頑として動こうとせず、自動ドアの前でじっと外を見つめている。
端的に言うなら、悪化していた。
市川園長が提案した『気を逸らす』方法も、まるで意味を為さず、西条さんの帰宅願望は日に日に強くなっていた。
当初は、「帰りたいです」と職員に声をかけてくるだけで、その都度説明すれば納得されていたのだが、今では納得せず、聞く耳をもたなくなっていた。
玄関へ向かう頻度が多くなり、目が離せなかった。
「西条さん、ここは鍵がかかっていて、どちらにしろ外へ出られませんので、とりあえず向こうへ行きませんか?」
「はい、分かってます。開けてください。お願いします」
「申し訳ないのですが、ここは、お客様が来た時以外、開けることができないんです。私たちも規則があるので――」
「そうですか。では開くまで待っていますので、どうぞ、気にしないでください」
「……」
西条さんにばれないよう、細くため息を吐く。
ふれあい西家の玄関は、自動ドアではあるが、事業所内から開けるためのボタンは、下駄箱の裏に隠されている。鍵がかかっているわけではなく、ボタンの位置が隠されているため、鍵がかけられているかのように思えるだけだ。
西条さんのような、帰宅願望が強い方への対策だった。
御利用者本人の意向に沿い、気持ちに寄り添うことが第一とされる介護の理念からすると、『拘束』、又は『虐待』と捉えられなくもないのだが、ふれあい西家に限らず、こうした対応をしている施設はどこにでもある。
介護施設において、ある意味、事故や怪我以上に警戒しなければならないのが、『離設・離園行為』だ。読んで字のごとく、その施設、事業所からいなくなってしまうことを指す。職員の目を盗み、玄関や窓から外へ出てしまうのだ。
認知症を持つ人に発症する『見当識障害』。
これが、『離設・離園行為』で悪さをする。
ニュースなどでたまに見る、認知症を持っている人が行方不明になった、という事件はほとんどの場合、これが原因だ。
家に戻り、火事を起こしてしまう危険などとは別に、そもそも、本人が「家に帰る」と言っても、家に帰れないのだ。見当識障害で方向感覚が狂ってしまっているため、外へ出たとしても、全く逆方向へ突き進んでいったり、自分の家ではない場所を「ここはわたしの家です」と言い張ったりと、『家へ帰るコト』それ自体が、不可能なのだ。




