第一章ー3
「お疲れ。ヒロ、休憩入ってきていいぞ」
約二十分後、一時間のお昼休憩から松岡主任が戻って来る。
「分かりました。西条さんは今、トイレに入ってます。他の方の口腔――歯磨き――は手洗い場にコップが残ってる人がまだ終わっていません」
「はいよ。薬は?」
「そっちは終わってます」
「分かった」
軽く申し送りを行い、俺は訪問業務から帰ってきた他の職員にも「休憩入ってきます」と一声かけ、休憩室へ向かう。
「疲れた……」
ふれあい西家の職員用休憩室は御利用者が生活する一階ではなく、二階にある。全面畳場になっており、そのまま横になって眠ることもできるくつろぎスペースだ。
「お疲れ様です……て、珍しいな。誰もいないのか」
ノックをして休憩室に入るが、他の職員の姿はなかった。
四月とはいえ、まだまだ肌寒い日が続いている。さすがにこたつは片付けられたが、暖房は自由に使って良いことになっている。
「ねむ」
欠伸をしながら暖房のスイッチを入れる。
早番業務はその名の通り、とにかく朝が早い。眠気を噛み殺しながら出勤することがほとんどだ。
長座布団を敷き、その上に寝転がる。
直後、猛烈な睡魔に襲われ、俺は夢の中へ旅立った。
◆
午後。
「ヒロ、顔が死んでるぞ」
「すみません」
「体調悪いんじゃないよな?」
「大丈夫です」
松岡主任に半笑いで返事をする。
大失敗だった。休憩時間を全て仮眠に費やしてしまったため、昼食を食べる時間がなくなってしまった。小さくため息をつき、職員用のコーヒーを一口。幸い、早番業務は午後四時までだ。それまで、コーヒーでもたせるしかなかった。
退勤時間まで、もう一息だ。
『ピンポーン』
と、気合いを入れ直したところで事業所内に呼び鈴が響いた。
「西条さんの家族かな?」
「いいよ。俺行くわ」
玄関に向かおうとしたが、松岡主任に制される。
「ホール見ててくれな」
「分かりました」
頷き、その場に留まる。
来所者への対応も介護職員の業務内だ。
もっと大きな施設、例えば、特養と呼ばれる、何十床もある施設であれば事務員がいるものだが、小規模事業所であるふれあい西家には事務員がいない。来所者の対応や、書類管理なども、管理者である園長と職員が請け負っているのだ。
「こんにちは!」
玄関へ向かった主任の大きな声がホールまで届く。
ふれあい西家は、フロア中央から、長細い廊下を通った先に玄関があり、フロアから玄関が見える構造になっている。
誰が来たのか、一応確認しておこうと、視線を玄関へ向ける。
「こんにちは、お世話になっております、西条ヨシの孫です」
視線を向けると同時、思った以上の声量が玄関から返ってきた。
人懐っこい、という表現が正しいか。耳によく馴染む、心地の良い声だった。張っている感じではないのに、松岡主任の野太い声よりも響いてきた。
「お待ちしておりました。どうぞ上がってください」
「ありがとうございます」
事業所へ入ってきたのは、鼻の上までぴっちりとマスクをした女性だった。顔の全体像が見えず、年齢は判然としないが、マスクの上からでも相当な美人さんだということは分かった。
小顔で小柄、マスク上のキツネ目が特徴的だった。純白のワンピースがよく似合っている。セミロングの髪の毛をふんわりとロールさせており、可愛らしい雰囲気を大人っぽく変えていた。
それ以上のことは分からなかったが、それでも溢れ出るオーラが半端ではなかった。
だが、その美人さんよりも驚いたのは――
「うおっ」
思わず声をあげてしまう程のサイズ感だった。
二メートル近い巨体が事業所へ入ってきた。百八十センチを超える松岡主任よりも、さらに体格が良い。身長だけでなく、体つきもがっしりとしている。
「お仕事中すみません。失礼します」
巨体に反して、聞こえてきたのは爽やかな声。
スーツをビシッと着こなし、低姿勢で入ってきたその姿から感じられる印象は、仕事のできる営業マン。爽やかで、優し気な印象を抱かせた。