第四章ー2
病院からの書類にもそういった情報は記されていなかった。
おそらく、ここにきて初めて出たものだろう。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
ほんの数分後。
ウォーカーを押して、俺のもとへやってきた西条さんは、またしても、「今日は家に帰してもらえないのでしょうか?」と口にする。
「西条さん、今日はここで泊まりになります」
「ええ? 初めて聞きました。どうしてですか?」
「ご家族の方から、今日はどうしても忙しいとのことで、お願いがありましたので」
「……そうですか」
西条さんは顔をしかめ、肩を落として席へ戻る。
もともと、西条さんの認知症進行度は軽い方ではなかった。
ふれあい西家を利用し始めた経緯は、自宅でのボヤ騒ぎが原因なのだ。
ある日、家族が買い物から戻ると、西条さんはヤカンに火をかけていた。それだけであれば問題はないのだが、そのヤカンの持ち手部分に、乾いたタオルが一枚置かれていたのだ。
家族がすぐに気付いたから良かったものの、危うく、大火事になる寸前だったらしい。
しかも、本人に話を聞いたが、どうしてそうなったのかはっきりしなかった。
状況的にはおそらく、
一、お湯を沸かすためにヤカンを火にかけた。
二、お湯が沸いたため、ヤカンを持とうとタオルを使用し、取っ手部分にタオルを置いた。
三、その直後に、別に気になることができ、タオルを置いたまま、その場を離れてしまった。
ではないか、とのことだ。
ご家族も仕事があり、目を離した隙に火事を起こされたら困ると、ふれあい西家の利用を決めたそうなのだ。
ちなみに、『繰り返し同じことを言う』、『少し前にあったことを忘れてしまう』などの、認知症の代表的な症状は一年以上前から出ていたそうで、今に始まったことではない。
「あの~」
もう何度目か。
西条さんがやって来る。
「今日は家へ帰れないのでしょうか?」
同じ説明を繰り返しても、埒が明かない。
少し、聞き方を変えてみる。
「西条さん、なんで家に帰りたいんですか? なにか家に帰ってしなくてはならないことがあるのですか?」
「はい。そうなんです。洗濯物を外に出してきた気がするので」
うんうん、と俺は頷いてみせる。
だがあいにく、今日は朝からずっと雨が降っている。
洗濯物を外に出せるような天気ではない。
そんなことは口に出さないが。
「西条さん、大丈夫ですよ。きっとご家族が取り込んでくれていますよ」
「そうでしょうか……? でも、ご飯も作らなきゃだし……」
俺はやはり、うんうんと頷く。
その『ご飯を作る』という行為が危ないからふれあい西家へ来ているわけなのだが、もちろんそんなことは言わない。
「西条さん、今日は娘さんが作ってくださるという話をしていましたよ。たまには任せて、ゆっくりしましょう」
「はあ、そうですか……。掃除もしなきゃいけないんですが」
俺はなるほど、と頷く。
「西条さんは綺麗好きなんですね。私は三日に一度くらいしか掃除機をかけませんよ」
「そうですか? やっぱりゴミが気になるからね」
「そうですよね、目についてしまうと気になりますよね」
「はい……」
会話が止まる。
西条さんはぱちぱちと瞬きをして。
「あの、今日は家に帰れないのでしょうか?」
「西条さん、今日は――」
答えつつ、どうしようかと首を捻る。




