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第三章ー11

      ◆◇◆



 彩花、北条さん、悠との会合から二日後。

 西条ヨシさんがふれあい西家へ帰ってきた。

 北条さんは約束通り、市川園長、松岡主任にも許可を取り、引き続き、俺が彩花との連絡役になるよう取り計らってくれた。

 俺はこの日、朝十時から出勤の遅番業務で、西条さんの方が先にふれあい西家へ到着していた。

 俺は出勤後、西条さんに声をかける前に、まず、西条さんの状態が書かれた、病院から提出されている書類を確認する。

 お見舞いに行った彩花や北条さんからある程度聞いているが、病院からの書類も確認しておきたかった。

「歩行は多少落ちてるよな……」

 歩行状態に関しては、以前よりもふらつくことが多くなったようだった。覚悟はしていたが、実際に目にすると心にくるものがある。

 気になったのは、認知症の項目。

 彩花や北条さんの話を聞く限り、認知症が進んでいることは間違いないはずだったが、病院からの情報では、変化なし。

 おそらく病院にいる期間だけで見れば、特別変わった点はなかったのだろう。

 病院を責めることはできない。

 認知症に関しては、長く接していないと分からない点が多く、多くの場合、『以前と比べて○○が~』と判断し、進んだか否かを判断する。

 誰が見ても分かるほどの大きな変化が見られなければ、変わりなしと判断されても仕方ないのだ。

 一通りの情報を見終えて。

 俺は玄関から見て、フロア右手側にある、十人ほどが囲んで座れる、大テーブルへと向かう。

 西条さんは、玄関へ通じる廊下に一番近い、端の席に腰を下ろしていた。

「西条さん、お久しぶりです。こんにちは」

「こんにちは」

 すぐに返答してくださるが、その顔には「あんた誰?」と書いてあった。

 孫である彩花のことを忘れかけているのだ。ほんの少ししか付き合いのない介護職員の顔など、覚えていないだろう。

 俺は明るく「私のこと、覚えてますか?」とお聞きする。

「いやー……」

 西条さんは暫くの間、じーっと俺の顔を見つめて、眉を寄せるが、首を傾げるばかり。

「桜川智広と申します」

 改めて名乗ってみるが、西条さんは名前を聞いてもピンとこないようで、難しい顔のままだった。

 ここまでは、予想通りの反応だ。

 気にせず、いろいろと話題を振ってみる。

 足の調子は大丈夫なのか、病院のご飯は美味しかったか、今日どうやってここまで来たのか、などなど。

 西条さんは振られる話題に一つ一つ、きちんと答えてくださり、確かに、入院前とそれほど変わった様子はないように感じる。

 ちなみに、御本人にとっても骨折したことは大事件だったようで、足の調子についての話題になると「病院でリハビリしてきたんですよ」「手術してきました」と、饒舌に、はっきり答えてくださった。

 俺は十分ほど会話をして、一度、その場から離れる。

「主任、ちょっといいですか」

 昼食の下準備をしていた松岡主任のもとへ行く。

「どうした? 西条さんのことか?」

「はい。確認なんですけど、朝、西条さんが来られてから、ずっとあんな感じですか?」

 主任はちらりとフロアへ視線を向ける。

「そうだな。来てからずっと、あそこの席に座ってぼんやりしてる感じだな」

「他の御利用者と話したり、職員と話したりしましたか?」

「どうかな。俺もずっと張り付いてるわけじゃないからな。一応、職員は全員、声をかけてるはずだが……どうかしたか?」

 怪訝そうに尋ねてくる主任に、首を捻ってみせる。

 どうかした、わけではない。

 取り立てて「ここが変わった!」という雰囲気はない。ただ――。

「前は、初対面でもにこにこしてくださっていたのに、今回は真顔というか、表情があまり動かないな、と思って……」

「あー、確かに。それはそうかもな。俺が話しかけた時も、あなた誰ですか? って顔だったな」

「やっぱりですか」

 変化、と言うにはあまりに小さな変化だ。

 気にしすぎかもしれない。

 実際、西条さんからしてみれば、俺たち介護職員のことを覚えていないのだから、「あなた誰ですか?」という反応で間違いはない。

 間違いはないのだが、

「……」

 俺はテーブル席に座り、ぼんやりしている西条さんを見つめ、かすかな不安を覚える。

 介護において、目に見えて大きな変化がある場合は、意外と大事にならないことが多い。変化があれば、対応できるからだ。

 逆に、『言われてようやく気付く程度』の変化の場合、なにかが起こってから、そう言えば○○な様子があった、と気付くパターンが非常に多い。

 大事になるのは、そういう場合がほとんどだ。

 小さな積み重ね、小さな変化を見逃してしまうと、大きな事故に繋がってしまう。

 どんな些細な変化も見逃すまいと、改めて気を引き締める。

 彩花が苦しみながらも前へ進もうと努力している今、足を引っ張るようなことをするわけにはいかなかった。

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