第二章ー8
◆
自責の念に苛まれながら送ったメールに対して、北条さんからは、「分かりました。彩花に伝えておきます」との返信が届いた。
緊急の用件であったため、事前に伝えられていた電話番号へ一度電話をしたのだが、仕事中だったのか、留守電に繋がってしまった。
俺はとりあえず、メールにて状況説明と、謝罪文を送ったのだが、予想以上に淡泊な返信がきた。
余計に、不安を感じさせる。
「……やばい」
退勤後、自宅のベッドへ腰かけ、かれこれ三十分。
着替える元気もなかった。
今回の事故原因は、間違いなく俺だ。
西条さんがウォーカーを押してトイレへ入るところまで、見届けるべきだったのだ。
西条さんに限らず、ウォーカーを使用している御利用者は、トイレという不衛生な場所へ、ウォーカーを押して入ることに遠慮があるようなのだ。過去、そういった事例は何度も見てきた。
不衛生な場所へ入ったものを、またフロアで使わなければならないのだ。御利用者でなくても、「ウォーカーをトイレの中まで押して入っていいのか?」と気になるだろう。
実際は、毎日、便器も手すりも床も、ドアの取っ手にいたるまで全て消毒しており、全く問題ないのだが、御利用者はそんなことを知るはずもない。
そういった事例があることを知っていながら、利用し始めたばかりの西条さんに着いて行かなかった俺の責任は大きい。
松岡主任は、「西条さんはウォーカー使っていたけど、足腰の弱さは年相応だったからな。過去に転倒したって話もない。職員全員がそこまで警戒してなかったし、仕方ない」と庇ってくれたが、仕方ないではすまない。
主介護者の娘夫婦も、転倒した状況から、「誰が悪いというわけではないので、大丈夫です」と許してくださったが、なにが大丈夫なものか。
西条さんは病院へ救急搬送され、転倒による右大腿骨頚部骨折と診断された。
すぐに手術となるらしい。
一ヶ月ほどは入院生活とのことだ。
「ヤバい。ホントに、ヤバい」
もう何度目になるか。
ヤバい、という言葉が止まらない。
事業所の職員の中でも、俺しか知らない事実がある。
西条ヨシさんは、彩花にとって、ただのおばあちゃんではない。
御利用者に怪我をさせてしまった、というそれだけの案件ではないのだ。
直接確認したわけではないが、西条さんが認知症と診断され、彩花の声を認識できなくなった時、彩花はショックを受けて仕事を休んでいる。
先日、ふれあい西家へ訪れたのも、そのためだろう。激務続きのはずの彩花が、仕事の合間を縫ってわざわざ会いにきたのだ。北条さんが彩花のためにスケジュールを調整し、配慮したのだろう。
事務所も周囲も、それほど気を遣うくらい、彩花にとって祖母の存在は大きいということだ。
そして俺個人として、最も重要なのは――。
彩花は、祖母を預けた先に、自身のことをよく理解しているファンがいるからこそ、メールで状況を知りたいと希望したのだろう。見ず知らずの人間しかいないのに、そんなことをお願いするはずがない。
信頼され、託されたのだ。
介護職員としても、彩花のファンとしても、失格だと思ってしまう。
松岡主任や、娘夫婦が言うように、仕方のないことかもしれない。誰が対応しても、同じ結果だったかもしれない。
それでも、あの時、トイレまで着いて行っていれば、と思ってしまう。
「……くっそ」
申し訳なくて、悔しくて、涙が溢れそうだった。
ふと、視線をあげると、満面の笑みを浮かべてピースをしている彩花のポスターが目に映る。
今、彼女はどんな顔をしているのだろうか。
時間を巻き戻したい、とこれほど強く思ったこともない。
俺はベッド上でうなだれたまま、結局、着替えることも眠ることもできず、一晩中、頭を抱えていた。




