63 今春の野鳥病院 蓮尾嘉彪 下 新しい禽舎のなやみ
今春の野鳥観察舎 下 蓮尾嘉彪 新しい禽舎のなやみ
新しい禽舎のこととて、思いもしなかった事件も相次いだ。
まず、溺死事件。せっかく育ったひなが飛び始めると、プールに落ちて、次々に死んだ。プール二方のコンクリートが垂直になっていたためだった。3羽のひなが死んだ後、縁に板をななめに浮かせて、小鳥がどちらへ泳いで行っても床面に出てこられるようにしてからは、1羽の犠牲もなくなった。
よく飛べるようになったムクドリ数羽が2室ある隣の傷病鳥室に移動したのち、その1羽がいなくなった。天井に隙間があったので、ここから外に脱走したのだと思い、ちょうど放鳥すべき時だったから、とたかをくくっていたところ、ある日、ムクドリの悲鳴。まさにオオセグロカモメの幼鳥が1羽を丸のみにするところだった。
まだ餌を自分では拾わないスズメのひなも、この隙間から外へ脱走した。あわててこの天井の隙間のうち緊急性のある部分だけを金網で塞ぐのに延べ一日かかった。が、その後もカワラヒワが1羽、これをくぐり抜けて飛び出してしまっている。
充分育った幼鳥は、天気のよい日中に外へ持って行って放鳥する。しかし、幼鳥が初めての自然生活を送るのはそれほど容易なことではない。今年放鳥したオナガは放されてから数時間後、住み慣れた禽舎に戻ろうとして、外から金網につかまった。その時、ノラ猫が背後から飛びついた。幸いこちらが気づくのが早かったので、大声で猫を追い、外へまわって、金網にしがみついたままのオナガを収容することができた。
去年までは観察舎旧館の二階でひなを育てていたので、出て行ったひなが戻りたいときには窓から入ってくればよかった。必要に応じて餌を補ってやりながら、次第に独立させることができた。平屋の新禽舎の場合、猫に襲われずに、小鳥が出入りできる口をどの様な形で造ってやったらいいかが当面の課題である。このような、早急に改良しなければならないことがいくつかある。
さて、行徳野鳥観察舎は本来、埋め立てによって失われてしまう新浜の鳥類生息地の保存のために残された、行徳近郊緑地保全地区のための管理棟であった。当初は緑地を見回り、施設を保全維持するとともに、たまに鳥を見に来る人があれば、二階(15坪)の観察室を開けてあげて下さい‥‥という施設であった。
ところが実際に開いてみると、見学者の殺到で、わずか3年後、来館者施設を拡充せざるを得なくなった。(現在は鉄骨コンクリート3階建て606平方米、望遠鏡44台を備えた新館が建っている)
傷病鳥の受け入れも当初はまったく予定しなかったもの。野鳥の保護をやっているところだから、けがした野鳥も扱ってくれるに違いないということで、持ち込まれる方が多く、断ることもできずにひきうけているうち、年間、三百羽を数える入院数となってしまった。三百羽といってもそのうち百羽は間もなく死亡、百羽が翼の欠損や骨折のため生涯飼養で、放せる鳥は全体の3分の1にしか達しない。それもほとんどは水鳥というよりスズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、キジバトといった都会地の鳥で、野鳥の保護という学術的な意味からいえば、どれだけの意味があるのか、という思いも強い。
一方、それにつけて思い出すのは、数年前の北米のクジラ事件。氷に閉ざされた3頭のクジラの救出に費やされた労力。自然保護という見地からみれば、一笑に付すべきことなのかもしれないが、もしかするとこれが自然保護の原動力なのかもしれないな、とも思っている。
久しぶりにダイサギが、繁殖期を終えた黄色のくちばしをして、傷病鳥舎の屋根に飛んできた。このダイサギが傷病鳥舎を退院したのは何年前だっただろうか。気温が下がり、餌が十分に捕れなくなる季節になると、毎年のように魚をもらいにやってくる。
「だらしないねえ。もうえさがとれないの?‥‥」
じゃあワカサギでも少しやろうかな、とあたりを見回した時には、その姿はもう消えていた。




