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鳥の国から  作者: 蓮尾純子(はすおすみこ)
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5 はじめの10年(「よみがえれ新浜」1986年)再録 4

5 はじめの10年(「よみがえれ新浜」1986年)再録 4


 1982年2月には皇太子ご一家(現天皇陛下ご一家)がおそろいで来所。9月、待ちに待った新しい淡水池(田の字池)の造成。人力でもいいから掘りはじめたいとまで思っていた池が、大型のユンボー1台で、わずか5日ででき上がってしまった時には、喜んでいいのか、これしきのことが実現できなかったふがいなさを嘆いたらいいのか、わからないような気持でした。造成の1ヶ月後、昭和天皇陛下が来所されました。

 この年の冬、それまで大群がいてあたりまえだったスズガモに異変が起こりました。

 1975年に住み込んで以来、スズガモは狩猟期間である冬の間は日の出前のまだ暗いうちに東京湾から保護区の海面に飛来し、日中はずっと休んでいて、日没後30分ほどしてとっぷりと日が暮れてから飛び立って餌場に向かうという生活を続けていました。狩猟期間は11月15日から2月15日まで。解禁日から1、2日すると保護区の水面は黒々と群れでいっぱいになり、猟期明けの2月15日以降、雨が2、3日続いた後に姿を消す、というのが通例。日の出から日没まで、という狩猟時間帯を避け、狩猟期間を避けていることが実にはっきりしている行動パターンです。しかし、1979年に東京湾が銃猟禁止区域となりました。何かのトラブルで保護区から海面に出た群れが、海でも撃たれないということを覚えてきたのかもしれません。1982年は例年通り11月には大群が入っていたのですが、12月に入ると姿を消してしまい、以後数万羽というまとまった数はほんの数回しか見られませんでした。この年に開通した東関東自動車道(湾岸道路の高速部分)や、国鉄(JR)京葉線の工事などとも関係しているのでしょうか。

 スズガモの異変は翌冬も続きましたが、1984年度は冬じゅう安定して大群が見られました。1985年度冬は10月下旬~11月に例年以上の大群が入りましたが、雨天などには姿を消し、11月28日以降は群れが見られず、先がどうなるかまだわかりません。

 1983年、漁業組合によって塩浜沖に干潟が作られ、潮干狩場としてオープンしました。翌年は更に面積をふやしています。船橋沖のアサリに壊滅的な打撃を与えた1985年の青潮の時、保護区の魚にはほとんど影響がなかったのは、あるいはこの潮干狩場のおかげかも知れません。

 

 1983年以降、観察舎友の会の活動は次第に充実してきていますが、観察舎そのものはむしろ停滞気味で、利用者もふえず、特に見るべき活動もありません。日常作業に追われるばかりで、お恥ずかしい次第です。今、実際にやっているのはどんなことか(あまり面白くはないと思うのですが)、反省の意味を含めてざっと挙げてみます。

 観察舎そのもの(新館)の管理作業の大半は、6年勤続のベテラン、宮島さんが一手ひきうけ。掃除、洗濯、ゴミ片づけ、ガラスふきからスリッパ補修ときりがありません。毎年2万部近く配布している「観察のてびき」の製本は、ほぼ百%宮島さんの手作業です。

 私と主人は鳥に関する仕事優先。午前中は2~3時間がかりで飼育中の傷病鳥に餌をやったり、水や敷紙をかえたり。自力で食べてくれないものには強制給餌、時には重症患者にカテーテルでブドウ糖液等を与えることもあります。

 鳥を近くに呼ぶため、前の水路のえさ場には毎日魚のアラ20キロ(夏は5キロ)、給食用のパン1.5キロ、鶏の餌2キロほどときれいな水を出してやります。2つある池つき禽舎では、週2回(夏は毎日)プールの水をかえ、月に2回敷いてある干草をかえて床を洗います。主人は週2,3回、夜に魚屋さんを回って魚のアラを集め、翌日何時間かかけて一口大に切り、5~10キロずつ袋につめて冷凍します。凍ると発泡スチロールのトロ箱にとり、必要に応じて解凍し、餌場に出します。午後になって手があくと、写真や記録を整理したり、解説文や絵をかいたり、時にはカウントをやり、植物や景観の記録写真を撮りに出たり。主人の方は草刈りや禽舎の修理、給食のパン集めが週に1から2回。案内や指導、手術、観察会、その他を加えると、だいたい全部になるでしょうか。大したことではないのに、なぜか毎日過ぎてしまいます。

 さあさあ、そろそろ本気で、本当に、本腰をすえて、環境改善にとりくまなくっちゃ。日常作業をこなすだけで落ちついているのは楽なんですよね。のんべんだらりとしているうちに、10年たっちゃったじゃないか。5年、10年と時が移るままに放っておいても、昔の新浜は戻りっこないのです。10年前には観察舎と保護区の存続が大目標の1つでしたが、それはどうやら大丈夫。鳥や自然、そしてこの保護区を大切に思ってくれる人は、この先急に減ることはないはず。これからは、たとえばひとつがいのオオバンやヒクイナ、そしてそれに代表される湿地環境や良好な干潟を復元するといった目標のために、こつこつと努力してもよい、した方がよい、するべきだ、と思います。


 何年先のことになるでしょうか。5月から6月のなま暖かい宵を想像してみます。スイカズラやノイバラの甘いかおりか、マテバシイの悩ましい匂いが漂っているかも知れません。湾岸道路の車の音や、京葉線を走る電車の音も聞こえるでしょう。水をかくはんする水車の水音や、モーター音も聞かれます。でも、暗い水面からふわりと飛びたったのは、確かにホタル。ゲンジボタルは無理だから、小さいヘイケボタルがつういといくつか飛んでいます。カエルの大合唱はやかましいくらい。ブォォン、ブォォンとウシガエルが鳴き、ケケケコココ、カカカコココとダルマガエルが鳴き、アマガエルが鳴き‥‥‥。水路のふちを歩いて行くと、ポチャリと魚がはね、キュッと鳴いてカエルが逃げ、遠くからヒクイナの声が聞こえてくる。繁殖用の島にゴイサギが近づいたのか、目をさましたコアジサシたちが警戒声を上げ、ヒナたちのピイピイ声があちこちから聞こえる‥‥‥ああ、そんな6月の宵を過ごすことができたら、どんな努力も惜しくはありません。そのころは、孫に手をひかれて杖にすがっているかも知れません。それとももっと近い将来で、今の小中学生たちが社会人になるころかしら。若々しい管理員たちが生きいきと働いているような、そんな保護区が実現できたら‥‥‥ただの夢に終わらせないため、やることは山ほどあるようです。


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