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鳥の国から  作者: 蓮尾純子(はすおすみこ)
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2 はじめの10年(「よみがえれ新浜」1986年)再録 1

行徳野鳥観察舎での住み込み開始は1975年12月1日。10周年を記念して行徳野鳥観察舎友の会が1986年4月に刊行した「よみがえれ新浜」への掲載文を再録しました。

2 はじめの10年(「よみがえれ新浜」1986年発行)より再録) 1


 広々とした水面、冬枯れのアシ原と松や桜などの樹林、そしてその先は湾岸道路とJR京葉線、埋立地に林立してきた倉庫やホテルが一望できます。2キロほど離れた東京湾は建物や高架線に隠れて観察舎の位置からは見えません。

 1975年3月、市川市開発課によって現在の行徳鳥獣保護区の外形が造成され、一角にプレハブ2階建てで1階が管理人住居という管理棟(行徳野鳥観察舎旧館)が建てられました。当時、宅地開発の最中で住む人も少なかった行徳地区では、各所の公園等にこうした管理棟が作られ、市の職員などが住みこんで公園や建物を管理するという方式がとられていました。

 鳥の関係者から新浜しんはまと呼ばれていた行徳・浦安一帯に通い、1967年からは「新浜を守る会」としてずっとかかわりを持っていた私と夫(故蓮尾嘉彪)は、住み込みの管理人を探しているという話を聞き、あちこちから推薦をいただいて、その職を得ることになりました。

 

 1975年12月1日。その日、私たちは行徳野鳥観察舎に引っ越してきました。おだやかで風もないよく晴れた日でした。だだっ広い草原の中にぽつんと建てられたプレハブ2階建の観察舎、埋立地に囲まれた水面と遠くに群れたスズガモーそこにあったのはそれだけでした。福栄かもめ自治会の住宅はむろんのこと、塩浜団地も、湾岸道路も、汚水処理場もーニセアカシアの並木も、竹やぶも、アシのしげみも、カモメの群れさえ、まだありませんでした。

 引越し荷物をぎっしり積みこんだ貸トラックで、約束の時刻に2時間も遅れて到着した観察舎。陽光がふり注ぐ6畳間で、県や市の担当者にあわただしく引き合わされ、主人がいくつもの鍵を次々に渡されている間、私はおびえてかたくなっている大きな赤猫のチャコを抱きかかえ、幼い息子をかたわらに座らせてかしこまっていました。

 ひきつぎを終えて役所の人達が引き上げ、第二陣の荷物運びに主人や友人がみな出かけたあとに、一人でぽつんと残された私。新天地への期待にまじって心細さと不安がじわじわとひろがってきました。ところが、耳慣れないキイキイキイというかん高い声。すぐ目の前で、2羽のチョウゲンボウがみごとな求愛飛行を見せてくれたのです。あっという間に不安は消えてしまいました。鳥にどっぷり浸ったくらしがどのようなものになるのかは想像もつきませんでしたが、チョウゲンボウが飛び去るころには、何が起ころうと後悔はすまい、というふてぶてしさが身についてしまったようです。そうそう、赤猫のチャコは動転しきって押し入れの奥にもぐりこみ、まる24時間出てきませんでしたっけ。


 あれからもう10年もたったのですね。何よりもよく月日の経過を教えてくれるのは、息子の背丈です。3才4ヶ月、けっこう愛くるしかったはずの幼児が、いつの間にやら思春期のがらがら声で口答えばかりするこしゃくな中学生。鏡をのぞくとーーやめとこうっと。この間なんか「おばさん、本当に40歳前なの?」と中学生どもにいじめられ、大ショックを受けたばかりですもの。嗚呼!

 さて、若々しく希望にもえていたわが一家とともに、浦安・行徳の町並も急速な成長をとげていました。2校だった小学校が10校に、1校だった中学校が4校になったことだけを見ても、変化の様子がうかがわれるでしょう。次々に林立して行く高層マンション群、上空を飛ぶサギという奇妙な組み合わせ。

 当時出入りしていた学生さん、今では子供の2人も連れたお父さん、という方が多いのでしょう(もちろん、いまだに独身貴族を通している方も少なくないはず)が、ヒマを見つけては、何くれとなく色んなことを手伝ってくれたものです。今、観察舎の南にひろがる竹やぶの一角は「大学対抗池掘りリレー」と呼んだ試みの名残りで、東大生と農工大生が競争して掘った池の土で低い土手が続いています。

 東邦大の風呂田さんとのおつき合いはこの2年ほど前、オオバンクラブという研究グループを作って、行徳の妙典に残る湿地の総合生態を調査した時以来でした。海水の味で塩分濃度をぴたりと当て、ゴカイを酒のさかなにして生態系を論ずるという風呂田さんは、今では東京湾の環境保護になくてはならないリーダーです。彼が中心となって作成された5年間にわたる保護区の調査報告は、年度ごとにまとめられ、群集生態学をこえたいわば環境生態学への試みとして、今後さらに熟して行くものと思います。



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