12 前段 その3 1984年9月
12 前段 その3
すずがも通信27号(1984年9月)
【鳥の国、夏休みに入ればもう「秋」】
1984年5月なかばから約6週間、鳥のあまりの少なさにただただ涙! カルガモもサギもコアジサシも、ぜーんぜんダメ。何しろ5月初めのある日、ひととおり鳥の数をかぞえたら、最大数はなんとスズガモの18羽だったのですよ。
期待のヨシゴイもほとんど姿を見せず、夜中や早朝にヒクイナの声が時たま聞かれたのと、がんばって鳴きわめいてくれたオオヨシキリ君たちがいささかの救い。5月に雨が降らず、北池がからからに干上ってしまったためもあるでしょう。それでも、セイタカシギは2組ほどヒナを育てたようです(うち1羽が北池で保護され、すぐ死亡。餓死と思われる)。
7月に入ってウミネコが目立ちはじめたのと同時に、シギの数がぐんぐんふえてきました。特に、メダイチドリ/8月9日・109羽、ダイゼン/8月6日・23羽、オグロシギ/8月8、9日・103羽、キアシシギ/8月9日・213羽などは、例年になく多い数です。東京湾の満潮時、休息のために入ってくるものが多いようですが、観察舎前の鈴ヶ浦でも結構熱心に餌をとっています。うれしいなあ!
タカの仲間のミサゴが7月11日以来時おり姿を見せ、大きな魚をさらって行きます。8月10日にはハヤブサ若鳥も見られました。8月14日にはなんとチュウヒが姿を見せました。羽などはぼろぼろであわれな姿でしたが、シギやウミネコたちはもう大あわて。
暑い暑い今年の夏休みですが、鳥たちの世界では、“♪今はもう秋・・・・”です。カモたちは、いつ渡ってくるかしら。
【野鳥病院では】
1984年8月11日、9羽のハシボソミズナギドリを全部放しました。5月末から6月末頃にかけて、東京湾岸のあちこちで次々に保護され、入院した23羽の生きのこりです(6羽は既に放鳥)。どれも元気いっぱいでよく食べ、よく喰いつき、よくふとり・・・・しかし生粋の海鳥のかなしさ、羽の状態が次第に悪くなっているのです。手入れが悪くなると脂の分泌が変化するのか、他に原因があるのかよくわかりませんが、長く飼われたミズナギドリ類は、最後には体がびしょびしょになって衰弱死してしまうのです。この日、風に乗って飛び去ったもの8羽、目の前で海に落ちて溺死したもの1羽。飛んでいったものも、着水したらたぶんぬれてしまい、助からなかったのではないかと思います。でも半年後の冬のさなか、すりきれた羽のために凍死する運命を思うと、あえて海に帰すふんぎりがつきました。
今年はフクロウのヒナが相次いで3羽も入院しました。いずれも小鳥屋で違法に巣からとられ、飼われていたものです。松戸から6月15日に来た2羽「フクちゃん」と「ロクちゃん」は室内で放し飼いし、7月24日に外に出しました。3日後から再び戻ってきて餌をたべるようになり、フクちゃんは7月31日から戻らなくなりました。ロクちゃんはいまだ独立せず、毎晩餌をたべにきて、昼も研究室で眠っていることがあります。
8月3日に東金から来た1羽「ジュクちゃん」は、大野町の荒井俊光さんが見るに見かねて買いとってこられたもの。翼が折れていて野外復帰はむずかしそうです。ケージの中で新聞紙をひきさいては遊んでいます。フクちゃんがいなくなってさみしいロクちゃんにとっては良いお仲間のようです。
註:鈴ヶ浦=保護区内の海水面のうち、観察舎の正面に広がっている水域。




