1 はじめに
21世紀に入ってはや19年目。昭和から平成に変わって31年目となった年号も今年でまた変わります。開館後43年を経過し、目下解体工事中で、市川市による再建を待つ行徳野鳥観察舎。
これから連載をはじめる「鳥の国から」は、野鳥観察舎の開館以来私たちが歩んできた「私の前に道はない。私のあとに道はできる」という、ある意味たいへん楽しい時期(苦楽ともに激しい時期!)の身の回りのできごとです。決して順調とは言えない湿地復元へのチャレンジ、何度も存亡を問われつつ、業務の中心になっている野鳥病院。まずは観察舎と行徳野鳥観察舎友の会のたどった道すじを。
1 はじめに
2019年1月。私が行徳野鳥観察舎で夫蓮尾嘉彪(はすおよしたけ 2008年1月26日没)とともに住み込みで働きはじめてから(1975年12月1日)、43年と1ヵ月がたちました。
昨年6月からは私はほぼ完全に引退。観察舎から徒歩3分の自宅を中心に、データ入力や原稿整理、孫や猫の世話、趣味の手仕事という気楽な生活を送っています。
夫と私が半生を過ごした千葉県行徳野鳥観察舎は、耐震診断の結果を受けて2015年12月28日から無期限休館、そして2016年6月の千葉県行政改革審議会の答申に基づき、2018年3月で廃館となりました。目下は解体工事の最中。あと何日かのうちに、地上部はほぼ完全に姿を消し、基礎をなす133本ものまさつ杭の撤去が始まることでしょう。
幸いに、昨年4月に就任された村越裕民新市長のもとで、市川市が後継の施設を建設することが決まりました。9月の補正予算で設計・手続きの経費1400万円が承認され、建設予算が順調に認められれば、2階建で規模も3分の2程度に縮小されるものの、2019年度中に市川市営の観察施設が完成する見込みです。
1979年にスタートした行徳野鳥観察舎友の会は、2000年3月30日にNPO法人、そして2012年6月16日に認定NPO法人となりました。2000年から行徳野鳥観察舎と行徳鳥獣保護区の管理運営業務の一部を受託し、2002年からは業務の大半(市川市職員である3名と観察舎そのものの維持管理を除く)を請け負うようになりました。2015年3月、市川市が運営から手を引いた後は、千葉県から業務のぜんぶを委託されて現在に至っています。
隔月発行の機関誌「すずがも通信」は既に233号。創刊時から断片的に保護区や観察舎のニュースを書いていました。途中からは「鳥の国から」というタイトルで毎号掲載されるようになりました。
1986年、当時行われていたトヨタ財団第4回研究コンクールに「よみがえれ新浜 水質浄化と水鳥の誘致」というテーマで参加したことから、友の会の活動は一挙にひろがり、1989年に同コンクールで最優秀賞をいただいたことで、後に法人格を得て、観察舎や行徳鳥獣保護区の管理運営を実質的に行うという基礎が築かれました。
コンクールの最優秀賞は使い切りの形で1千万円か、基金の形で2千万円か。友の会は基金としての2千万円を希望し、(財)山階鳥類研究所で10年間預かっていただくことができました。その前に物品販売やご寄付で1千万円ほどの資金を貯めており、3千万円という基本財産がNPO法人としての活動のもとになりました。
研究コンクール参加のころから、「鳥の国から」に加えて、「水車ニュース」、後には「保護区はいつも現在進行」というタイトルで、保護区で行われている環境改善を中心に書くようになりました。水質調査に関した内容も増えています。1995・1996年には千葉県による「行徳内陸性湿地再整備事業」が行われ、生活排水を水源とした浅い湿地が造成されました。
その後、2002年以降に友の会がNPO法人として業務の大半を請け負うようになったころには、若手スタッフも増え、私の業務は現場作業からデスクワーク中心に変わってきました。記事も縮小されて「現在進行 鳥の国」となり、私がリタイアして付近の住宅地に引越しをした2009年4月までで終了しています。
同じ時期に書かれた「新浜だより(行徳新聞再録)」、「新浜だより 1992年~2000年」とは、一部、時期や書かれている内容もだぶっているものがあります。それでも筆者としては、行徳地区にお住まいの一般の方々に興味を持っていただく内容(行徳新聞掲載)、野鳥や環境保護に興味のある方々に向けた内容(日本野鳥の会東京支部報掲載)、そして仲間うちに知らせたい内容(鳥の国から・保護区はいつも現在進行)として、同じ話題であっても書き分けていました。「鳥の国から」はいちばん気楽に書いたものです。
このほど、友の会の快諾・奨励により、完全無料投稿サイト「小説家になろう」への4作目として、「鳥の国から」を再録することにしました。初掲載日は、嘉彪の誕生日と葬儀、そして東京湾への散骨の日である1月29日です。隔月発行のすずがも通信ですが、40年近くの掲載分はそうとうな量になることでしょう。同時掲載中の「新浜だより(行徳新聞掲載再録)」と合わせて、最終稿までこぎつけたいと思っています。
「こんなことがあったんだ」「こんな人たちがいたんだ」と,一話一話をたどっていただければうれしいです。
2019年1月松のうち 蓮尾純子