第一ステージ
「フルミさま、お疲れさまです。わたしはガイドを担当するジョンと申します」
装着したメガネゴーグルから、ヘルプAIのアナウンスが骨伝導で聞こえてきた。
「肩の力を抜いてリラックスしてください。それでは、開始します。よろしくお願いいたします」
起動画面の暗闇から、視界がだんだんと明るくなっていく。
気が付くと、むせ返るようなジャングルの草木に囲まれて、フルミは竹槍を持った兵隊アリの一匹であった。小高く茂った草むらの陰に身を潜め、敵に見つからないように気配を消している。
周囲には腐乱した死体が散らばっており、エメラルド色をしたハエが数匹たかっている。漂ってくる臭気に耐えられず、フルミは思わず吐き気をもよおした。
(くっせぇ。超くっせぇ。大体、兵士に招集でいきなり実戦って意味がわかんないよ。それに今どき竹槍って何なんだよ。嘘だろ。こんなんで勝てるわけないし)
生ぬるい微風を頬に感じながら、フルミはため息をつく。
敵のB国との戦争は、領土の縄張り争いに端を発したものだ。戦況は厳しく、フルミの居住するA国は本土決戦に追い込まれ、劣勢なのは明らかであった。そのため、フルミのようなまだ若い兵隊アリまでも、戦いのため招集されているのだ。
多くの食料が敵B国のアリに奪われ、国中のアリは皆極度に腹を空かせている。さらに蒸し暑い日が続いており、フルミのような兵隊アリたちの体力は、刻々と消耗する一方だ。
辺りは静かで敵兵の気配は感じられない。ただ、空を旋回するカラスがたまに発するクワァという鳴き声が聴こえるだけだ。
(ハエがたかるあんな死体になるのはまっぴらごめんだな。あげくの果ては、カラスの餌食だろうしな。まあ、それにしても暑いわ。腹も減ってるしさ。なんだか眠たくなってきた……)
フルミは首を振って眠気を吹き飛ばす。そして辺りをうかがいながら、何か食べ物がないか見回してみた。
(木の実でも落っこちてないかな。小さい虫はいるけど、虫はマジ無理だな。とりあえず、草露で喉を潤すとするか)
フルミは草露を探した。草むらが揺れてカサリと音がする。
その時、クワァという声が上空から近付いてきた。カラスが一羽、急降下してきたのだ。
(なんだよ。まだ死んでないっつうの)
カラスの黒光りした羽根に太陽光が反射したのか、閃光が眩しくてフルミは目を閉じる。と、身体の中心を熱い痛みが貫き、衝撃で地面に叩きつけられた。瞬時の出来事だったが、フルミは理解した。
(あのカラス、ドローンかよ)
被弾により、霧状に噴射された液剤が全身を覆っていく。肉体は麻痺して動かず、苦痛は広がっていく。
(殺虫剤って、こんな感じなんだな……)
急に意識が遠のいて、フルミはそのまま目を覚ますことはなかった。
*
「お疲れさまです。第一ステージ終了です」
ジョンの声で目が覚める。ぼくは思わず声がもれる。
「ああよかった、ゲームだったのか。死んでなかった。それにしても、あっという間に終わっちゃったな。思ったよりヘビーな感じだったんですけど」
「そうですか。この新型VRは、プレイヤーの意識や心理の状態を元に世界観が構築されるのですよ」
「えー、ジョン、それどういうこと? よくわかんないんだけど」
「簡単に説明させてもらいます。プレイヤーの脳から記憶や思考が取り出されて、それらが三次元の映像という形をとり、ヴァーチャル世界が構成されるのです。つまり、フルミさまの意識が、鏡像のようにVRに反映されているのです。このゲームの世界を大変だと感じることは、フルミさまは日々の現実でも同様に苦労されているということになります」
「えー。こんな変な経験したことないけどね」
「例えば竹槍は、現実の世界におけるフルミさまのレベルのメタファーということなので
しょう」
「なんだ、失礼なAIだな。そういう風にはっきり言うと傷付く人もいるよ。まあ、ぼくの場合は大丈夫だけどさ。確かにスペックは高い方じゃないよ。って、大きなお世話だっつうの」
「視線の高さや風景のサイズなども、プレイヤーの体格や感覚の数値を元に、現実世界で感じるものと同様になるよう設計されています。これにより、プレイヤーの没入感はより高まるというわけです」
「だからか。アリにしては身体がでかいなと思ったんだよね」
「説明は以上でよろしいでしょうか。では続いて、第二ステージを開始したいと思います」
「ちょ、ちょっと待って。まだ心臓がばくばくしてるしさ。少し休憩したいんだけど」
「はい、承知いたしました。それでは、今から二十分後までにこちらにお戻りください」
ぼくはようやくメガネをはずした。ぼんやりと消えていく黒光りしたカラス、深い緑の木々、抜けるような青い空。
仮設のテストルームを抜けて洗面所へ向かう。VRの酔いはまだ少し残ったままだ。顔と手は汗でねっとり濡れている。ぼくは丁寧に汗を洗い流した。




