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世界は呪われている  作者: メガネ侍
1/1

第1話 忘れられた彼と、忘れない彼女。

ひどく暑い。

汗で下着が背中にべったりと張り付く不快感と、拭いても拭いても止まらない汗の鬱陶しさは、夏に対する嫌悪感を抱かせるには十分である。

8月上旬。視界に入る人々もこの暑さに参ってしまっていて、しきりに襟をパタパタさせたり、扇子で扇いでいる。お前にコンクリートの熱も加わって、まさにサウナ状態であった。

都心ではもっと人口が多いのだから、きっとここ以上に灼熱地獄なのだろう。過密化は深刻な問題だと思う。

15:35。3時のおやつでも買うか。

俺は近くのコンビニに入った。暑い日にはアイスに限る。店員のやる気のない挨拶を聞き流し、アイス売り場に直行する。

適当に3つほど選び、カバンに入れてそのまま店を出た。

そう、万引きである。

金銭を払わずに商品だけ取って行く。これはれっきとした犯罪であり、無論してはいけないことである。 防犯カメラに写れば決定的な証拠だし、店員に現行犯で捕まることもあるだろう。万引きGメンなんかも最近ではよく活躍している。

しかし俺は捕まったことなどない。今日はアイスだが、寒い日にはカップラーメンを盗むし、喉が乾けば飲み物を取る。お菓子なんて毎日のように盗んで行く。それでもまだ、俺の行為は犯罪にはなったことがない。

それもそのはずである。それは仕方のないことなのだ。

だってみんな、忘れてしまうのだから。



『ちょっと待ちなさい』

万引きがバレるのはほぼ毎回だ。そしてその度にこの台詞を言われる。聞き飽きたどころではない。むしろ言われないと不安になる程だ。

そしてきっかり30分後にこう言うのだ。

『えーと、君は誰かな?』

アイスはキンキンに冷えていて、今日みたいな日に食えば五割り増しで美味いだろう。

万引きをして30分後、アイス3つを取ったことに対し、店員とその店長は先程まで俺をひどく罵り、言及していたが、途端に目の前の俺のことがわからなくなった。

もう帰っていいですか、と言ったら、どこか呆然とした顔で納得いかないというかのように唸ったが、すんなり俺を解放してくれた。 いつものことである。

コンビニを出ると暑さが再び俺を襲う。早く涼しい場所に行ってアイスを食べたい。

その時、右肩に誰かが触れるのを感じた。そして同時に背後から声が聞こえた。

「ねぇ、あなた」

振り返ると、そこには女子高生が立っていた。黒髪を後ろで1つにまとめたポニーテール、化粧っ気はないが顔立ちは整っており、背中に細長い筒のようなものを背負っている。

「万引き、したでしょ」



まず前提として、俺は普通の人間とは違う。

人は知覚的に体験したこと、考えたことを映像や画像、音として記憶することができる。それこそ絶対に忘れないわけではないが、覚える、記憶するという行為は人が反射的に行なっていることであり、重要な出来事であればあるほど、記憶しやすい。出来事だけではない。人やもの、音、色、人は日々様々なものを記憶し、そして忘却する。

忘却。忘れ去ること。人は機械のようにデータとして記憶を半永久的に保持することができず、知らず知らずのうちにその記憶を失ってしまう。これは長い年月がたったり、他に重要なことを記憶してしまった場合によく起こる。

しかし俺の場合、この忘却が著しい。

俺は他人にきっかり30分しか記憶されない。

俺自身は覚えているのだが、俺と関わった人間は、俺の記憶を長時間保持できない。俺を忘れなかったのは母親だけだった。

この前提を踏まえて、あえていうのなら、 ひどく、ひどく悪い予感がするのだ。

「な、なんのことかな」

「とぼけないで。あの店員はなぜかあなたを見逃したけど、どうせロクでもない方法で脅したんでしょ?」

どうせってなんだ。俺をなんだと思ってる。

「いや、万引きなんて。大体、何もしてないから店員も俺は帰してくれたわけで」

「しらばっくれても無駄よ。あなたを警察に突き出します」

なんなんだこの女。正義のヒーロー気取りか?俺が万引きしてお前になんの損があるというのだ。

それに、なんだこの胸の騒めきは?

「私、見てたのよ」

「え、何をだよ」

「あなたが万引きをしてたとこ」

その瞬間、俺は女の肩をがっちりと掴んでいた。女も唐突の出来事を顔を強張らせ、小さく短い悲鳴をあげた。

「な、なぜ知っている」

胸の騒めきの原因がわかった。俺の悪い予感は当たっていたのだ。

「な、なにが」

「だから、お前はどうして」

女子高生は足がすくんでしまっていて、今にも泣きそうだが、俺はさらにその体を自分の方に寄せる。

「俺を記憶している?」

腕時計は、16:20を俺に知らせていた。



恐ろしく早い一撃が繰り出された。かろうじて避けることができたが、並の人間ではどうなっていたか。

振り下ろされた竹刀はアスファルトを粉々にした。ねぇ、竹刀だよねそれ?なんで道路を砕いてるの?

女子高生は顔を真っ赤にして、自分の竹刀を構えていた。

「ど、どうして避けるのよ!」

「いや、避けるに決まってるだろ!いきなりなにすんだよ!」

「それはこっちの台詞よ!このヘンタイ!」

先程いきなり掴んだことを怒っているのだろうか。

「いや、あれは俺も悪かった。あまりにもびっくりしちまって」

素直に謝ると、女子高生の顔から徐々に熱が引いていく。構えていた竹刀も下ろし、背負っていた筒状の袋に入れ始める。

「で、どういうことなのよ」

「え、なにが?」

「だから、さっきの話よ。その、記憶がどうたらって話」

ああ、そうだった。そう、その話がしたい。

「お前、俺が万引きしたのを、覚えてるのか?」

「当たり前でしょ。かなり堂々と盗んでたし、万引きなんて見るのは初めてだったし」

おかしい。一体どうなっているのか。

なぜこいつは、覚えている?

「ていうかなに?さっきから覚えているだの記憶だの、なんの話?」

女子高生は先程から不満げに質問をしてくるが、聞きたいことがあるのはこっちの方だ。

記憶されない。誰の思い出にもなることなく、誰にも覚えることも、思い出すこともなかった。 唯一記憶できたのは母親だけで、それも今となってはすでにこの世の人ではない。

暑い日差しは若干西に傾き、角度を変えながら地表を焼き続ける。せっかく買ったアイスも、すでに溶けてしまっていることだろう。

「いや、別に」

こいつのことは確かに不思議であり、イレギュラーであり、例外であり、限りなく貴重ではあるが、今はどうしようもないだろう。

なぜ俺を記憶できるのか、それについてこいつはなにも知らないようだ。それどころか、あくまでも俺を普通の人間と認識している。

「こっちの話だ。気にしなくていい」

関係ないとは言わない。むしろ関係は多アリだ。

「そう。じゃあ」

がっし、と。俺の手を掴んでニッコリ笑うと。

「警察、行きましょうか」

「嫌です」

掴まれた腕に徐々に力が増していくのを感じた。女子高生はじろっと俺を睨んでいる。

「行きます」

「行きません」

「万引きは犯罪よ」

「バレなきゃセーフです」

「もう私にバレてるじゃない」

「見逃してほしい」

「だめ」

会話はどう考えても平行線だった。これでは埒があかない。

話が通じないのなら無理矢理にでも逃げるしかない。

「無理矢理にでも逃げようとか思ってるんでしょ」

………バレてたー。

「なぁ頼むよ。見逃してくれよ。そうだ、このアイスあげるからさー」

「それはあんたが盗んだやつでしょ!ちゃんとコンビニに返す!それから警察よ」

記憶されない俺は、警察に行ったところで特にこれといって困ることはないが、経験則から言えば警察署から、もしくは交番から逃げるのは至難の業で、たとえ相手の記憶を持っていないとしても、警察は解放などしてはくれない。

つまりは逃げられない。記憶されてないのに捕まってしまう。

「………じゃあなにがほしいんだよー。地位か?名誉か?金か?」

「欲しいと言えば欲しいけど、万引きをするあんたがそれを持ってるとは思えないわね」

「ここで見逃してくれたら、貴様に世界の半分をやろう」

「私は問答無用で魔王を倒せるタイプよ」

だめだ。こいつはなんとしても俺を警察なら突き出すつもりだ。そもそもなんでこいつはこんなに正義感が強いんだ。

しかしこれではキリがないとあちらも思ったのか、少し考えるようにこちらを見ると、不敵な笑みを浮かべてくる。

「じゃあ、さっき言ってた"こっちの話"ってやつ、私に聞かせてくれるならいいわ」

どうやらこいつ、思った以上に面倒かもしれない。



この街は決して都会ではない。しかし田舎と言うには文明が廃れているわけでも山奥にあるわけでもない。都心部へのアクセスは容易だし、住宅街や工業団地が点在しているため、人口もそこそこいる。

かと言ってずっと前からこうだっのかといえばそれも違う。ほんの半世紀前までは無法地帯であり、人もあまり住んではいない、寂れた街だったらしい。

再開発により今の姿になったわけだが、以前の寂れた雰囲気が残っている場所もある。俺と女子高生が一緒に向かっているのもその1つだ。

トボトボと、街を歩く。どんどん人気は少なくなり、それに伴い建物も古めかしいものばかりになっている。

「あのさ」

今まで黙ってついてきたが、女子高生はいよいよ痺れを切らして開口した。

「あなた、名前は?」

あまりにも非凡な質問に多少気が抜けた。しかしよくよく考えてみれば、俺たちは互いに名前すら知らない。

「……大田 晴明。お前は?」

「私は東照院 南那。みなでいいわ」

「お前は、高校生、でいいんだよな?」

「え?うん。17歳の女子高生よ」

名前や年齢を聞いてなんになるのだと一瞬思ったが、こいつだけはそれに意味がある。

「剣道、やってるのか?」

「ええ、5歳の頃からずっと」

あの時繰り出された一撃は、誇張抜きで死ぬかと思った。視認できなかったわけではないが、普通は避けることができないだろう。

「その、ごめんなさい。いきなり竹刀で襲ったりして」

「あ、いや、あれは俺も悪いし………」

南那も多少の罪悪感を感じていたのだろうか。

やはりこいつは並々ならぬ正義感や誠実さを持っている。昨今の若者はあまり人と関わろうとはしない。故に助け合いや人情が多少欠落している人が多いのだが、こいつからはそれを感じることはない。

端的に言えば、善人だ。

「それで、どこに向かってるの?どんどん寂れた場所が多くなっているけど」

そう言えば、特になんの説明もなしにここまで連れてきてしまったな。

「廃病院だ。そこに、お前が聞きたいことが待ってる」

「あなたの、その記憶されないって話?」

「ああ。俺から話よりもわかりやすいだろうからな。ほら、あそこだ」

話しているうちに、目的地が見えてきた。

6階建てのその病院は壁はまるで錆びた金属のように茶色に汚れており、窓ガラスのほとんどが割れている。夕日に照らされているせいか、全体的にさらにオレンジ色になっている。その雰囲気はどこか不気味で、普通の人なら好き好んで近づこうとはしない。

しかしあいつは、ここに住んでいる。大した物好きだといつも思う。

入口の自動ドアもガラスが割れており、それどころかその枠組みすら歪んでいる始末だった。

「所々ガラスが割れてるから気をつけろ」

「ええ、わかったわ」

歩くたびにガラスの破片の砕ける音が、真っ暗な病院内に響く。南那も慎重に歩みを進めている。

いよいよ不思議に思ったのか、怪訝な顔でこちらをじろっと見る。

「こんなところに来て、一体何があるって言うの?なんの利益にもなりそうに無いんだけど」

「嫌なら帰ってもいいぞ」

ここで引き返してくれるならこっちとしてはとても楽でよかったのだが、南那は眉をひそめて不機嫌そうな表情ではあるが、後退することはなかった。

第二診察室は、5つある診察室のうち、かろうじて電気が通っている場所だ。中はかなり荒れていたが、一応人が住める程度には整理した。

「ここ……誰か住んでるの?」

「いや、基本俺はここで生活しているんだが」

南那はあからさまにいやな顔をした。まるで馬の糞を踏み潰してしまった時のような表情だ。そこまで嫌がりますかね……。

確かに床も壁も天井もボロボロで鉄筋がむき出しではあるし布団もカビていないのが不思議なくらい汚いし電気も蛍光灯が1本あるだけでどことなく薄暗くて、はっきり言えば不気味だけど、一応俺住んでますよ!?

「それで」

南那はまだ若干この部屋に慣れてはいないようだが、気にするまいと言うように話を切り出した。

「こんなところまで来て、なにを教えてくれるのかしら?」

「……まぁ、まずはこれを見ろ」

ベコベコに凹んだ机の引き出しから、茶色のA4サイズの封筒を出し、南那に渡した。不思議そうに封筒を開け、中身を取り出し確認する。

「……これ、なにかのレポート?」

「正確には論文の下書きだ」

A4の紙が数十枚順番にホチキスで留められている。南那はそれを一枚一枚素早く読み進めて行く。

「人体実験?でもこれはなんの……」

量が量だけにそれを全て理解するには相当時間がかかるはずだ。それこそ1時間や2時間ではその全体像すら見えてこない。

南那はふーっと息をつくと、諦めたように冊子を閉じ、俺に渡して来た。

「理解してくれたかな?」

「無理よこんな量……。で、結局なにを伝えたかったの?」

それを口で説明するのが難しいからわざわざここまで連れてきて見せてやったのに、なんだこいつ人の話聞いとけよ。

仕方ない。ここまで連れて来てしまったことだし、なにも教えることのないまま帰すのも無礼だろう。

「それはある研究に関する論文だ」

「なんの研究よ?」

「……呪いだ」

南那少し目を見開き、考え込むように顎に手をやる。てっきり笑うものかと思ったが、こいつはそういう性格なのだろう。

「呪いって、俗に言う呪いのこと?」

「逆に、俗に言わない呪いってなんだよ……」

呪いという概念をここで改めて提示するのはなかなか難しい。呪いとは説明不能な事象であり、自動運転の自動車が開発され始めているこの現代において、その単語はあまりにも場違いだ。

「研究の目的は、呪いの実体の解明及び人為的な呪いの発現だった。それこそ人体実験なんかも行われたりもした」

「論文の下書きってことは、研究自体は成功したの?」

「いや、まあ、半分は成功した」

しかし、結末があれでは、成功も失敗もないか。

「呪いそのものは全く理解できなかったが、実験を続けるうち、呪いの発現には成功したんだ」

「……じゃああなたのそれは」

「記憶されない呪いだ」

窓から見える景色は暗闇に飲まれようとしていた。夜がすぐそこまで迫っているのは、きっと南那もわかっているのだろうが、話を続けろと言わんばかりにこちらを見てくる。

「実験の被験者は俺を含めて12人いたが、そのうち半分は死に、残りの半分はそれぞれ呪いを受けた」

死、という単語に南那は肩をピクリと震わせた。表情は暗いどころか恐怖を感じているようにも思えた。

「な、なるほど」

絞り出すかのように声を出したが、南那はそこまでしか言葉が続かないようで、気まずそうに目を伏している。

「ごめんなさい。わたし、何も知らないのに」

「いやいやいや、別にいいんだ。俺もあんたみたいな人は初めてだからな」

コンビニの時の気迫は何処へやら、南那は本当に申し訳なさそうに頭を下げて来た。素直に謝られると、こちらも対応に困る。

教えてほしいと言ったのはこいつだが、俺の心には微々たるものだが罪悪感が存在していた。

沈黙が、 この部屋を支配していた。



「な、なぁ」

3分ほど、お互いに言葉を発することなくただ突っ立っていたが、流石に気まずいし、これでは進展がないので、意を決して開口した。

「もう暗くなって来たし、帰った方がいいんじゃないか?あんまり遅くなると、お前も大変だろうし」

正直に言えば、ただ帰ってほしいだけだった。

だってなにも話さないんだもんこの人!なんで黙ったままなの?なに、最近の女子高生はこんなに物静かなのものなの?いいよもう帰ってくれよ!もう話すことないだろ!?

すると今まで俯いていた南那はやっと重い口を開いた。

「…………るの?」

だめだ何言ってんのか全然聞き取れない。というか最後疑問形だったか?なに、まだ質問あるの?

「なんだって?」

「だから、今日もここで生活するの?」

「え、まぁそうだけど」

「来るから」

「はぇ?」

「明日も、また来るから」

なにを言っているんだこいつは。一体こんなところにまだ何の用があるというのだ。

「なぁ、それってなんか意味が」

「絶対来るから!」

先程までの暗い表情は何処へやら、今では闘志に火をつけたような目でこっちを見てきた。南那の両手は俺の手を包み込むように握って来る。

指先から伝わってくる体温が暖かく、忘れかけていた人の温もりというものを思い出させてくれる。

遠い記憶にある、母親との生活。あの日々も、こんな風に温かかった。

南那はしばらく俺の手を握っていたが、やがて手を離すと、駆け足で帰って行ってしまった。もうすでに日は落ちてしまったが、特に帰り道を心配してやる必要もないと思われた。

ただ、彼女の体温だけが残った。



ーーーーーーーーー中盤開始ーーーーーーーーーー



俺は南那に対し、呪いに関することを、話の辻褄が合う程度には話した。

しかし、無論全てが真実というわけではない。あの正義感の塊のような奴に嘘をつくのは多少の度胸が必要だったが、南那は正義のヒーローである以前に善人だった。

俺の話を、全く疑う余地も見せなかった。

「まったく、あの子は騙されやすいねぇほんと。きっと将来、あの人の良さが自分を苦しめることだろう」

診察室の奥、家具やら布やらが乱雑に積み上げられたところから、汚れた白衣を着た女がひょっこり現れた。まるで南那がいなくなったのを見計らったかのように。

「いたのか、先生」

「ん、まぁね」

茂木 照子。若干30歳であり、俺とともにこの廃病院に住んでいる。無論無職。

170cmはあるであろうこの体は、しっかり身なりを整えればモデルと間違えられてもいいほどのスタイルで、紫がかった髪の毛はその豊満な胸元にかかっている。黒の長袖に白衣、下は所々破けたジーンズで、私服に無理矢理白衣を組み合わせたかのような服装だ。目元にはクマができており、いつもながら血色の悪い顔だ。これでいて美人だから、こっちも反応に困る。

「というか、君があの女子高生を連れてきたから、慌てて奥に引っ込んだんだけどね」

あと、多少の思いやりもある。

「若者の夜の営みを見るのも、悪くないと思っているからね」

前言撤回。

「ふざけたこと言わないでくださいよ。飯は食ったんですか?」

「うん。さっきの熱いやり取りでもうお腹いっぱいさ」

こいつ、見ていたのか。くそっ、ニヤニヤしやがって!

「それはそうと」

先生はそう言いつつ近くにあった事務椅子に腰掛けた。所々破れていて、タイヤもまったく動かないほど錆びついているが、まだ座れるようだ。

「晴明、君、あの子に嘘ついてるよね」

先生はいつもこうだ。重要なところ、痛いところを絶対に見逃さない。肝心要のところを常に捉えている。

「嘘はついてませんよ。全てを教えていないだけで」

「ははっ、まぁ君がそう言うならそんなんだろうけどね」

「大体、呪いに関してあいつが何か知る必要はないでしょう。会ったばかりのやつに、そこまで情報を提供してやれるほど、俺はお人好しじゃない」

記憶されない奴が、誰かと友好的になれるはずもない。

「それはもう知ってるんだけど、私としては、いずれそれを伝えなくちゃならないと思ったんだよ」

「は?なんでですか?」

呪いの件はそう簡単に誰かに話して良いものではないと思っている。実験そのものについても、結果についても、結末についても、誰かの幸福になるとは思えない。

「呪いについては他言無用。そう言ったのは先生でしょ。記憶されない俺からしたら皮肉なもんですけど。一般人に呪いについてあれこれ話しても何にもなりませんし」

そう、何にもならない。意味などない。

たとえ教えたとして、死んでいった奴らが蘇るわけでも、俺の呪いが解けるわけでもない。

「勿論、それはよくわかっているよ。他ならぬ私が誰よりも理解しているつもりだ」

「だったらなんで」

「それは、あの子が一般人じゃないからだ」

こいつは何をいっているんだと、そう思ったが、しかしその意見も一理ある。

あいつは、未だ俺を記憶したままだ。

「たしかにあいつは俺を記憶していますが、それは先生が言っていた、"呪いの例外"ってやつじゃないんですか?」

呪いの例外。

呪いには二種類ある。1つは主体的な呪い。1つは外部的な呪いだ。主体的な呪いは、呪いが自分にかかっている状態。外部的な呪いは、呪いを相手にかける呪いである。

しかし呪いには必ず差が存在する。例えば外部的な呪いに関しては、呪いによる影響が個人によって異なる場合がある。

「呪いの例外に関しては君の理解は正しいよ。でも今回は当てはまらないんだよねー」

ならば、一体どう説明つけるつもりなのだ。

先生は研究のメインチームであり、俺より呪いに関する理解は深いが、俺だって確かに関しては負けず劣らずだと自負している。そしてその知識の中では、呪いの例外以外に説明がつかないのだが。

「そもそも、君の呪いは、主体的な呪いじゃないか。人によって差が生じることはまずない」

記憶することができないのではなく、記憶されない。原因は俺にあるということか。

「じゃあどうなるんです?俺の呪いが解けつつあるってことですか?」

「いや、それも違うだろう。まぁ可能性もなくはないが、もっとふさわしい仮説があるんだよ」

うーん、ここまでくるとさっぱりわからん。先生は一体何を見ているというのだ。

おそらく表情に出てしまったのだろう。先生は正解発表というようにこう告げた。

「おそらく、彼女も呪われている」



茂木 翔子は、呪い研究のメインチームのメンバーの一人だった。その中でもそこそこ優秀だったと言う。この容姿、知識量ともに他を寄せ付けない異彩を放っており、呪いなんぞに首を突っ込まなければ、それなりに世のため人のために役に立っていただろう。

そして彼女は、呪いを無効化する不思議な体質があると言う。

この体質は主体的であろうと外部的な呪いであろうと、呪いそのものを無効化することができる。

「まぁこれは、呪いを打ち消し、ただの人間に治す力といってもいいね。まぁ私以外には使えないんだけど」

無論、原理原因仕組みは不明。

南那が帰って約一時間ほど経過した。先程の話もきになるが、今は晩飯を優先しようと先生がねだるので、せっせと湯を沸かし、カップヌードルを用意していた。

水はペットボトルの水をコンビニから盗み、ポットはデパートから盗み、カップヌードルはスーパーからこれでもかと言うほど大量に盗んできたものだ。実質0円飯。

「それで、南那が呪われてるって話なんですけど」

「ああ、そうだね。話しておこうか」

カップヌードル完成まであと3分。タイマーをセットし、しばし待つ。

「呪いに対抗できるのは、今確認されているもので三種類ある。まずは神器。次に特殊体質。そして同等の力を持つ呪いだ」

ひとつめ、神器。

「神器とはその名の通り、神が作り出した道具のことだ。日本だと草薙剣なんかが有名だね。なんでも、神様のパワーで大抵の呪いは消せるらしいよ」

ふたつめ、特殊体質。

「呪いを受けない。打ち消す。軽減する。作用は様々だけど、ごく稀に、百万人に一人くらいの確率でそういう人がいる。私のようにね」

みっつめ、同等の呪い。

「呪いと呪い同士を掛け合うと、同等のパワーの場合、互いに打ち消しあう可能性があるんだ。もっとも、これは理論上の話で、その上研究の過程で生まれた漠然とした仮説であるから、はっきりと断言はできないけれど」

なるほど、腑に落ちた。

全て説明し終わると、先生は大きな欠伸をして、眠そうに目をこすった。蹴伸びをすると、体のラインが強調されて、俺は思わず目をそらした。

「つまり、その3つ目に、南那が該当しているって話ですか?」

「んー?まぁそうだね。そう言うことだ」

どことなく間の抜けた返事が返ってくる。せっかく飯を用意したと言うのに眠そうにしやがって。

「その呪いがどう言うタイプかは流石にわからないけどね。忘れられない呪いなのか呪いを打ち消す呪いなのか」

それとも他の何かなのか。

先生がわからないことを、俺が考えたところで仕方がないと思った。仮説なんて幾らでも立てられる。

「まぁ、その辺はあの子が来た時にでもまた話すよ」

タイマーが鳴った。先生はそれを止め、小さく「いただきます」と言うとカップヌードルを食べ始める。

先生が本当にわかっていないのか、それはわからないが、しかしその推測に反論できる気はしなかった。

呪い子か。

実験で一緒だったあいつら以外の呪い子は、生まれて初めてだ。

蓋を開け、割り箸を割って、ひたすら麺を啜った。

頭の中の疑問を前に、味わうことはできなかった。



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