時計屋のコーヒー
久しぶりに書いた
よく言えば趣のある、悪く言えば古臭い建物の中にある時計屋。その中カウンターにこの店の店長である男が熱心にコーヒー豆を挽いていた。
「店長、ここ最近仕事よりコーヒー入れてる時間の方が多くない?」
「それぐらいやらなければ向かいの喫茶店には勝てん」
「いや、なんで時計屋が喫茶店にコーヒーで勝負してるんだよ......」
店長と話しているのは高校生で甥のA。Aはここ最近の店長の様子に不信感を抱いていた。ある日突然コーヒーに関する本や道具を買い込んだと思ったら本業そっちのけでうまいコーヒーの入れ方を研究し始めたのだ。なぜそんなことをし始めたのかと訪ねても答えてくれずAはやきもきとした気持ちにさせられていた。
「すいませーん」
そのとき玄関の方から女性の声がした。お客だろうかとAは邪魔にならぬよう店の奥の方に退避しようと足を向けた。
「はい! いらっしゃい!」
しかし、聞こえてきた女性の声に対する主人のこれまで聞いたことのないような浮ついた声がAの足を止めた。さすがにこれは仕方がないことだろう。主人とAはもう十年ほどの付き合いになるがここまで浮ついた声は今まで聞いたことがなかったのだ。いつも店のカウンターで一人静かに時計を修理しているあの店長が、声も顔も渋めであの置物のような店長が、十代の少年が思いを寄せる女の子に出すような声を出したのだ。Aはあまりの気持ち悪さに口から溢れんばかりに昼食の天ぷらそばを大放出した。
「あの、さっきの方大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫心配しないで! あいついっつも吐いてばっかりだから! むしろ今日はいつもよりましなくらいだから!」
「それだったらいいのですけれど」
Aを店の奥に寝かせたあと店長は改めてその女の子と対面していた。歳は十五ほどだろうか。黒髪のショートボブでとても可愛らしい顔をしていた。少し前に来たこの女の子に店長はひと目で惚れてしまったのである。
「それよりもどう? またコーヒー入れたんだけど飲まない?」
「いつもいつもありがとうございます。それじゃいただきますね」
ここ最近は店に来た女の子にコーヒーを振舞うというのが一連の流れのようになっていた。
そもそも店長がコーヒーを研究しだしたのはこの女の子が関係している。ある日少女が向かいの喫茶店でコーヒーを飲んでゆっくりするのが好きということを聞き、こちらが向かいの喫茶店よりもうまいコーヒーを入れれば、女の子が喫茶店で過ごしていた時間をこちらで過ごしてくれるのではないかという考えのためだった。
「どうかな? 前よりも良く出来たと思うんだけど」
「すごく、美味しいです。前来た時よりも格段に」
それもその筈。仕事そっちのけでコーヒーばかり入れていたのだからうまくなっているのは当然と言えるだろう。しかしそのことを知らない女の子は店長にコーヒーを入れる才能があるのではないかと思ってしまった。そしてそれは女の子にとっては嬉しい誤算でもあった。
「で、そのあとどうなったんだ?」
「女の子があんまりにもこのコーヒーの入れ方を教えてくださいって言うもんだからな。仕方がなく教えてやったさ」
仕方がなくとは言っているものの、本当は喜々として教えたのだろうとAは思った。当然正解である。
「そろそろこのコ-ヒーも向かいの喫茶店の味を超えたんじゃないかと思ってな。今からあっちにコーヒー飲みに行くがAもくるか?」
「あ、いくいく。もちろんおごりな」
「なんだこの味は...... 少し前に飲んだものよりも数倍もうまい。しかもどことなく俺の入れたコーヒーに味が似てるような......」
店長が届いたコーヒーを飲んで愕然としている間、喫茶店の玄関には地元のケーブルテレビ局が取材に来ていた。
「ここ最近で格段においしくなったコーヒーの秘訣を喫茶店の店長さんの娘さんに聞いてみたいと思います。一体どのような秘訣がありますか?」
「そうですねやはり私のようなコーヒーの素人の意見を柔軟に取り込んだ結果と言いましょうか......」
そのままコーヒーの秘訣について店長の店に来ていた女の子は話し続けた。