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魚服記について〜龍谷大学読書会を受けて〜

はじめに


 以下の文章は、二〇一九年五月十八日に龍谷大学学友会学術文化局文芸部(以下、龍大文芸部と記す)の下で開催された読書会に感化されて書き記す。筆者の読解力不足、知識不足のため、出鱈目な記述が発見され得る恐れはあるが、それは若輩者の失敗と温かく見守っていただきたく存ずる。


 件の読書会で、太宰治の『魚服記』を取り上げられた。山小屋で父親と二人暮らしをする少女スワが、日々の生活に対する葛藤から滝に飛び込んで鮒に変身する、という空想の入り混じった悲劇の話である。

 読書会では多くの大学の文芸部の方々が集まり、なかなか刺激的で面白い意見が寄せられた。スワと父の関係、「きこりの兄弟」の話、冒頭に登場する学生について、など様々な視点による意見が交わされて、その都度読みが深まったように感じた。とても有意義な時間を過ごせた。


 ただ、その時間内で惜しくも話し合うことができなかった話題がある。それらについて、恐縮ながらも私見を述べていきたい。




1.太宰の述べた「失敗」とは


 『魚服記』を初読した際、残念ながら私はこの話を理解することができなかった。話の筋はおおよそ分かったものの、何故このような構成に至ったのかまるで予測することができなかったのだ。

 そこで私は、太宰の書評である『魚服記に就て』を読んでみた。そこでは次のように述べられていた。


 私はせつない生活をしてゐた期間にこ

 の雨月物語をよみました。夢應の鯉魚

 は、三井寺の興義といふ鯉の畫のうま

 い僧の、ひととせ大病にかかつて、そ

 の魂魄が金色の鯉となつて琵琶湖を心

 ゆくまで逍遙した、といふ話なのです

 が、私は之をよんで、魚になりたいと

 思ひました。

 魚になつて日頃私を辱しめ虐げてゐる

 人たちを笑つてやらうと考へました。

 私のこの企ては、どうやら失敗したや

 うであります。笑つてやらう、などと

 いふのが、そもそもよくない料簡だつ

 たのかも知れません。


 太宰治が『魚服記』に託した願いは「失敗」に終わったという。この「失敗」とは一体何を示しているのだろうか。


 太宰治が感化されたという上田秋成『雨月物語』にある「夢応の鯉魚」という話を(現代語訳だが)読んでみた。そこに書かれていた中で特に印象深いのは、鯉になった僧が自由気ままに琵琶湖を泳ぎ回る場面だ。湖から見える近江国(現在の滋賀県、我が地元が取り上げられているのはなんとも誇らしい)の景色を詳細に語る様から、その景色の綺麗さに僧が感銘を受けていることが窺い知れる。

 おそらく、太宰が「魚になりたい」と言及したのはこの場面があったからだと思われる。楽しげに水中を泳ぐ鯉(=僧)の姿に心惹かれた太宰は、後に『魚服記』を執筆するに至ったのだろう。

 また、「夢応の鯉魚」では鯉になった僧は漁師に捕らえられてしまう。それから僧は三井寺の「檀家の平の次官(すけ)」の酒宴に持っていかれて、捌かれそうになる。そこで目を覚ました僧は、平の次官当人にこの話を告げる。すると、この摩訶不思議な話に大層感心した平の次官は酒宴で残ったナマスを湖に捨てさせた。

 太宰が「日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらう」と考えたのは、「夢応の鯉魚」にあったように、僧がナマスにも生命があることを平の次官に説き伏せた場面に影響を受けたものだと考えられる。功徳を積んで鯉になるという不思議な体験をした僧が、生命の大切さなど考えずに宴を開いて騒ぐだけの館の一同を説き伏せるという構図に何かを感じ取ったのだろう。そうした構図のように、太宰もまた「日頃私を辱しめ虐げてゐる人たち」に一泡を吹かせてやりたいと考えたのかもしれない。

 そうした経緯から『魚服記』は書かれたわけだが、それは結果的に「失敗」した。


 『魚服記』において、スワは滝へ飛び込む。詳しい経緯は省くが、彼女が滝へ飛び込んだ原因は自身が生きる意味を見出せなくなってしまったからだ。そうして滝へ飛び込んだスワは、滝の中で鮒へと変身する。

 私が思うに、スワが鮒へ変身する様は苦しい生活からの救済を示しているのではないだろうか。生きる意味を見失うほど苦しい思いをし続けてきたスワを鮒へ変えることで、人間として生きる必要性を解消して鮒として自由な生活を送らせようとした。

 このように考えれば、一見すると太宰の言う「失敗」は見当違いなように思える。しかし、太宰の狙いは「日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらう」というものだ。それを念頭に置いて『魚服記』を読むと、太宰を「辱しめ虐げてゐる人たち」を見返してやろうと考えて書かれたような文章が見当たらないことに気がついた。不幸な少女が救われたという点では救いのある話として書かれているものの、凡俗な人間を風刺しようという風には読むことができない。その風刺性を書くことができなかったからこそ、太宰は「失敗」と評したのではないだろうか。




2.美しき自然描写


 次に私が触れたいのは、『魚服記』冒頭の自然風景についてだ。冒頭ではスワが暮らす山の風景について書かれている。その書き方がとても詳細なのだ。「義経が家来たちを連れて」山の麓を通ろうとした話だったり、「十丈ちかくの滝」の下にある茶店で紅葉が見られることだったりと様々な情報が詰められており、そのおかげで山の風景について想像しやすい。

 読書会では、この風景が作中でどのような効果をもたらしているのかということも考えたいという声が挙がった。時間内で行うことができなかったため、この場を借りて考えてみることにする。


 作中で書かれた風景はとても綺麗だ。そのように書かれているのは、スワが鯉になったことと関連しているように思う。太宰は「魚になりたい」という思いから、人が魚になる話を書こうとしていた。その際に参考にした「夢応の鯉魚」では、僧が自由奔放に湖を泳いでいる。その時の景色はとても綺麗に描写されていた。その綺麗さを太宰も書こうとしていたのではないか。そうすることで、魚になることの良さがより引き立たせられる。そのため、冒頭での描写も綺麗さを強調したのだと思われる。


 ただ、魚になることの良さというのが今ひとつ引き立たせられていないとも思える。それは『魚服記』内で、スワの生活環境の描写ばかりが書かれているからだ。スワの生活に注視するあまり、魚になって自然の中を悠々と生きる楽しさみたいなものが目立ってこない。これでは作者の太宰も「魚になりたい」という欲求を十分に解消することは叶わなかったのかもしれない。そうした意味も含めて「失敗」と評したとも考えられる。




おわりに


 以上、稚拙ではあったが私なりの見解を文章に起こすことができた。私の中でも『魚服記』に対する読みを整理することができて良かった。

 一人で読んだ時には理解し得なかった『魚服記』だったが、読書会へ参加して大勢の意見を聞くことで理解を深めることができた。それは本当に有意義なものとなった。


 読書という行為は基本的に一人で完結してしまうものだ。それによって新たな知識や感性を得ることができるものの、それはあくまで自分なりの見解を交えたものでしかない。読書会のように様々な人の意見を吸収することで、一人で読んだ時以上に得るものが多くなる。

 龍大文芸部の皆様ならびにその他読書会に参加くださった方々には、読書会に参加させていただいたことを心より感謝申し上げたい。今後とも懇意にしていただけると私としても幸いです。


 そして、読書することの可能性を感じつつ、この辺りで筆を置くことにする。

*参考文献

『魚服記』

『魚服記に就て』

太宰治全集 太宰治

https://books.apple.com/jp/book/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB%E5%85%A8%E9%9B%86/id1024938186

「日本神話や昔話を紹介/言霊 夢応の鯉魚」

http://kotodama.日本伝.com/夢応の鯉魚_雨月物語/

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