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李と私

似非エッセイ第二弾。

 私は李のことをよく知らない。過去に食したことはあるが、それはもう何年も前の記憶だ。味覚はおろか形すらもおぼろげ。李も桃も桃の内とは謂うが、一体両者にはどのような違いがあるのか、てんで分からない。私にとって李は縁遠い存在なのだ。

 しかし、知らないままでいることはどこか物悲しいように思う。まるで、輪郭線は出来たものの色が何も無い絵画のように。だから私は、李についてもっと知りたいと思った。

 まずは電子の海から李の写真を探してみる。なるほど、桃よりも赤っぽい色や黄色い色をしているようだ。大きさは桃よりも一回り小さい。さらに情報を集めていく。旬は夏頃で、味は幾分酸味が強いと謂う。そして、李はバラ科サクラ属の植物。ちなみに桃はバラ科モモ属。李も桃も桃の内ではなかった。

 こうして李に関する知識が蓄積されていく。しかしまだ物足りない。私が目にしてきたのはピクセルの集合体であり、本物の李ではない。昨今では科学技術の進歩による疑似体験が流行しているそうだが、やはり感動の重み、情報量の多さは本物に勝るものではないだろう。

 私は李を想像する。掌に収まる程度の愛らしいサイズ。皮を剥く時の、まるで衣服を脱がすかのような高揚感。露わになった柔肌に刃を入れるという禁忌。一口齧れば果汁が口内を潤す。甘さの中にアクセントを加える酸味。そして満たされる食欲。

 素晴らしい。考えるだに唾液を分泌してしまう。心なしか腹の虫も李を催促している。今日のデザートに李を食べよう。そうして湧き立つリビドーを満たすため、私は近所のスーパーマーケットへ立ち寄った。

 だが、そこの青果売り場で待っていたのは落胆だった。李が売られていない。梨や柿はこれでもかと販促していると云うのに、李はどこにも置いていなかった。

 そうか。今は秋か。一般的な李の旬を過ぎているから、スーパーでは取り揃えなくなったのか。なんてことだ。

 消化不良を起こした欲望をどうやって発散させろと云うのか。道の駅へ行けば見つかるのかもしれないが、生憎そこまで気軽に行けるほどの交通手段を持ち合わせていなかった。私の悪癖であるズボラが邪魔をした。牛歩の歩みで帰路に着く。

 帰宅後も、悶々とする気持ちが霧散することもなく、その日は為す術なく寝床に伏せることとなった。


 気が付くと私は広い野原に立っていた。澄んだ青空、白い雲、燦々と注がれる日光に、照らされた草花。二匹の蝶々がゆったりと飛んでいる。浮世離れした景色が眼前に広がっている。

 私の他に、もう一人野原に立っていた。数歩離れた先に居たのは女性だった。長い黒髪は艶やかで、細い身躯の造形美たるや筆舌に尽くしがたい。真白なワンピースが周りの風景と併せてよく映えている。

 彼女がこちらを見遣る。その瞳は宝石のように煌びやかだ。私を視認するや否や、柔らかな笑みを浮かべる。

 彼女のことは何も知らない。けれども頭の片隅に彼女に対する記憶が微かに存在しているような心地もする。なんでもいい。とにかく私は彼女と語りたいと思った。

 私は一歩前進する。それに連動するように彼女は一歩私から離れる。私はさらに数歩進む。彼女は数歩下がる。両者の距離は一定を保たれる。

 やがて彼女は再び笑いかけると、くるりとターンする。翻ったワンピースの裾が優雅に舞う。それから彼女は駆け出す。刹那、呆気にとられるが、僕もまた彼女の後を追う。

 相手は女性だからすぐに追いつける。そう思っていた。しかし体が思うように動かず、一向に距離が縮まらない。

 何故そうも私から逃げていくのか。私はこんなにも貴女と語りたいと云うのに。切なる私の想いを無視するように、彼女はなおも走り続ける。

 延々と行われる鬼ごっこ。叶わぬ希望に弄ばれつつ、それでも心のどこかではこの時間も悪くないと感じていたのだった。


 暗転。意識が戻った時には、私は自室のベッドの上に寝ていた。やけに鮮明な夢を見た。もしかするとかなり疲れていたのかもしれない。とはいえ、夢の中で出会った女性のことを思うと、心臓を誰かに掴まれるような感覚に陥る。

 と、そこで腹の虫が鳴いた。朝ご飯にしよう。身支度を済ませてリビングへ。何を食べようかと考えつつ冷蔵庫を開ける。

 そこには桃の果実入りゼリーが入っていた。

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