美食メモ 1
関西の米は美味い。胸を張ってそう言える。関西に生まれてきたことをとても誇らしいとさえ思える。
二年前に初めて東京へ行った時の経験が、地元愛を強めることとなった。
その当時、東京でとある大手出版社の看板作品(?)の催しがあって、そこへ遠征に向かった。夜行バスの座席は悲惨なものであったが、催し自体はとても楽しかった。
問題は東京へ着いて食べた朝食である。東京駅で見つけたおにぎり屋で、3個セットのおにぎりを買った。卵焼きやウインナーも付いてきた。
せっかく東京へ来たのだから、と電車に乗って浅草の浅草寺へ行って、観光がてら朝食を済ませることにした。荘厳な本殿を目にしながら、おにぎりを一口。その刹那、衝撃が走った。
ベチャベチャの水っぽい食感。デンプンの甘みは感じられず、お世辞にも美味とは言えなかった。これは本当に米でできているのか? そう疑わずにはいられなかった。
いつも自分が食べていた米とはまるで別物だった。何故こうも違いが現れたのか。それを考えた時、自分の地元が米どころだったことを思い出した。
全国的に見て有名かどうかは定かではないが、自分の地元は米作りが盛んに行われている。その中でも『みずかがみ』という品種が食味ランキングで特Aに認定された。みずかがみには度々お世話になっていて、納豆をお供に何杯も食べたものだ。
そうした地元の米を食べている時には何の不満も感じなかった。デンプン由来の甘味があって、噛むごとに瑞々しさを享受できる。多種多様なご飯のお供ともよく合う。互いの味を殺さず、むしろ支えあうように互いを活かす。
それと比べると、あの東京駅のおにぎりはなんて悲惨なものだったことか。米単体でも味が見事に死んでいて、かつ他のおかずの味を一切引き立てることができずにいた。これを悲劇と言わずして何という。
これが東京の米だと決まったわけではない。単に自分が立ち寄ったお店がたまたま壊滅的だっただけなのかもしれない。もしくはたまたま米問屋が誤って調子の悪い米をたまたまあのお店に入荷しただけなのかもしれない。どれにせよ、自分が不幸だったことは間違いないが。それ以来、東京では米料理を食べないようにしている。
ただ、その不幸のおかげで自分の地元に対する愛着が一層湧いたこともまた事実。特に米についてはその凄さを思い知ることとなった。今では『ごはん検定』なる参考書を読んで、米の知識を蓄えている。
今、自分がこうして文章を書き綴ることができるのも、ひとえに美味い米を食べて成長してきたからなのかもしれない。そう思うと、とても感慨深いものがある。