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怒りと理性+α

 怒りとは何だろう。

 誰々のこういうところが許せない。自分の考えを貶されて腹が立つ。つまるところ、自分の思いにそぐわないものと対峙した時に怒りが沸き起こるのだと言えるだろう。

 確かに、僕もバイト時にマナーのなっていない客に苛立ったことがあるし、公共の場でギャーギャーと騒ぎ立てるノータリン達に軽く○意(自粛)を抱いたこともある。僕自身がここではこういう風にしないといけないと思っていて、それに反する者が現れると怒りを感じるようになる。先ほど述た例から、このような構図が浮かび上がる。


 そもそも、なぜ僕が怒りについて記述しようと思ったのか。それは先日に起きたとある出来事が発端だった。


 その出来事は大学のとある授業中に起きた。その授業では自分達が書いた小説を事前に提出し、それらについて意見を出し合う「合評」というものを行なっている。そこである言葉が飛び出した。


「この作品はわたし的に好きです。この際言わせてもらいますけど、これ以外の作品はぶっちゃけ大したことないと思います。今回のお題をちゃんと書けてないし、話についても何が言いたいのか全く分かりませんし。その点、この作品はお題をこなしてないけど話は面白かったです」


 その瞬間、教室中が凍りついたのを感じた。誰も口を開かない、沈黙の時間。それは議論の破綻に等しかった。

 それと共に、僕の中で沸々と煮えたぎるような気持ちが生成されていった。

 コイツハナゼ、イマ、コンナコトヲイッテイルンダ? スキホウダイカッテナコトヲホザキヤガッテ。チョウシニノルノモタイガイニシロヨ。

 本当に、本当に腹が立った。その言葉がどれだけ自分勝手で失礼極まりないものかを分かった上で言い出したのだろうか。それはただの感想のつもりで言ったのかもしれない。しかし、それは受講者全てを非難するものであり、ともすれば授業自体を否定しかねないものだった。

 人のことを気にするような人は、絶対にこのように横暴な発言はしないだろうと思った。

 その人物に対する不満を叫びたい衝動に駆られて仕方がなかった。頭に血が上って、手足が震えていた。どうやってその言葉を撤回させてやろうか。どうやってアイツを負かしてやろうか。そんな思考に雁字搦めに囚われていた。

 幸い同じ部活の先輩が隣にいて、「落ち着いて」と言ってくれたおかげでどうにか怒りを抑え込むことができた。あの人がいなければ、あの場がどんなことになっていたか分からなかった。おそらく、何か大切なものが壊れてしまっていただろう。時間がある程度経った今だから言えることだが。


 だが、その怒りはしばらく鎮まることはなかった。一、二週間ほど悶々とした気持ちが心中に寄生したように募り続けていた。その期間、愚痴をこぼすようにしてその事件(僕の中では合評氷結事件と呼んでいる)の話を色々な人に聞いてもらった。皆が「分かるなー」と同意してくれた上で一様に話したことは、


“どんなに腹が立ったとしても、それに一々反応してたら時間の無駄だよ。”


 その言葉が僕の怒りを鎮静させていった。本能寺の変で燃え盛ったであろう炎を思わせるほど熱かった怒り。それを清らかな水が一気に消火した。

 確かに件の人物は勝手な発言をしたかもしれない。全く礼儀のなっていない言葉で合評を中断させたのは事実だったし、文句を言いたい気持ちは他の受講者も同じだっただろう。しかし、そこで怒ることでさらに状況を悪化させてしまうのは目に見えている。答えの出ない不毛なやりとりをしたところで、やはり時間がもったいないのではないか。皆がそのように諭してくれた。

 その通りだった。反論する気など、さらさら起きなかった。問題に対して、ただ感情的に対処するのは愚策と言える。何の考えも無しに行動したところで、納得のいく答えなど出るはずもない。それに気づかせてもらえたのは本当に有難いことだった。


 今回の教訓。


 怒りは己の天敵である。


 感情というのは、例えるならドラッグに近いものだと思う(この例えはマズイか……?)。

 使い方によっては良薬として人を助けてくれるが、間違った使い方をすると毒薬として自分、もしくは他人までも傷つけてしまう。

 そして、正しい使い方を見つけるには理性が必要なのだ。ある物事に対して順序立てて考える。最も相応しい反応は何だろうかと推測する。それから実際に行動に移す。

 やはり、人間には思考は付き物なのだなと思った。






 えぇ〜。お口直しになるかは分かりませんが、前回同様、僕の体験記を書いて締め括ろうと思います。


 それは高校生の頃だった。

 通学時によく利用していた立体駐輪場でのこと。僕はいつものように自転車を取りに行くと、愕然とした。自分の自転車が他人の自転車に挟まれるように置かれてあったのだ。取り出そうにも横の自転車の持ち手や前輪に引っかかってしまい、作業は難航していく。

 すると不意に。連なって置いてあった横の自転車数台が激しい金属音と共に倒れてしまったのだ。

 端的に言って、絶望した。どうして朝からこんな目に遭わないといけないのか。当時の僕は神様を恨んだ(ワイは矮小だった……失礼しました)。

 これは放置するわけにはいかない。全く気乗りはしなかったが、渋々と自転車の位置を直そうと動いた。


 そこに現れたのが彼女だった────。


 全身黒ずくめのパンツルックという出で立ちの女性は、僕の近くまで来ると何も言わずに倒れた自転車を立てていった。僕もそれに倣って自転車を持ち上げる。

 そうして全ての自転車を起こし終わった。女性は「それじゃ」と言って颯爽と駐輪場を後にした。僕は慌てて「ありがとう、ございました」とキョドりながら礼を告げた。


 惚れた。見事に惚れました。

 今にしてみても、メチャクチャ格好良くて、クールでナイスな女性だった。

 結局その人が誰なのかは分からずじまい。顔もうっすらとしか覚えていない。それどころか、マスクをしていたから実質顔すら分からない状態だ。

 それでも、あの素っ気ない親切さが心に沁みたことは言うまでもない。良い思い出として、ごくたまに思い返したりしている。

何となくコツを掴んだかもしれません。そして、これはやはりエッセイもどきだなと思いました。

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