学長室と少女
次の日、時刻が十時を指す頃に寮を出て、現在僕達はエリーナを先頭に学院本館を歩いています。
昨日の夜は早速時間を示し合わせて、皆揃ってお風呂に行ったりしました。
今朝も皆で食事をしたり、学院の敷地内を案内して貰いながら散歩したり。こういった事は都合を合わせやすくなった今だから出来る事です。
とはいえ誰にだって生活習慣の違いがあるので、無理をして時間に合わせないように、という旨も皆に伝えてあります。
時間を理解したばかりですから、それこそ時差が正反対の国に行ったような状況も出てくるでしょうし、体調を崩さないかだけが心配です。
「ここが学長室だよぉ」
エリーナの声で立ち止まり、扉の上部を見上げると、木製プレートに「学長室」と書かれています。
本館に入り、直ぐの階段を上って二階の通路を左端まで行くと、この学長室に着くようです。
本館は、入り口を中心にL字型になっていて、学長室はL字の短い方角にあります。因みに属性学科ごとに建物自体を移動する方式です。
本館は魔法の基礎、魔力の扱い方など、基本的な部分を学ぶ建物になっていて、先生方がいる職員室や学長室もこの本館にあり、生徒会のような組織活動も本館で行われています。
「うー緊張します……」
「大丈夫じゃ。恐らく、緊張した事を悔いてしまうやもしれぬ」
ツバキさんの大丈夫、という内容がいまいち理解できない僕。
今まで、初めて会う貴族の人と面と向かって対話してきた僕ですが、やっぱり今でも緊張はします。
「学長ーはいるよぉ」
ノックもせず、気軽に扉を開けるエリーナ。
「さ、皆入ってぇ」
「ここに来るのも久方ぶりじゃの」
それぞれ挨拶をしながら入室して行き、僕が最後に部屋に入ると、案外イメージ通りの内装でした。
四角い部屋の両脇には本棚がびっしりと並べられ、中心には客席用のふかふかのソファと四角の机、そして目の前には大きな理事用の机、その後ろは大きな窓とシルクのカーテン。
そして部屋の中には。
客席のソファに女の子が一人座っており、静かに本を読んでいました。見た感じ13歳くらいでしょうか。長い髪の後ろ側をツインテのように一部結ってあり、ほんのりと薄いピンク色をしています。
皆が入って来ても気にもかけず、僕が入る時にようやくチラリ、とこちらを見たくらいです。
「学長ー今帰ったよぉ。相変わらず小さくて可愛いねぇ」
「……」
エリーナはそう言うと女の子の頭をなでなでしています。
「学長、ただいま帰還しました。レイス討伐の報告が遅れてしまい、申し訳ございません。詳しくは後程に」
「学長殿、久方ぶりじゃの。相も変わらぬようで安心したのじゃ」
「学長様、ただいま帰りましたわ!沢山の経験を積んで参りましたのよ。後でお聞かせしますわ!」
「学長せんせーなんかね、騎士団のだんちょーさんが先に魔法より剣術を習えって言ってるんだけどどうすればいいー?」
次々に話しかけていきます。
女の子はプルプルと震えながら、バンッと本を机に投げつけて立ち上がると。
「ちょっとアンタ達!!一斉に話しかけないでよ、訳解んないわよ!あとエリーナ、頭なでるなっていつも言ってるでしょ!?」
……。
なにこの子。
「あの、すみません。つかぬ事をお聞きしますが」
「何よ?」
「何方でしょうか?」
「今皆が学長学長って言ってたでしょうが!アンタこそ誰なのよ!」
あ、聞き違いじゃなくてマジで学長さんらしいです。
……いえそうじゃなくて。どう考えても色々おかしいですから!!
「どうみても子供ですよね!?話を聞く限りでは相応なお歳だと聞いてるんですけど!!」
「アンタいきなり歳の話とか、私の事馬鹿にしてるの!?」
「僕を騙すサプライズか何かですかこれ!?」
「何よサプライズってちゃんとした言葉使いなさいよ!」
頭が痛くなってきました。
隣にいるプリシラは素知らぬ顔で明後日の方向を見ています。
え、なんなんですかこれ。僕がおかしいんですか?
「ええと、ミズファ。私からご説明しますね」
学長さん(仮)の横に移動しつつ僕へフォローを入れてくれるレイシア。
「……あ、はい」
「此方は、レイチェル・セイクリア様。この学院で二百クオルダに渡って学長をなさっておられます」
「……なんですって?」
「二百クオルダ前から学長をしていらっしゃます」
「……」
僕思うんです。
たまに皆、僕の事を化け物染みてるって言うんですけど、プリシラとかこの学長さんに比べたら僕なんて、最初の街で出会うスライム程度のちっぽけな存在じゃないですか?
「貴女ねぇ……。スライムって何よ? まぁ、レイチェルに関しては驚くのも無理は無いかしらね。 彼女は私と同じ「同族」だから。いえ、「同族になったと言った方がいいかしらね」」
え?それって学長さんも血を吸うって事ですか?
「別に血を吸わなければいけない決まりなんて無いわ。確かに血は最高のご馳走だし、力を行使する為に必要だから貰えるなら喜んで貰うけれど。でも生きるだけなら血は要らないし、人間と変わらないわよ」
そうなんですか。よくよく考えたら僕、プリシラの事まだ良く知らないんでした。
「私の事を知りたいのかしら? ふふ、じゃあ今夜貴女のベッドに「お話に」行くわ」
寒気がしました。
ええと、暫くそのお話は保留という事で。
「何よ、そっちから話を振ってきたくせに。その気にさせて突き放すなんて、酷いわ」
さっきから勘違いしそうな事言わないで下さい! 血ならあげますけど今は駄目です。
「ちょっとアンタ」
「あ、はい」
レイチェルさんは僕とプリシラを交互にジーっと見た後、何かを理解したように、「ま、いいわ」と言ってソファに座り直します。
「「今の」で私の事解ったんでしょ? なら私からの挨拶はいいわね。それよりアンタ、いい加減自分で名乗りなさいよ!」
自分でというのは、さっきレイシアがミズファと呼んでいたからでしょう。
「御免なさい。僕はミズファと言います。お手紙を貰ったので会いに来ました」
「銀色の髪の魔術師の噂はこの王都まで届いてるわ。 私も見てたわよ、あの馬鹿デカイ光の玉。あれを作り出し、五姫を擁してレイスを倒したのがこんな可愛い少女だったんだ」
幼い見た目に反して、妖美な笑みを浮かべるレイチェルさん。
何処となくプリシラと似た感覚を感じます。同族だからでしょうか?
「僕がした事なんて本当に些細な物で、皆の力を借りられなければ、到底レイスなんて倒せませんでした」
それに、シズカさんが居なければ僕は未だにあの暗い空間の中か、或いは森の結界を壊す為の道具になっていた事でしょう。シズカさんから力を譲り受けた後に理解した事ですが、あの結界は膨大な魔力を持つ命が直に触れると壊れるようです。僕が逃げていた時に綻んだのは、魂喰らいが僕の魂に触れた瞬間に結界の堺をまたいだ為で、そのせいで間接的に影響が出たようです。
「ま、謙虚な事は良い事だけど、アンタが言うと嫌味にしかなんないから、魔術師界隈では下手に出ないほうが身の為よ」
「あ、ええと解りました」
「さて、じゃあ手紙の返事を聞かせてくれる? あぁその前に、そこの茶色のメイド服。アンタが土姫に足る魔力を持つ子で間違い無いよね?」
「……はい、学長様。私は、ミルリアと申します。此方の……シルフィと、ウェイルの姉に辺りますが、私は父が違います」
「話はそこの姉弟から聞いてるわ。こんな極大な魔力持ち三人も固まってたのに、なんで誰も気づかないのよ。あぶないじゃないの」
「そうは言うがな学長殿。この三人が見つかったのは、命も尽きようという瀬戸際じゃった。流石の妾でも気づけぬ」
そうです。この三人は、本当にギリギリの境界を必死に耐えて生き延びました。
この三人に対して何か悪く言う人がいるなら、絶対許さないです。
「へぇ、ツバキ。私がアンタを見つけた状況と同じじゃない」
「うむ。あの場で妾を拾うてくれた学長殿への恩、今でも忘れてはおらぬ」
「いいのそう言うのは。別に恩なんてどうでもいい。目の届く範囲だけでも助けられる命は助ける、それが私の決めた生き甲斐だから」
「相変わらずじゃの」
見た目のドレス姿も相まって、なんか口の悪いお嬢様って感じですけど、レイチェルさんは根本的な所で良い人なんですね。
「ミルリアは後で私自ら土姫の実力に足るかどうか見定めてあげる。まぁ、既にやばい魔力が見えてるから、確認だけで終わるだろうけどね」
「解りました。ですが……その前に」
「解ってる、王に謁見でしょ。そういう訳でミズファとミルリア、入学の件お返事くれる?私の気持ちは手紙に書いた通り。後の判断はアンタ達次第よ」
手紙はレイチェルさんの口調とは逆に、優しさに溢れている文章でした。決して入学を強要してはおらず、学院はこんな風に素敵な場所だという旨が書いてありました。
「現時点では保留させて下さい。王様に謁見後、僕達は海底神殿に挑戦しなければならないので」
「なんでまた海底神殿なんかに?あそこって転移魔方陣区域以外は完全に攻略されたし、お宝なんて残って無いんじゃない?」
あれ、なんか場所的に未踏の地っぽいのに、既に攻略されてるんですか?
「レイチェル。ちょっといいかしら」
「あら久しぶりね、プリシラ「さん」。以前神都で会った際はこの世の不幸を一身に受けたような顔をしていたのに、随分見違えたんじゃない?」
「お陰様で。今はその話はいいわ。海底神殿についてだけれど。その転移魔法陣区域の先に、まだ古代魔法具があると踏んでいるの」
「あの区域は以前から怪しい場所ではあったわね。けど踏み込んだら最後、一生ダンジョンから出てこれない危険なトラップよ? 未だに転移トラップを攻略できたパーティーは存在していないみたいだし」
成程、今の話を聞く限り安全な場所は攻略されているけど、危険な場所は手付かず、という感じみたいです。けど、疑問に思う部分があるので質問してみる事にします。
「あの、海底神殿ってそんなに簡単にいける場所なんですか?」
「アンタ、そんな事も解らないのに挑戦しようとしてたの?」
「はい、御免なさい」
「早死にするわよ、そんな適当な生き方してると。で、行き方なんだけど、海底神殿への転移魔方陣が地上にあるのよ」
「え、そうなんですか!? てっきり海に潜らないといけないのかと思ってました」
「初めて聞くとそう思うでしょうね」
古代人って僕が元居た世界よりも別の意味で技術が進んでたんじゃないでしょうか。
まぁ、元いた世界の科学も魔法のような物かもしれませんけど。
「取り合えず、保留の件は了承したわ。海底神殿に行かないといけない理由が解んないけど、聞かないで置いてあげる。聞かせてくれるんなら喜んで聞くけどね」
「それはいずれ、という事で」
「んじゃ、さっさと王に会って来なさい。海底神殿に挑戦するなら色々面倒見てあげるから、またここに来る事。解った?」
「解りました、有難うございます!」
僕は元気に返事をするとレイチェルさんにお辞儀をします。
「さて、ウェイル」
「うん?」
「さっき剣術指南役が来てたわ。いつもの場所にさっさと行って来なさい」
「はーい!それじゃあミズファ姉ちゃん頑張ってきてね!」
「うん、ウェイル君は剣術も学ばないといけないから大変でしょうけど、頑張ってくださいね!」
レイチェルさん、さっきの話ちゃんと聞き分けてたんですね。
「シルフィ、アンタもそろそろ初等部に戻りなさい。レイスの森の件は後で聞いてあげるから、戻る際はちゃんと先生達に挨拶して行きなさいよ」
「解りましたわ、学長様!ミズファお姉さま、それでは私も失礼致しますわ。お姉さまのご無事をお祈りしてますの」
「うん、シルフィちゃんも親孝行の為、頑張ってくださいね!」
二人の姉妹はそれぞれ目的の場所へと戻っていきました。会おうと思えばいつでも会えるので、二人とも元気で別れました。勿論、いつでも会える理由は僕の移動魔法です。
さて僕も早速、王様への謁見を済ませてしまいましょう。




