表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い絵画  作者: 深江 碧
9/79

序9

 洋太は高い門扉の前で、立ち尽くしていた。

 洋館の門の前までやってきたものの、中に入る決心がなかなか付かなかったのである。

 入れば、もう後戻りは出来ない、洋太にはそんな気さえするのだ。

 昨日、洋館の門の前に来たときも、同じような感じはしたのだが、その時は好奇心の方が勝っていて、迷うことなく洋館の中に入り込んだのだ。

 だが、今度は状況が違う。

 洋太は既に殺人現場を目撃しており、次はもしかしたら自分の番かもしれないのだ。

 今度こそ、自分の命が危ういかもしれない

 洋太はつばを飲み込む。

 不意に背後で鳥の羽音が聞こえたような気がした。

「何してるのさ」

 突然、背後から声を掛けられ、洋太は心臓が飛び出すほど驚いた。

 洋太が慌てて振り向くと、そこには肩に手提げカバンを下げた、銀髪紅眼の少年が立っていた。

 手提げカバンの中には、野菜や肉や卵などの食料品がいっぱいに詰められている。

 どうやら買い物帰りらしい。

 少女の使用人兼護衛というのは、まんざら嘘でもないようだ。

 少年はあごで門を指して、素っ気なく聞いた。

「入るの? 入らないの? どっちかにしてよ」

 洋太は慌てて道を譲る。

 まだ、入る決心は付かなかった。

 少年は鼻を鳴らし、門に手を掛ける。

 昨日まで掛かっていた錠は、もう付いていなかった。

 門は耳障りな音を立てて開き、少年はその隙間を通り抜けていく。

 通り抜けてから、足を止め、洋太を振り返った。

「僕はあんたが嫌いだから、どうなろうが知ったこと無いけど。忠告はしといてやるよ」

 洋太が何も言えず立ちつくしている間にも、少年は話し続ける。

「もし、今度あんたが似たような状況になっても、僕は助けてなんかやらない。自分で招いた事態は、自分で切り抜けるんだね」

 少年の言葉が、昨日女性を殺した時のことを言っているのは、洋太にも何となく察しが付いた。

「だからって、あの人を殺すことはないだろう!」

 声を荒げて言い返す洋太に、少年は呆れた顔をする。

「やはりあんたはサル以下の知能の持ち主なんだな。いいかい。あいつは人間じゃない。絵画に宿った、ただの思い出の残りカスなんだ。あんたみたいな頭の悪い奴を、自分の空間に取り込んで、精神を絵の中に閉じこめる。そうなったら、取り込まれた人間は一生植物人間か、悪くて死だ」

 少年の目には、洋太に嘘を教えてからかっている様子はなく、冷たい感情だけが宿っている。

「あの絵は、今までに何人もの人間の精神を取り込んで来たんだ。それを持ち主から預かり、僕らが沈静化し、洋館の地下室にしまっておいたんだ。それなのに、あんたがまたあいつを覚醒させて、挙げ句精神を取り込まれそうになって。それを助けてやったってのに、今度は人殺し扱いかい? これだから何も知らない馬鹿は扱いが難しいんだ」

 洋太は一歩後ろに後ずさった。

 一息に少年に言われ、洋太は返す言葉もない。

「う、ええと」

 洋太が言葉に詰まっている間に、少年は背を向け、さっさと洋館の玄関の前まで歩いていく。

「あんたが、昨日の事を忘れて、誰にも言わず、もうここには来ない、って言うのなら、それでもいいよ。でも、あんたがこれ以上首をつっこむつもりなら、サティの話だけは聞いといたほうがいい。無理強いはしないよ。何も知らない方が、もしかしたら幸せかもしれないね」

 最後は、自分に向けてのつぶやきだったようだ。

 その端正な横顔に、わずかに影が落ちる。

 少年は洋太振り返らず、扉を開け、家の中に入っていく。

 取り残された洋太は、門の前に立ちつくし、少年の消えた扉を見つめていた。

 洋太の頭の中で、ぐるぐると少年の言葉が回り続ける。

 ――何も知らない方が、もしかしたら幸せかもしれないよ。

 引き返すなら今のうちだ。

 何もなかったことにしろ。

 これ以上あいつらと関わるな。

 関われば、きっと今のような平凡な生活には戻れない。

 頭ではそれを理解していても、洋太の答えはもう決まっていた。

 後戻りはしない!

 洋太は決意を固め、門に手を掛けた。




「どうぞ、楽にしてください」

 通された居間は、洋太の家より数倍広く、数倍豪華だった。

 細かい彫刻に彩られたテーブルに、使い込まれたソファ。天井にはシャンデリアが吊され、まぶしい輝きを放っている。壁際をところ狭しと埋める家具達も、一つ数百万も値の張りそうな物ばかりだった。

 洋太は屋敷の中をじっくりと見たのは、これが初めてだった。

 いつも外から見るだけだった洋館に、まさか入れる日が来ようとは。

 洋太は好奇の目で部屋の中を見回した。

「少々散らかってはおりますが、ご容赦ください」

 少女は困ったように頬を染め、洋太に頭を下げる。

 洋太は少し考えて、押し黙った。

 あまりに聞くべき事が多すぎて、何から聞けばいいのか洋太自身も考えてなかったのだ。

「え、ええと」

 洋太が頭をかくと、少女は青い目を細める。

「そう、ですね。まず、昨日のことについてお話しましょうか。大体のところは、シェスに聞いたと思いますが、あなたが昨日目にした女性は、じつは以前ある絵のモデルになった、実在した女性なのです。彼女の名はジャンヌ・サンド。サンド子爵の愛人だった方です」

 そう言って、シェスが部屋に持ってきた一枚の絵画を指し示す。

 そこには、昨日見た女性がそのままの姿で描かれていた。

「彼女は病弱で、あまり長生きは出来なかったようです。肖像画が描かれて間もなく、他界したと聞いています。子爵との間に息子を一人もうけたようです。自分の短命が思い残りだったのでしょうか。彼女の強い思いがこの絵に宿り、人を絵画の世界に取り込んでは、自分の相手をさせていたようです」

 洋太は、昨日女性にお茶を勧められた時のことを思い出す。

「あの紅茶やお菓子を口にした者は、二度と現実の世界には戻れません。あれらには彼女の強い思いが込められているのです。囚われた者の精神は、身体と引き離され、永遠に絵の中を彷徨うことになるのです」

 洋太はいまいち実感がわかなかった。

 精神が何たらと言われても、ピンと来なかったのだ。

 まだ絵の表面に大きな口ができて、人を丸呑みにする光景の方が、洋太には違和感がなかった。

「ええと、要するに昨日の女性は死んだ人間で。この絵の中で、何か食べると、死んじゃうって事だよね」

 サティはゆっくりとうなずく。

「その通りです。私たちはこの絵を描いた作者を調べました。この絵と同じような画風絵が、同じような事件を引き起こしているのです。残念ながら、この絵を描いた作者のことは詳しくは分かりませんでしたが。私たちはこの作者が描いた作品を“黒の絵画”と呼んでいます。この女性の絵も“黒の絵画”の一つなのです」

 サティは運ばれてきた紅茶を口に含む。

「一応言っておきますが、この紅茶は大丈夫ですよ」

 大丈夫と言われても、洋太はすぐには目の前に出された紅茶を飲む気がしなかった。

 紅茶のカップをソーサーに戻し、サティは話を続ける。

「あなたはどうやら、そう言った類の美術品を、覚醒させる能力があるようですね」

 少女の背後に控える少年の眉が跳ね上がる。

 目に見えて少年の顔が不機嫌になるのがわかる。

「覚醒させる能力があると言うことは、沈静させることも出来るのでしょうが、今のあなたは無自覚のまま、その力を使っているようですね。それは、とても危険なことです」

 洋太は自分の力が、どうのと言われても、またまたピンと来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ