3-11
その日は美術館の仕事が早く終わり七時には帰途につくことができた。
美術館の坂を下る途中で、洋太の後ろから一人の少女が駆けてきた。
洋太が振り返ると、少女は彼のそばで立ち止まる。
「お帰りですか、洋太さん? よかったら一緒に帰りませんか」
それは肩に鞄を持ったサティだった。
洋太はサティを一瞥し、苦笑いを浮かべる。
「いいけど。俺といると、またシェスに怒られるかもよ?」
サティは予想外の人物の名前に、青い目を丸くする。
「シェスが、ですか?」
あごに手を当てて考え込む。
「とりあえず、歩こう」
洋太は肩をすくめ、歩き出した。
「あ、待ってください」
サティは洋太の後を追いかける。
洋太はのんびりと坂を下りていく。
冬が近いこともあり、辺りは既に真っ暗だった。
道のあちらこちらにぽつりぽつりと街灯が灯っている。
――やっぱり、夜道を女の子一人で帰す訳にはいかないよなあ。
洋太はそんなことを考える。
隣にはサティが並んで歩いている。
サティは洋太より頭一個分小さい。
洋太は特別身長が大きい方ではなかったが、サティも女性にしては背の高い方だった。
「あの、洋太さん」
歩きながら、サティがぽつりとつぶやく。
「ん?」
洋太は隣を見下ろす。
「私とシェスは、どんな関係に見えますか?」
思っても見ない質問に、洋太は返答に詰まる。
「ええと」
わずかに考える。
洋太の目から見て、二人の関係を言い表す言葉を探す。
「恋人同士、とか?」
「恋人、ですか?」
言ってから、洋太は違うと判断した。
慌てて首を横に振る。
「い、いや、やっぱり、主人と主従、かな?」
二人の様子を思い浮かべてみて、やはりどこかが違うと考える。
「えっと、兄妹? 家族、みたいなものかな?」
言えば言うほどわからなくなった。
洋太は首を捻る。
「ごめん。やっぱり違うかも」
腕組みをして考え込んでしまう。
隣を歩くサティは、心持ち落胆したようだった。
「すみません。変なこと聞いて」
洋太は首を横に振る。
「い、いや、俺の方こそ」
洋太は言葉で表現することが苦手だ。
相手を判断するのは、友達の光治や真奈美の方が得意だった。
「二人なら、上手い言葉で言ってくれると思うけど」
洋太は苦笑いを浮かべる。
首の後ろをかく。
サティはふっと口元に笑みを浮かべる。
「私、八歳の時からシェスと一緒にいたので、今更、どうすればいいのか、よくわからないんです」
ぽつりとつぶやく。
「八歳?」
洋太は素っ頓狂な声を上げる。
自分が八歳の時を思い出してみたが、鼻水を垂らして野山を駆け巡っていたことしか記憶にない。
サティは静かに話し続ける。
「私は、シェスのことを家族か何かのように思ってきました。今までも、これからも、ずっとそうだろう、と思ってきました。でも、彼の方は違ったみたい。彼は、私のことを好きだと言ってきました」
「へっ?」
洋太はそれを自分が聞いてはいけないことのように思えた。
思わず息を飲む。
サティは照れたように笑う。
「あ、いえ、実際にそう言われたわけではなくて。た、多分、異性とキスをするということは、そういうことじゃないのかな、と思っただけですけれど。そ、それとも、シェスは私をからかっているのでしょうか?」
サティは口元に手を当て、顔を赤くする。
今度は洋太が返答に困る方だった。
「え、ええと」
やはり光治や真奈美であれば、的確な返答をしてくれるのだろうが、洋太には気の利いたことは言えなかった。
ひたすら答えに困るばかりだった。
「う、うんと、そ、それは、サティの気持ちが大事で。サティがシェスのことを好きならば、それでいいし。嫌いなら、別れるしかないんじゃないかな?」
夜空の星を見上げながらつぶやく。
視線を地上に戻すと、サティは深刻な顔で考え込んでいた。
「やはり、そうですよね」
胸元に手を置いて、息を吐き出す。
そうしているうちに目的地に着いていた。
二人は洋館の門の前で立ち止まる。
サティは洋太に頭を下げる。
「今日は、本当に、ありがとうございました」
洋太は手を振る。
「いや、こっちも相談に乗ってあげられなくて、ごめん」
「いいえ、私の方こそ、変なことを聞いてしまって、ごめんなさい」
門の前でお互い頭を下げる。
洋太が何気なく顔を上げると、洋館に明かりが灯っていないことに気が付いた。
「あれ? 真っ暗だ」
洋太は屋敷の窓に明かり一つ点っていないことに気がつく。
それにつられてサティも窓に目を向ける。
「どうしたんでしょうか?」
不思議そうに首を傾げる。
「家に誰もいないの?」
洋太が尋ねると、サティは首を横に振る。
「そんなはずはありません。シェスが家にいるはずです。今日はどこにも外出しないと、朝言っていたはずですが」
門を開け、石畳の上を歩く。
サティが鍵を取り出す間、洋太はバルコニーの上の窓を眺めていた。
バルコニーの窓には誰の姿も見えない。
部屋のカーテンは開け放たれたままだった。
玄関の鍵を開け、サティは扉を押す。
「シェス?」
玄関の扉の向こうは完全な闇に閉ざさていた。
サティの声がむなしく木霊する。
「おーい! シェス!」
洋太も大声で呼びかけてみる。
耳を澄ませてみても返事はない。
「とりあえず、中に入ってみようか」
洋太は廊下に足を踏み出す。
手探りで壁の電灯のスイッチを探す。
「明かりのスイッチはどこ?」
サティは申し訳なさそうに、首を横に振る。




