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黒い絵画  作者: 深江 碧
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序6

 転ばないように懐中電灯で足下だけを照らし、洋太は走り続けた。

 所々に曲がり角があったが、深く考えずほとんど勘で角を曲がっていった。

 何番目かの角を曲がったとき、急に階段が目の前に現れた。

 洋太は勢い余ってそのまま地下への階段を転がり落ちていく。

 階段が直角に折れ曲がっている場所で、洋太は壁に体を打ち付けた。

「ぐっ!」

 階段の曲がり角の壁に背中からぶつかり、洋太は痛みで息がつまった。

 痛みが治まるのを待って、洋太は背中をさすり、ゆっくりと立ち上がる。

 身体を丸め、とっさに受け身を取っていたせいか、特に強く痛む部分はなかった。

 洋太はゆっくりと起き上がり、階段を転がる落ちる前に持っていた懐中電灯を探す。

 周囲を手探りで探してみてもそれらしい物は見つからない。

 そもそもこの完全な闇の中で、少しでも光があろうものなら、すぐに見つかるはずである。

 見つからないということは、落ちてくるときに電灯が消えたか、洋太から見えない位置にあるかのどちらかだ。

 洋太は、もう自分が目を開けているのか閉じているのかさえ分からなくなった。

 暗闇で、耳が痛くなるほどの静寂。

 自分の心臓の音が、緊張のため妙に速く聞こえる。

「だ、大丈夫だよ。何を怖がっているんだろう、俺」

 頬をばしばし叩いて自分を奮い立たせ、洋太は壁に手を付いて、一歩一歩探るように階段を降りていった。




「へーくしょい。へーくしょ!」

 洋太は二回連続でクシャミをし、鼻をすすった。

「うー、さぶ」

 両手で服の上から腕をさすり、洋太は下への階段を下りていた。

 肌に感じる空気の冷たさは、階段を降り始めた頃より、二、三度低く感じられる。

 随分前から全く変わらない闇の中を、洋太は延々と歩き続けているように感じる。

 何も持っていないので、時間を知るすべはない。

 まだ歩き始めて五分とも感じるし、一時間以上歩いたようにも思える。

「こんなことなら、デジタルの腕時計はめとくんだった」

 洋太は歩き始めて何度目かの溜息をついて、壁に手を当て座り込んだ。

 壁の感触も前から変わらず、大きな石組みの感触が手から伝わってくる。

 ただ、洋太が知っているどの種類の石とも違い、硬くもなく軟らかくもない、不思議な肌触りがした。

 階段から転がり落ちる前に、灯りの下で見た限りではただの石に見えたから、多分そうなのだろうと勝手に納得しているだけだった。

「こう暗くちゃ、石の種類も確かめようがないしなあ。せめて、灯りか何かあればなぁ……」

 洋太がぶつぶつと文句を言って、また歩き出そうと立ち上がった途端、ぼんやりとした光が壁から放たれた。

「へ?」

 淡い緑色の光が、洋太を中心に広がるように、辺りを照らし出していく。

 その光は、懐中電灯の灯りほど明るくはなかったが、階段を降りるには十分であった。

「えと」

 洋太はしばらく呆気にとられ、やわらかい緑の光に見入っていた。

 はたと思いついて、洋太はさっき手を付いた壁に向かって丁寧にお辞儀した。

「とりあえず、ありがとうございます」

 一礼してから、洋太はまた階段を降り始めた。

 何故壁が突然光り始めたのかとか、この光は何なのかとか、あまり細かいことを洋太は疑問に思わなかった。




 それからしばらく階段を下りたところ。

 階段がようやく途切れた先は、ちょっとした広間になっていた。

 天井までの高さは、数メートルほど。

 部屋全体の大きさまでは分からなかったが、かなりの広さがあることは洋太にも分かった。

「地下に、こんなに広い空間があるなんてなあ」

 壁と同様に薄緑の光を放っている天井を見上げ、洋太はごくりとのどを動かした。

「す、すげー、すげー! なんて言うのか、映画とかでよく見る謎の隠し部屋みたいだー」

 洋太は手をぶんぶんと上下に振って、子供のように素直に感動した。

 不意に、洋太の前方に気配が生まれる。

 暗闇の中に動くものが見えたのだ。

 彼は慌てて視線を下に戻すと、光の中に浮かび上がるように一人の女性が立っていた。

 年の頃なら三十代半ば。

 栗色の長い髪を後ろでまとめ、髪と同じ色の丸い瞳は、洋太を真っ直ぐに見つめている。

「あら、あなたは初めて見る顔ですね。新しくいらした方なの?」

 女性は、落ち着いた焦げ茶色のドレスを着て、洋太に優雅に微笑む。

「え? えーと、まあ、そんなところです」

 洋太はしどろもどろ応え、頭をかきつつ視線をあさっての方に向けた。

「そう。なら、わたくしとお茶でもいかが?」

 女性が軽く手を振ると、景色が一変し、クリーム色の落ち着いた雰囲気の部屋に変わった。気が付けば、洋太は天井からの明かりの下、ベージュの絨毯の上に立っていた。

 部屋の中には、値の張りそうな家具ばかりが置いてあって、まるで富豪の邸宅の一室であるかのようだった。

「さあ、どうぞ」

 女性が向かいのソファに腰掛けるのにつられて、洋太もソファに腰掛ける。

「し、失礼します」

 頭はまだ混乱していたが、どうやらこれは夢ではないらしい。

 目の前のテーブルには、ティーカップ一式と、湯気を立てたポットが、砂糖を入れた銀の器が、ティースプーンと一緒に置かれていた。

 女性がポットを持ち、カップに温かい紅茶を注いでいく。

 その隣には籐で編んだかごの中に、マドレーヌやクッキーなどのお菓子が、山のように盛られている。

 琥珀色の液体が入ったカップを洋太に勧め、女性は自分のカップを手に持った。

「どうぞ。お口に合うかどうか、分かりませんが」

 言って、女性はカップに口を付けた。

「そ、そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて……」

 洋太はカップをつかみ、紅茶の甘い香りを嗅いだ。

 そして、カップに口を付け紅茶を飲もうとした瞬間、乾いた音を立てて、洋太が手に持っていた陶器の器が粉々に砕け散った。

「あちっ!」

 陶器の器の破片と共に、熱い紅茶が手に掛かかり、洋太は悲鳴を上げる。

 慌ててソファから立ち上がり、辺りを見回すと、部屋の隅にいる少女と目が合った。

「そのお茶を、飲んではいけません」

 少女の凛とした声が、部屋の中に響き渡る。

 洋太から少し離れた位置に、青い瞳の少女が立っている。

 背後には少女の従者が、渋い顔をして控えている。

「ここで何かを口に入れれば、あなたは元の世界に帰れなくなります」

 サティの静かな声に、洋太は冷水を浴びたかのように頭がはっきりしてくる。

「僕は別にこのサルがどうなってもいいんだけどね。でも」

 シェスが一歩前に踏み出すと、部屋の景色が奇妙に歪む。

 ベージュの絨毯が消え、あちこちに暗い石壁が現れる。

 女性はヒッと呻き声を上げ、ソファから立ち上がり部屋の隅に後ずさる。

「あんたがここにいるとなれば、話は別だ」

 シェスは地面を蹴る。

 瞬時に間合いを詰め、逃げ出そうとする女性の背後に回り込む。

 すかさず女性の右手をつかみ、背中へとひねり上げる。

 その隙に、サティは洋太に歩み寄り、声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

 洋太は二、三度瞬きし、サティの顔を見上げる。

「ええと、一体何がどうしたのか、さっぱり」

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