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そこでようやく事態が飲み込めたような気がした。
これは無関係なサティが首を突っ込んでいい事柄ではない。
公爵家の、ひいては姉弟間の個人的な事柄なのだ。
自分がどうかしていたのだ。
黒い絵画に関することや、洋太やレヴィアのこと、シェスの態度に関してのことで、頭が一杯だったのだろう。
冷静な判断が欠けていたのだ。
サティは慌ててかぶりを振る。
「シェス、私が悪いのです。た、確かに相手の態度には驚きましたが、元はと言えば私の考えが至らず招いたことです。シェスには心配を掛けました」
サティは男に向き直り、水路の中から頭を下げる。
「あなたには、本当に迷惑をお掛けしました。本当に公爵様ならば、首をはねられても、きっと文句は言えないのでしょうね」
男は奇妙なものを見るような表情になる。
シェスはサティの態度にあきれ果てた。
「死にそうになったのに、よくそんなことが言えるね。謝罪するなら、場所と場合と相手を選ぶことだね」
サティは困った顔を浮かべる
「そうは言われましても、相手の事情も知らず、口を出した私が元々いけなかったのですから。本来ならば、自分で責任を負うべきです。それに、あなたの忠告も無視してしまいましたし」
自信なくつぶやくサティの横顔を見て、シェスは渋い顔をしてそっぽをむく。
「これ以上用がないなら、さっさと行きなよ。それともこちらで騒ぎを起こしたいのかい?」
男はまだ何か言いたそうだったが、結局何も言わずに消えた。
足音もしなかった。
水面を渡る湿った風が通り過ぎる。
「シェス、あの」
サティが何か言うより先に、シェスの手刀が頭に決まった。
唖然とするサティを、シェスは冷ややかな紅い瞳で見つめる。
「何か、言うことがあるだろう?」
シェスに視線を配ると、彼女と同じように胸まで水に浸かり、服は濡れそぼっていた。
「ご、ごめんなさい。こんな夜に起こしてしまって。今日は疲れていたんですよね? 早く着替えないと風邪をひいてしまいますよね?」
「違う!」
二発目の手刀が頭に入った。
多少手加減されているとはいえ、サティには痛かった。
「今日のシェスは変ですよ。私に何か不満でもあるんですか? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってください」
サティは頭を押さえ、身構える。
次の手刀はこなかった。
サティは恐る恐る顔を上げる。
するとシェスが恐ろしい形相で、サティを見下ろしていた。
「へえぇ、言っていいのか? ずっと言わないでいたことを、言ってもいいのかな?」
「え、ええと」
サティは口ごもる。
躊躇っているうちに、シェスにがっちりと腕をつかまれる。
「わかった。あんたがそのつもりなら、言ってやろうじゃないか」
ずるずると引きずられていく。
「い、いえ、あの、シェス?」
シェスの腕を振りほどこうとしたが、力が強くてサティの力ではどうにもならない。
水路から路地に上り、建物の扉へと引きずられていく。
「や、やはり、今夜は遅いので、また明日にしませんか?」
サティのささやかな訴えは、シェスに黙殺される。
結局その晩は、サティは一睡もさせてもらえなかった。
夜明けまで正座で床に座り、シェスの説教を聞き続けたのだった。
水路での一件を窓から眺めていた真奈美は、呆れ果てて言葉も出なかった。
「仲がいいね、あの二人」
二人が建物の中に消えてから、光治はぽつりとつぶやく。
「夜中に二人で、何やってるかと思えば」
「いやあ、若いっていいねえ」
「親父くさいわよ、光治」
「人生の先輩といってくれよ」
「はいはい」
真奈美は光治を適当にあしらう。
付き合いが長いので、もはや夫婦漫才のようになっていた。
「ねえ」
「ん?」
「あの二人のそばにいたら、ますます手がつけられないことに洋太が巻き込まれるんじゃないの」
「あー、そうとも言うかも」
「どうすんのよ」
「どうするって言われてもなあ。むしろそうなれ!」
「この馬鹿!」
鈍い音がして、それきり部屋の中は沈黙した。




