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黒い絵画  作者: 深江 碧
二章
41/79

2-11

「お久しぶりです。ジェファニー・ラウさん」

 サティは部屋に入るなり、深々と頭を下げる。

 キャンバスの前に座る四十代ほどの女性は、こちらに気がつくと頭に巻いていたターバンを外し、薄いブラウンの髪が肩まで広がった。

「ひさしぶりね、サティ。あなたは相変わらずね」

 椅子から立ち上がり、サティを抱きしめる。

 サティは困ったように笑い、彼女が離れるのを待つ。

「今日は、この写真を見てもらいたくて、来ました」

 手渡した写真は、黒い絵画のひとつといわれている絵を写したものだった。

 ジェファニーは手に写真を持ち、目を凝らす。

「今回の絵は珍しい種類のものね。この絵はどちらかというと、死者の追悼というより生者の歓喜といった側面が強いみたい。今までにはない画風だわ」

 サティに近くの椅子をすすめる。

 「やはりそう思いますか。これは今までの作品とは趣が違っています。なんというのか、暖かい雰囲気というのか」

 すすめられて、サティは椅子に腰かける。

「んー、でもこれは間違いなく黒い絵画だと思うわよ」

 ジェファニーは写真に興味を失ったようで、サティに返す。

 首を巡らせ、薄暗い天井のはりを見上げる。

「作者に心境の変化でもあったんじゃない?」

「え?」

 サティは首を傾げる。

「絵の対象が変わるってそういうことでしょ? 要するに、作者の気が変わったってこと」

「そ、そうですか?」

 戸惑うサティの青い瞳を、ジェファニーはひた見据える。

「サティ、あなたが何を聞きたいのか知らないけど。私はこの絵を描いた人が、そんなに悪い人じゃないように思えるのよ。同じ画家としてかもしれないけど、絵には描く人の性質が表れるからね。今までの絵はともかく、この絵からは特に悪意は感じられないわ」

 ブラウンの髪をガシガシとかいて、ジェファニーは散らかった部屋の中を一通り見渡した。

 うつむいているサティの顔を覗き込む。

「本当は、別の事が聞きたかったんじゃないの? 顔にまだあります、って書いてあるわよ?」

 組んだ足の上に頬杖をついて、挑発するようなまなざしを向ける。

 サティはややためらってから口を開いた。

「ジェファニーさんは行方がわからなくなった人の居場所を突き止めることができましたよね? 確か、過去視とかいう力をお持ちだとか」

 ジェファニーはまさかそちらの方へ話題が飛ぶとは思っていなかったらしく、目を丸くする。

「ええ、そうだけど」

 サティはひざの上に置いた手を握りしめる。

「実は、洋太さんがここへ来る途中、列車の中でいなくなったんです。それで彼がどこに行ったのか、無事なのかが知りたくて」

 ジェファニーはあごに指を当てる。

「ふーん、洋太って確か、私と同じように不思議な力を持ってるっていう?」

「ええ。でも洋太さんはジェファニーさんと違って、まだその力の使い方がわからないらしくて」

 サティは言いよどむ。

「ま、いいでしょ。似たような力をもった者同士、助け合っていかなきゃね。それで彼の持ち物は持ってきてるんでしょうね?」

「はい、ここに」

 サティが取り出したのは列車の中で洋太が忘れていった腕時計だった。

 腕時計を手の平の上に乗せ、ジェファニーはそれに右手をかざした。

 ゆっくりと目を閉じる。

「彼は、この腕時計の持ち主は、こちらに向かってるみたいだね。大丈夫、元気そうだよ」

 サティは胸をなでおろす。

「よかった。洋太さんは無事なんですね」

 安堵の息をついたサティは椅子から立ち上がり、ジェファニーに頭を下げる。

「本当に、ありがとうございます。ジェファニーさん」

 ジェファニーは肩をすくめる。

「どういたしまして」

 顔を上げたサティは、まだ戸惑ったような表情を浮かべている。

「それで、あの。他にも、ジェファニーさんに相談に乗ってもらいたいことがあるのですが」

「まだあるのかい? サティも色々苦労が多いねえ」

 素っ頓狂な声を上げる。

「個人的なことで悪いのですが。実は、シェスについてのことなんですが」

 そう言って、サティは昨夜の列車での一件を話し始めた。

ジェファニーに話を聞いてもらったサティは、ゆっくりと薄暗い階段を下りていく。

「いつも、ありがとうございます」

 階下にいた店の主人に礼を言うと、喫茶店内をぐるりと見回した。

 ジェファニーに受けた助言を、一刻も早くシェスに伝えたかったのだ。

「シェス?」

 いつも黙って傍らに控えている従者の姿は、どこにも見当たらなかった。




 首が痛くなるほどの高い山を見上げ、洋太はため息をついた。

 進路を阻むかのようにそびえ立つ山は一つか二つどころではなかった。

 ヨーロッパの背骨、アルプス山脈。

 数千メートル級の山脈に、洋太はもうため息しか出てこない。

「さすがに、これを真っ直ぐ突っ切るのは大変そうだなあ」

 隣に立つレヴィアはいつもと変わらない様子で洋太に笑いかける。

「それでは、わたしが洋太さんを背負っていきましょうか?」

「へ?」

 わけがわからないまま洋太は旅行かばんを背中に結びつけ、レヴィアの背中に負ぶさった。

 シシルは洋太の背中にしっかりとつかまっている。

「本当はレヴィ様にこんなことはさせたくないのですが、先を急いでおられるとのこと。今回だけですぞ」

「しっかりつかまっていてくださいね」

 レヴィアは洋太がしがみついたのを確認すると山に向かって走り出した。

 目の前に切り立った崖がぐんぐん近づいてくる。

「わあ、ストップ、ストップ! ぶつかっちゃうよ!」

 洋太が崖に衝突すると思った刹那、下に引っ張られる感覚とともに視界が上昇していく。

さっきまでいた地面が遥か眼下のものとなり、三人は宙に浮かんでいた。

「すごい」

 その雄大な光景をじっくり観賞する暇もなく、今度は重力に引っ張られ落下し始めた。

「ぎゃー、落ちる!」

「洋太さん、あまり騒ぐと舌を噛んでしまいますよ」

 レヴィアの忠告は唸る風にさえぎられ、洋太の耳まで届かなかった。

 山脈を越えたころには洋太は酔っぱらって、しばらくは立ち直れない状態になっていた。

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