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黒い絵画  作者: 深江 碧
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序2

 夜空に浮かぶ、霞んだミルク色の月の光を受け、黒い学生服を着た一人の少年が道路を歩いていた。

 年の頃なら、十六、七才。

 ちょうど少年と青年の境目の年頃だろう。

 短い茶色の短い髪に、背には紺色のリュックを背負っていた。

 彼の名前は山敷洋太。今年で高校二年生になる。

 始業式が終わり、平常授業が始まった辺り。

 通りに植えられた桜並木はすっかり花びらが散って、薄緑色の若葉を茂らせている。

 こんなに遅くなったのは、別に洋太が部活動に励んで遅くなったからではない。

 基本的に洋太は部活に入っていなかった。

 助っ人としては、一時的に運動部に籍を置くことはあるが、真剣に取り組む部活動はない。

 今日は、学校でダラダラと無意味に時間を過ごし、家への帰途に着いた。

 特に家が嫌いというわけではない。

 家族と仲が悪いわけではなく、ほどほどにうまくいっていると洋太は思っている。

 だからといって、学校が楽しいというわけでもない。

 洋太は問題児ではないが、特別勉強ができるというわけでもなかった。

 言ってみれば、運動ができること意外は、全く普通の高校生だ。

 先生に目を付けられるでもなく、生徒からいじめを受けているわけでもない。

「はぁ」

 洋太は夜空を見上げ、大きなため息をついた。

 ため息の原因は、最近面白いことがないということだった。

 一年の頃は、高校に慣れるまで毎日が大変だったが、慣れてしまうと目新しいこともなく、毎日が平凡に過ぎていく。

 平凡に毎日が過ぎていくことは、良いことなのかもしれない。

 現に大勢の生徒達はその毎日に十分満足している。

 しかし、洋太は今考えてることを口にする。

「暇だ~!」

 心からの叫びだった。

「ギヴミー、面白いこと!」

 洋太は無意味に月に向かって拳を振り上げた。

 昔から、洋太は暇を持て余すことが苦手だった。

 常に何かをしていないと気が済まない。

 洋太はそんな性格だった。

 最近は、授業中はもちろん、友達とふざけている時だってつまらないと思う始末だ。

 恐らく、大半の高校生が、洋太と同じ思いを抱いていると思うのだが、結局はそのまま何事もなく日々が過ぎていくのだ。

 しかし、洋太はこのまま何事もなく時間が過ぎていくのに耐え切れなかった。

「どっかに面白いこと、落っこってないかなぁ」

 腕を頭の後ろで組み、また大きなため息をつく。

 無論、面白いことが落ちているはずもない。

 そう簡単に落ちていたら、平凡な暮らしをしたい人々にとっては大迷惑である。

 道をふらふらと歩きながら、洋太はとある洋館の前を通りかかった。

 洋館の前を通るのは、洋太のいつもの通学路だった。

 近所の友達は暗くなると怖がって通ろうとしないが、彼にとっては一種の肝試しのようなものだ、と思って毎日通っている。

 見慣れた木や草の生い茂った庭。

 さび付いてきいきいと軋みを立てる門戸。

 ツタの絡みついた壁に所々黒いシミが出来ている。

 それらが白い月の淡い光に照らされ、濃紺の闇の中に溶けている。

 洋太は足を止める。

 おもむろに錠の掛かった門に近づき、庭を見回した。

 庭は荒れ果てており、長い間手入れされず、人の住んでいない事実を物語っていた。

 生い茂った草は洋太の背丈に届き、容易に庭を見渡すことは出来なかった。

 洋太はぼんやりと庭の草木を眺める。

 小さい頃に近所の友達と一緒に、この庭に忍び込み遊んだことを思い出す。

 かくれんぼをするには、この庭は最適だった。

 見かけよりもずっと広いこの庭には、様々な種類の木や草が生えていた。

 長い間人の手が入っていないはずなのに、赤や黄色や青の色とりどりの花々が、季節の巡るごとに雑草にも負けず花を咲かせるのは、子供心にすごいことのように思えた。

 花の中には一度も見たことのない珍しい花まであって、前に屋敷に住んでた人が、外国の花を植えたんだろうと勝手に納得していた。

「なつかしいなあ」

 洋太はぽつりとつぶやいた。

 不意に開くはずのない玄関の扉が、きしんだ音を立てて開かれる。

 洋太はぎくりとしてそちらを向く。

 体は緊張のため動かない。

 息さえ十分に吸うことが出来ない。

 身を硬くして、息を殺すうちに、玄関から草を踏む足音が聞こえてきた。

 ――誰か、いる。

 洋太はまるで門の柱の一部になったかのように、ぴったりと柵に身を寄せる。

 生い茂る草に視界を遮られ、人の姿は見えない。

 玄関から出た足音は庭へと歩いていく。

 土を踏みしめ、草を掻き分ける音が、洋太の耳に届く。

 洋太は徐々に落ち着きを取り戻し、好奇心から音のするほうを盗み見る。

 ――いつの間に、人が移り住んでいたんだろう?

 洋太は小さな疑問を胸に、庭木の間から微かに見える人影の様子をうかがった。

 人影は月の光を背に、黙って洋太の方へと歩いてくる。

 門の鉄の柵にしがみつき、洋太は人影を観察する。

 顔は影になっていてよく見えないが、身長は洋太より少し低く、真っ黒い服を着ていることが分った。

 明かりを持っていないのに、人影はつまずくことなく歩を進める。

 かろうじて洋太の位置から見える範囲で、人影は立ち止まった。

 庭に再び静寂が落ちる。

 しばし考える気配がして、人影は空を振り仰いだ。

 洋太もつられて夜空に目を向けると、淡い色の満月が雲に隠れるように浮かんでいた。

 そういえば、明日は雨が降ると、気象予報で言っていたことを、洋太は思い出す。

「いい月夜ですね」

 澄んだ女性の声が、洋太の耳に響く。

 慌てて視線を地に戻すと、人影はこちらを真っ直ぐに見つめ立っていた。

 年の頃は洋太と同じくらいだろうか。

 腰まである黒い髪と夜のように青い瞳が印象的だった。

 闇に溶けるような真っ黒な服を着ている。

「え? あ、うん」

 洋太はかろうじてそれだけを答える。

 洋太があっけに取られているのもかまわず、女性は言葉を続けた。

「何十年と人の手が加えられていないにも関わらず、屋敷に傷んだところはほとんど見受けられません。それにこの庭は、名前も種類も分らない、未知の草木がたくさん生えています。これこそ、先人たちの奇跡の証です」

 女性の淡々とした口調には、微かに喜びの色が混じっている。

 洋太には女性が何を言っているのか理解できなかった。

 先人たちの奇跡?

 未知の草木??

 新手の宗教だろうか、と洋太は考えた。

「本当に、すばらしいことです。あなたも、そう思いませんか?」

 女性はごく自然に、洋太を振り返った。

「え? あ、うん」

 洋太はわけも分からないままうなずく。

 上機嫌な彼女の雰囲気に飲まれ、洋太は何も聞けないでいる。

「あ、あのさ、君って」

 洋太が口を開きかけたとき、夜空から大きな羽音が聞こえてくる。

 黒い巨大な影が洋太の目の前に現れ、甲高い鳥の鳴き声が夜の空気を震わせる。

「うわっ!」

 ゆうに三メートルはあろうか。

 白い翼が目の前を覆い、血のように赤い瞳が洋太を見下ろしている。

 ――こんな夜に鳥?

 普通は暗くなってからは、鳥は飛ばない。鳥は一般的に夜目がきかないからだ。

 洋太は今までそんな巨大な鳥など一度も見たことがなかった。

 ――も、もしかして、これってUMO?

 洋太の頭を昔読んだ本の知識がよぎる。

 その瞬間、巨鳥の鋭い鍵爪が月の光に照らし出される。

 それは他の動物をいとも容易く引き裂いてしまうものだった。

「うわあああぁぁぁ」

 洋太は本能的に危険を感じ取り、弾かれたように走り出した。

 自宅を通り過ぎても、無我夢中で走りつづけ、家から五百メートルほど離れた場所でやっと我に返った。

 電柱に寄りかかり、息を整えるうちに、少女のことが頭に浮かんできた。

 直感が、あの少女に関わってはいけない、と警鐘を鳴らしている。

 また一方では、少女の言っていた言葉の意味を確かめたい、と好奇心が頭をもたげる。

 洋太はとりあえず考えることを止め、家への道を戻り始めた。

 帰り道は、できるだけ少女のことや巨鳥のことは考えず、無心に足を動かした。

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