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黒い絵画  作者: 深江 碧
一章
18/79

1-8

 石村の車から降りると、目の前には洋太が今まで見たこともないような大きさの船が浮かんでいた。

 日はすっかり落ちており、夜の黒い海にそびえ立つように鉄の塊が立っている様は、わずかなことには動じない洋太でさえ呆気にとられた。

 いつもは小さな漁船しか浮かんでいない港に、山のような客船が停泊しているのはひどく不自然に感じた。

「この招待状を入り口にいる係りの者に見せれば通してもらえる。せいぜい楽しんでくるといい」

 石村の投げやりな口調は、光治の耳にはまったく届いていない様子だった。

 光治は車から降りた当初からデジカメで船を取るのに夢中だった。

「館長も、ここの連中にはくれぐれも気を許さないようにしてくれ。特に人の言をむやみに信用せず、何を言われても気にしないのがここでうまくやっていくコツだ。いいか、くれぐれも他人を完全に信用しないようにお願いする」

 石村にしっかり釘を刺された洋太は、目の前にそびえる巨大な船を、鬼の巣窟であると認識した。

 自分にはお供のキジもサルもいないが、ここを乗り切っていくしかないと考えた。

「おーい、洋太!早く行こうぜ」

 掛け橋のたもとで光治が手を振っている。

 洋太は石村にお礼を言って、光治の元に走っていった。

 石村は洋太が掛け橋を上って見えなくなるまで、ずっと目で追っていた。

 それはまるで初めてのお使いに出る幼子を心配する、父親のような眼差しだった。




 船の中に入って大人三人は通れるほどの通路をボーイに案内され、通された二人部屋はその船で言うと中の上くらいの客室だった。

 おそらく一泊するだけで数十万はかかりそうな部屋。

 洋太の普段寝ている二倍の広さのベットが二つに、質素だが高そうな長テーブルに、壁には白いソファが置いてある。

 入り口のドアのそばにバスルームとトイレが備え付けてあり、それぞれの壁タイルに無駄と思われる程のきらびやかな装飾がほどこされている。

 白いカーテンのかかった広い窓の外はベランダになっており、そこからは夜の海が一望できた。

 ボーイに鍵を受け取ると、洋太は落ちつかなげに部屋をうろうろ探索してみた。

 洋太の最低限の荷物に対して、光治は一泊できそうなほどの荷物を部屋の中央に運んでいた。

 その中からノートパソコンを取り出し、壁側のベッドの上に腰かけ、手元のキーボードをしきりに叩いている。

「洋太」

「ん?」

 光治の声に反応し、洋太は顔を上げる。

「お前、何で館長なんかになったんだ?」

 ベットの下を探索中だった洋太は手を止め、画面から目を離さない光治を見上げる。

 光治はベッドの上で足を組み、頬杖をつく。

「はっきり言って、おれはお前が館長に向いてるいるとは思えない。だからといって不向きとも言えないが。それにお前がそれほど美術に興味を持ってるとは思えないし。それに何より、おれたちはまだ高校生だろう? そんなんでいきなり館長やれって方が無理だと思うんだがなあ」

 洋太は少し考えてから、のろのろと立ち上がる。

 窓際のベッドに腰掛ける。

「おれの言ってること、なにか間違ってるか?」

 光治の言っていることは、洋太にも筋が通っているように思えた。

 館長になってからの生活を考えて、何一つ自分でなければならない仕事はないように思えた。

 洋太の胸に今更ながら後悔の念が生まれた。

「光治、俺どうしたらいいんだろう。館長やめたほうがいいのかなあ」

 洋太はため息をつく。

 彼の弱々しい口調に、光治は目だけを動かして隣をうかがう。

「それは、おれが決めることじゃないだろ、洋太。自分自身が決断することだ。おれはただ自分の言いたいことを言っただけだ」

 洋太はうなだれ、床のタイルの継ぎを目で追っていった。

 二人の間に気まずい沈黙が漂う。

 先に光治が口を開いた。

「おれの率直な希望を言うとだなあ。おれは洋太にこのまま館長を続けてもらいたいと思っている」

「へ?」

 洋太は驚いてぱっと顔を上げる。

 光治のいたずらっぽい笑みを見つめる。

「考えても見ろよ。もし洋太が館長にならなかったら、こんな豪華客船一生乗る機会がなかったかもしれない。そう考えると、洋太が館長になったおかげで、おれにも運が回ってきたことになる。わかるか?」

 そう言われると、そうかもしれない。

 洋太は小さくうなずく。

「う、うん」

 光治は続ける。

「この調子で洋太にくっついていれば、もっと面白いことに出会えそうな気がするんだ。だからおれは洋太が館長をやってても一向に気にしない。むしろこのまま続けてくれ。頼む!」

 光治の自己中心的な意見だったが、それを聞いて洋太は館長をすぐにやめる気はうせた。

 ほんのわずかだが、もう少し続けてみようという気が起こった。

 少ししてドアをノックする音が聞こえ、ボーイに晩餐の準備ができたことを告げられた。

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