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「とうとう追いつめたぞ、怪盗M!」
夜のとある港の波止場にて。
あちこちで船の進路を示す光が明滅し、暗い海面に星のように映りこんでいる。
白いスーツをきっちり着こなした洋太は黒いマントの人影に指を突きつける。
「くっ!」
黒マントの人影は、高い塀を前に舌打ちをする。
「もう逃げ場はないぞ」
洋太は勝ち誇ったように笑う。
白スーツの洋太の背後には数十人の警官隊が控えている。
黒マントの人影をすぐにでも逮捕しようと待ち構えているのだ。
すぐそばからは低い船の汽笛が聞こえてくる。
高い塀を前にした人影は諦めたようにこちらを振り向く。
「完敗だよ、若き美術館館長君」
人影の顔には白い仮面がつけられ、素顔をうかがい知ることはできない。
全身黒ずくめで、手には黒い革の手袋までつけている徹底ぶりだった。
怪盗Mは、今や知らぬ人もいない世界中の美術館を荒らしまわる大怪盗だった。
その目的、正体もすべて謎に包まれ、今までにその素顔を見たものは一人もいないという。
美術品を盗む手口は鮮やかで、人ひとり怪我をさせずに盗む手口から、今世紀最大の怪盗、とまで言われるほどだった。
まるで物語の中にある怪盗が、現実に現れてきたかのようだ。
それに対する美術館館長こと、山敷洋太も、また物語にあるかのような優れた肩書だった。
若くして美術館の館長に抜擢され、その美術品に対する知識は学者顔負けのもの。
頭の回転も速く、冷静で的確な判断で、何度も怪盗Mの美術品盗難を未然に防いでいる。
また運動神経もよく、空手や柔道の有段者だ。
若くして将来が期待される美術界注目の人物だった。
「ふふふ」
行き止まりに追いつめた怪盗Mが低い声で笑う。
「何がおかしい」
警官隊を後ろに従えた洋太は、眉をひそめる。
今更、怪盗Mが港から逃げ出すことは不可能なはずだ。
波止場の上空には警官隊のヘリが旋回し、辺りにはアリ一匹逃さない包囲網が敷かれているはずだった。
「まだまだ甘いよ、若き美術館館長君」
怪盗Mの笑い声は止まらない。
黒ずくめの彼は、その白い仮面にゆっくりと手を添える。
「私が誰か、まだわかっていないようだね」
その仮面を外す。
「へ?」
洋太は間の抜けた声を上げる。
仮面を外した怪盗Mの顔を見て、洋太は口をぽかんと開ける。
「あ、あれ?」
首を傾げる。
その怪盗Mの顔は、洋太のよく知る人物だったのだ。
「あたしがわからないなんて、洋太もまだまだねえ」
その白い仮面の下から現れたのは、洋太の予想に反して若い女性の顔だった。
肩で切りそろえられた黒い髪、すっきりとした目鼻立ち、その顔立ちは洋太と似通ったところがある。
それは洋太のよく知る人物、姉の由紀子だった。
「そんなんじゃあ、とても美術館の館長なんて任せられないわねえ」
怪盗M、いや、姉の由紀子は大きなため息をつく。
「そうそう」
驚いたことに、洋太の背後に控える警官隊から同意の声が上がる。
洋太が振り向くと、そこには警察の制服を着た母親が立っている。
母親は警察の帽子を取り、洋太を見る。
「お母さん、あんたが館長だなんて、恥ずかしいわあ」
頬に手を当てる。
「か、母さんまで」
洋太は慌てる。
姉が怪盗の格好をしているだけでも衝撃的なのに、母親が警察の制服を着ているなんて。
洋太はとても目の前の光景を信じられなかった。
「あんたの夢が、正義の怪盗になること、っていうのは知ってたけどね」
黒マントを着た由紀子が肩をすくめる。
「あんた、館長の仕事ほっぽり出して、こんなところにいてもいいの?」
腰に手を当てて洋太に詰め寄る。
「へ?」
すると洋太の背後にいる母親からも声が上がる。
「そうよ、洋太。美術館の館長の仕事って、もっと地味で目立たない仕事なのよ」
「それをあんたは、怪盗との対決だ何だと騒ぐから。こうしてあたし達がこんな恰好をしなくちゃならないのよ? そこんとこ、わかってる?」
「そうよ、洋太」
姉と母親の声が交互に聞こえてくる。
まるで遠くから聞こえてくる山彦のように、その声は洋太の頭に響く。
「で、でも、俺は、これでも精一杯館長の仕事をこなそうと、頑張って」
言いかけて、はたと思い至った。
そうだ。こんなことをしている場合ではなかった。
館長室の机の上には、山のように目を通さないといけない書類があったんだった。
そう思った瞬間、夜の波止場の景色がぐにゃりと歪み、足元が消え、まっすぐ立っていることができなくなった。
「うわあああぁぁぁ!」
洋太は暗い穴に放り込まれたように、頭から穴の底へと落下していった。




