08
「皆さんにお知らせです。」
担任の坂部先生が帰りの会に改まった口調で生徒に呼びかけた。
「最近、学校帰りの子供に声を掛ける、怪しい女の人の話が色々でています。
知らない人に喋りかけられても付いて行かず、おかしいなと思ったらすぐに逃げるか、大声を出しましょう。」
「またかよー。」
隣の席に座る翔馬の友達、マサシが大げさに溜息をついて、マイッタ、という風に顔を斜め下へ振った。
二個下の弟が被害にあったのを皮切りに、この女の噂が駆け巡ることになったのだ。
ランドセルを背負う少年に、ワケの分からない異国の言葉を叫びながら追いかけてくる豚みたいなオバサン。
マサシが命名した"ブタバア"の通称は隣の学区にまで広がっている。
今や弟の目撃情報をさも自分の武勇伝の如く語り継ぐマサシに翔馬は辟易していたが、
友達のよしみで仕方なく聞いてやるのだった。
「良いか、しょーま。その女に会ったらケツぶっ叩いて"バクチク!!!!"って叫ぶんだぞ。
したら、逃げてくから。」
真剣な表情で、極秘情報を囁くマサシに噴出して翔馬は言った。
「バクチクぅ?効くのソレ?」
「笑うなよなー!!実際ソレで5人逃げ切ってるんだぜ。」
「ええ…自分のケツじゃダメなわけ?」
「バカ!!それじゃ痛いし、イテーと思ってる間に連れてかれるだろ!!!」
あまりに熱がこもった眼で言うマサシに、翔馬は彼の神経を疑った。
マサシは冗談なのか本気なのかたまに真意が解りかねることがよくある。
大体、弟の話だって他人の目撃談が出てくるまでは、
毎度おなじみのでっち上げ作り話に違いないと決めつけていた。
「――ばくちく、ね。解ったよ」
翔馬は適当に言って話を切り上げる。
「バクチクって…あの爆竹かな…?」
その日の夕方、翔馬はスーパーからの帰宅途中に沈みかけた日に染まる商店街を、
買い食いしたメンチカツ片手に歩きながら突如思い出したのだった。
翔馬が想像するバクチク、とはカラフルな小さいボールで、地面に投げ打つと火薬が発火して爆発する玩具だ。
上級生の男子が公園で女子たちをからかったり、そこらの野良ネコへイタズラして使っているのを見たことがある。
「バクチク!!」だなんて叫ぶよりも、本物を使えばいいじゃないか……
見ず知らずの大人のケツを叩くというハードルの高い手間をかけなくても、ブタバアは一目散に何処かへ行くに違いない。
翔馬は誰にともなくうんうんと頷いて、財布の中身を確認してから
商店街の出口に近い、馴染みの駄菓子屋へ入って行った。
何十年と変化のないだろうレトロ感満載の店内をうろつき、よろめいてぶつかればドミノ倒し方式で軒並み崩壊しそうな棚を慣れた動きで潜り抜けながら目当ての物を探す。
「なに探してんだー。」
店主がカウンターから顔を出し、翔馬の顔を確認すると表情を和らげて言った。
「翔馬か。どした、探しもんか?」
「バクチク。探してるんだけど。」
翔馬が告げると、店主は奥の住居スペースに引っ込んでから、派手な字体で"かんしゃく玉!!"と書かれたビニール袋を一つ摘んで持ってくる。
「コレか?
ガッコで禁止されてるやつ。」
「そう。」
翔馬は素直に頷き、何やら渋い顔をする店主を見て、思い出した。
これは数カ月前に学校で問題になり、プリント配布までされて注意が呼びかけられた代物だ。
店にも教師から連絡がいったのだろう、販売禁止の差し止め命令が出たので店頭に出していなかったのだ。
そして、そんないわく付きの危険物だからこそ、
子供の発想で「バクチク!!」と叫ぶ、というお呪いを誰か(恐らくマサシ)が考え付いたに違いない。
「これ、なあ…まぁ、上客の翔なら大目に見とく。
ウチが出所だって、誰にも言わんといてくれや。」
まるで麻薬ブローカーのような台詞を呟いて、店主はわざわざ中身が見えないように茶色の紙袋へ入れた癇癪玉を翔馬へ渡してくれた。
この駄菓子屋"わんぱく"は親子三代続く老舗店で、現在の主は翔馬の父親の同級生という筋金入りの顔馴染みなので軽口も毎度のことだった。
勿論、香木家の家庭の事情も承知しているのだろう、オマケだと言ってカウンターの10円ガムをサービスしてくれる。
「ありがと。」
翔馬も素直にそれを受け取った。
「わりぃコトに使うんじゃねーぞ!」
店を出る翔馬の背中に、野太い大声がかけられた。