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この世の物とは思えないほどの、幻想的かつ荘厳な、魅惑的音楽。
自転車修理の知識など全くない中、無我夢中で必死になりながらチェーンを弄る翔馬の耳を引き付けるように、雨音を遮ってそれが聞こえてきたのは突然だった。
選挙カーか、いやそれよりも間近で
ギャルの声が煩い広告トラック……よりも心地良い。
脳内を蕩かすような音色に、翔馬の思考は洗脳されるようにそれ一色となった。
音源の元を探ろうと見渡すが、相変わらずのド田舎ビューに変化はない。
と、先ほどクロームが倒れていた場所辺りで、吹き付けられた風に煽られた花びらが
渦の様に何処からともなく集まりながら舞っているのが見えた。
「ん?」
翔馬は眼を細めてそれを見詰めた。
今流行のプロジェクションマッピングという物だろうか。
その光景は、不思議としか言えないものだった。
――何もない場所から、花が生まれている?
空気に切り込みを入れたように、赤い血のような滴がぽつりぽつりと現れては、
くるくる舞って花弁を形作っていく。
それが花の形相を取って、大きな一つの塊になって。
そして流れる音楽に呼吸を合わせるように、その花は一つずつ、開閉を繰り返すのだった。
翔馬は誘われるようにバッグを胸におしつけ、その物体へ近づいていく。
そして、触れた。
「………っ!!!!!」
触れることが出来た。
ビロードの様な柔らかい感触に。
電流が走ったように手を引っ込めた翔馬は、衝撃に心臓を高鳴らせながらも眼を話すことが出来ない。
やがて、花の増殖は終わり、翔馬よりやや大きいくらいのサイズまで膨らむと鮮やかさを失い茶色く枯れていった。
雨風に負けて散り去る花々。
その中から手品の様に現れたのは、美しい羽衣に身を包んだ二人組だった。
「え…ええええええ??????」
翔馬はドッキリに引っかかった哀れなお笑い芸人のようにただただ驚き、間抜けな表情で腰を抜かした。
いつの間にか降り注いでいる天使の梯子は宙に浮かんだ彼女たちのみを明るく照らし、神々しさに拍車をかけている。
「――――――。」
瞼を開き、二人の内の小さい方が聞いたことのない鳥の囀りに似た言葉を唱えるように言ったのを聞いて、翔馬は中学の修学旅行で行った平等院の阿弥陀来迎図を思い出した。
―――ああ、自分は死んだのか、と自覚する。
田んぼへ落ちた時に、だろうか。
「――――残念ながら、迎えに来たのではありませんよ。」
背の高い方が諦めたような表情を読み取ってか、翔馬にも解る言葉で優しく呼びかけてくれる。
音楽がフィナーレらしい音を立て静かにフェードアウトしていくのを見計らったように雨雲は遠くに流れ、翔馬たちを中心にたちまち青空が広がっていった。
死んでいないにしてはファンタジックすぎる光景に翔馬は、なら頭がおかしくなったかと困惑する。
「……無所属、犯罪歴無し、この国に於ける危険思想無し。
通称ランテルディ罹患者の息子、其方の願いは聞き届けられ
資格有りと御判断なされました。」
「え?」
背の高い方の微笑みと、謎の言葉に呆然としている翔馬を他所に、小さい方がぞろ長い着物から音も無く手の平を差し出し、翔馬に向けて先ほどと同じように囀った。
「―――、――。」
再び、花弁が辺り一面を包んだかと思うと、翔馬の抱きしめるスウェット巻きのバッグへ張り付くように集まって
強い力で、腕から離された。
「あ、あちょっと、ソレ僕のなんですけど!何するんですか!!」
驚いた翔馬はそれでも敬語で非難の声を浴びせる。
――今すぐ修理しないとヤバいかもしれないのに……
「焦らずともよい。」
「よいって、」
翔馬は怪訝な顔をしながらも、もしかして魔法で再起動させてくれるのか、という期待を込めて見守ることにした。
たちまちにして花弁は幾つもの花になり、彼女たちを登場させた時と同じように増殖して呼吸を始める。
そして茶色く枯れていき
中から出てきたのは、翔馬のスウェットを着た小さな子供だった。
「ええええ!?く、く、クロームは!?」
翔馬はあまりの展開に絶叫した。