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母親が、他所の男と赤ちゃんを作る。
この事実は思春期を迎える小5男子に、トラウマ級ダメージを与えた。
どういうプロセスを踏んで人間が、生き物が妊娠するのかと言う保健の授業は苦痛で仕方なく、いつ嘔吐してもおかしくないくらい吐き気をこらえるのが大変だったし
(しかし堪えたのは授業中にゲロった野郎がクラス内でどういう立場に置かれるかを十分理解しているからだ)
女子たちが放課後教室に残されて"大切なオハナシ"を聞く、というのを耳にしただけで悪い想像がどんどん膨らみ翔馬は胃の辺りがグルグル渦巻き気絶しそうになったのだった。
(もしかしたら先生たちは僕の家庭の事情なんかを引き合いに出して"リコンの仕方""子供の捨て方"なんて話し合いをしてるのではないだろうか……)
「ただいま!!!」
ランドセルを投げ捨てるようにソファへ叩き付け、翔馬は定位置に座るクロームに帰宅の挨拶をした。
「オカエリ、ショーマ。
どしたの?ゲンキ、ナイカら。」
「……はー、ちょっとイヤなこと思い出してさ。
あー!もう!こんなトキ、クロームどうする!?」
「ンンん、あたまを…オモいっ切りタタキノメス、とか」
「あはは、なにそれぇ」
「よく、パパがヤッテルからネ、ショーマねてるトキ、ア―――てユッテ、アタマヒッパタイてる。」
翔馬はゾッとしてクロームを見詰める。
「え、っと。それって、」
「だからショーマもやってミルば?」
「や、やらないよ!!」
余計な悲しみが追加されてまずます沈みそうになるところをクロームの手前、何とか浮上させて翔馬はキッチンへ走った。
「ちょっと今日は遠出しようと思ってさ。
ほら、この間見つけた橋んとこ、アレ越えて南下するつもりだから、お握り作るよ。」
「桔梗小エリアまでススムツモリか?」
非難めいたクロームの声色を無視して、翔馬は炊飯器の内釜に水を注ぐ。
その後何か言われた気がしたが、力いっぱい米を研ぎその言葉は耳に入らないようにした。
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前かごにナップザックを入れて翔馬は自転車のペダルを足から離し、夕日の照らす急降下する坂道を猛スピードで滑り降りる。
その中で顔だけ出した状態のクロームは、苛烈な勢いで顔面に直撃する風を受けながら叫んでいた。
「ヤバいナイカこれは!?コワエるんじゃないか!?」
「あはは!!!」
翔馬はカタコトが激しくなるクロームの滑稽さと、危険を伴うスリルに興奮しながら笑っていた。
桔梗坂、と呼ばれるこの坂は住宅地の中に聳える大きな道路で、恐らく付近の小学校の生徒たちも事故に合わないように呼びかけられているに違いない。
しかし、違う小学校の翔馬にそれは通用しないのだ。
その優越感も手伝って、遊び心はどんどん肥大していく。
「あーあ、ブタバア、いないなあ。」
翔馬はシャッターが降りたままの店の方が多い、閑散とした通りを自転車を押しながらウロウロと歩いた。
途中拾った太目の木の枝を、ガララララ、と家々の柵に滑らせて進むのにも飽きて、
今度はポケットに忍ばせた癇癪玉を弄ぶ。
「ブタバアどころか、誰も居ないし……あっ、そーうだ。」
翔馬は溜息を吐き、そして湧き上がる閃きにめを見開いた。
「ドーした?」
翔馬は、むふふ、とNHKの子供向けアニメで悪役が見せるような解りやすすぎる悪い微笑を浮かべて、
自慢気に手の中の物をクロームへ見せびらかした。
「ちょっと、さ。コレ、やってみようと思うんだよねー。」
「ヤクか!?ボク、ショーマがハンザイに巻き込まれるのはソシスル…ッテ、チガウナ。」
クロームは精密機械が埋め込まれた眼球を通して癇癪玉の熱や成分を精査したらしく、
自分の焦りを引っ込めた。
「そーれっ!!!!」
と、翔馬は勢いよくそれを地面へ投げつけた。