怠惰な少女は知らないところで面倒事に巻き込まれている
はっきり言ってトリメストラル王国はエクリプセ王国に圧倒的不利な状況へと追い込まれていた。
アウローラ学院の全生徒、さらに王国屈指の魔術師、『フォティア』と『ネロ』両名の同時消滅を代償にして得たものはたった一人の魔族の消滅のみ。これまで一度も相まみえることがなかった強力な魔族。前線においてもそれほどの魔族に相対したものはなく、もしこれほどの力を持つ魔族がさらに複数人いるとなるとさらに状況は悪化する。圧倒的な戦力不足だ。
エクリプセ王国の魔族はその魔力で魔物を召喚し、使役する。さらに高い身体能力を持ち合わせており、戦術を行使して戦うというよりは力技で押し切るような戦闘を好む種族である。まれに上位の魔族に魔物を召喚するだけでなく人間と同じような魔術を行使するものもいるというがその効率はやはり人間には劣るというのがこれまでの通説だった。
それが、アウローラ学院に現れた魔族だけ逸脱していた。
まともな生還者はインヴェルノ=エスタシオンのみであり、彼女も魔族を見たのは一瞬だったというからやや信憑性には欠けるが、確かに彼女は見たという。
魔族の口から放たれた光線を。
たやすく防御を打ち破り、人間を貫いた光線を。
「確かに、今は猫の手も借りたい状況だ。しかし…悪魔の手を借りるというのはやはりどうにも恐ろしい」
「悪魔、ですか」
ロカ=リースタトゥスはその言葉に苦笑を浮かべる。
向かい合っているのはトリメストラル王国国王、ガナドル王。
ロカはかつて共に戦場を駆けた戦友であり、王が最も信頼を寄せていると言われている。年齢で総司令官の任を降りた後もこうして軍事顧問として側に仕えることを許された。
そのロカが今現在進行形で行っているプロジェクト――≪武器契約≫プロジェクトに、ガナドルは難色を示していた。
それも当然だ。表向きは魔族の仕業だと報じられているアウローラ学院の消失を引き起こしたのは他の誰でもない、インヴェルノ=エスタシオンなのだから。
「悪魔との契約――いつその牙が己へ向き、この魂を喰い尽すかと恐れる気持ちはわかります」
ロカはガナドルの懸念をあっさりと肯定した。
「それでも、彼女にはそれだけのリスクを冒してでも戦場へ送り出すメリットがあると思ったからこそのプロジェクトでございます」
「メリット……奴の不死という力にそれ程のものがあると言うか」
生きとし生けるすべての者には皆平等に死が与えられる。
生きている者は必ず死ぬ。
それが世界の理であり、そうして世界は廻っていくものだ。
人間も魔族も関係ない。
その絶対の理に外れる唯一の存在――不死の力を持つ者。
「何故、彼女は不死という大いなる力を得たのか。何故、あれほどの魔力を保持しているのか」
インヴェルノ=エスタシオンは、真に悪魔なのだろうか。
それとも、この国を勝利へ導く女神なのだろうか。
このまま戦争が続けば、間違いなくトリメストラル王国は滅ぼされる運命にある。
もし、この状況を打破することができるというのなら、それにはインヴェルノ=エスタシオンの協力が不可欠だ。
そして、ロカ=リースタトゥスには確信にも近い思いがあった。
―――インヴェルノ=エスタシオンは、女神となり得ないのなら悪魔にもなり得ない。
かつての部下、『フォティア』エキノクシオ=エスタシオン。その直属の私兵『怠惰』としての姿をエキノクシオから聞いていたからこその判断だ。
『怠惰』――エキノクシオが付けたというそのコードネームは見事だと言わざるを得ないだろう。まさに、彼女は怠惰なのだ。
ロカはインヴェルノが拘束されてから事情聴取のために何度か実際に顔を合わせ、言葉を交わしていた。事務的な言葉にただ事務的に返す。それだけのやり取りだったが、ロカに先の確信をさせるには十分なものだった。
兄のいなくなった世界は彼女にとって何の価値も無いモノだった。
世界がどうなろうと、彼女には知ったことではないのだろう。どうでもいいものを壊す様な面倒な真似は決してしない。それは彼女にとって造作もないことかもしれないが、そんなことにも労力を割くことを面倒に感じる。インヴェルノ=エスタシオンはそういう人間だ。
「大きな力とは、望まない者にこそ与えられるとは思いませんか」
望んでいないのに与えられ、無理矢理に世界という大きな流れに呑み込まれている。それが今の彼女の現状だろう。
そして、世界は彼女から逃げ道をも奪った。『不死』の力という形で。
「お前はそれをわかったうえで、あの者をさらに戦いの中へと送り込んだのだろう」
「もはやそれしか、この国に生き残る術はありません」
「大博打だな」
ガナドルがにやりと笑う。
忠臣が、最後までこの国のために足掻くというのなら、王が早々に逃げ出すわけにもいかないし本よりそんなつもりはない。
「老いぼれがかつて描いた夢のために、若い者を巻き込んでいく」
「今更でございます」
「そうだな……今更だ」
そう言い、立派なあごひげを撫でる。愁いの表情を浮かべながらもその目に後悔の色はない。
「……ここまで来たのだ。この国が、いや世界が、どうなるかはわからんが、お前は最後の時までしかと見届けよ」
「はっ」
恭しく頭を下げる。
また面倒なことに巻き込まれていることを本人は露ほども知ることはない。