怠惰な少女は少しだけ主に興味を持つ
食事を終え、午後の訓練のためにレーヴァは支度を始める。とはいってもレーヴァ自身は特にするような準備はなく、インヴェルノに支給された軍服を渡して着替えが終わるのを待っているだけだ。
インヴェルノに支給されたのはレーヴァが来ているような一般的な王国軍のものとは違うデザインで、黒を基調としたハイネックの袖のないトップスにズボン。そしてそれらをすっぽりと覆い隠してしまう黒のフード付きのローブ。武器は弾の入っていない二丁の銃剣。
「……大変お待たせいたしました」
見事に真っ黒な軍服に身を包んだインヴェルノが部屋から出てきて、二人は軍の訓練場へと向かった。
フォティアなど、称号を賜ると同時に軍に自分の訓練場を持つことができる。専用なので誰かに見られることもないし、他の訓練中の人間に被害が及ぶこともない。
「さて、確かイヴは闇系統の魔術を使うんだよな。例えばどんなのが得意なんだ?」
これから共に戦ううえで互いの技を知っておくのは必要不可欠だ。連携にも大きくかかわってくる。
「……影を操ります」
インヴェルノは答え、自分の影に魔力を与えてわずかに大きくするとずぶずぶとその中へと沈んでいく。完全にその姿が飲み込まれると、影は跡形もなく消える。そして今度はレーヴァの足元の影がゆらりと歪み、形を大きくし、レーヴァの後ろに立つようにインヴェルノが影から姿を現す。
「へえ、便利なもんだなあ」
実際、闇系統の魔術にこれほどの適性を見せる魔術師はそういない。というかレーヴァは見るのは初めてだ。
魔術は人によって様々にその姿を変える。世界に溢れる四大元素の力を己の魔力を触媒にして操る魔術は使い手の魔力はもちろん、想像力やその時々の感情でも魔術は無限に形を変える。これが魔術の力は無限大の言われる所以でもあり、危険視される理由でもある。インヴェルノの暴走もこの特性が深く関わっていると見ていいだろう。彼女のトリガーとなった感情がどういったものなのかは本人以外知りようがないが、制御できないほどの負の感情に支配されれば暴走するのは周知の事実であり、別に珍しいことではない。ただ、ご存知の通り、インヴェルノの暴走は規模が大き過ぎたというだけの話だ。
「……便利、ではありません」
インヴェルノはレーヴァの言葉に否定を返す。
便利だとレーヴァは言ったが実際には欠点だらけなのである。影から影への移動は自分自身にしか使えない。つまり、誰か他の人間を移動させることは出来ないということだ。さらに移動する際には次に現れる場所を目視で確認していなければならない。たとえ言ったことがある場所でも町から町へ、のような遠距離の移動は不可能だ。故に、移動手段としての価値はない。
インヴェルノは他にも様々な技を見せた。己の影を魔力で操り、レーヴァが打ち出した炎の球を貫き破壊する。切り裂く。弾き飛ばす。
レーヴァもいろいろと形を変えて様々な威力や形の炎を放つ。さすがに全力は出さないがそれなりに高度な魔術を使ってみるがインヴェルノはそれを最小限の魔術と動きで見事に回避していく。最後まで、レーヴァへ直接攻撃を加えることはなかった。
牢に拘束されていたわりにリハビリなどは必要なさそうだった。
「よし、じゃあ少し休憩にするか」
それから一時して、レーヴァが言えばインヴェルノは素直に影を引っ込めた。
今のところインヴェルノはレーヴァに逆らうどころかむしろレーヴァが何か言わない限り自分で何か行動を起こそうとはしない。それはそれで心配ではあるが少なくともかつてやらかしたという暴走の心配はなさそうだ。実戦となった場合はまた変わってくるのかもしれないが訓練段階では全く問題ないといえるだろう。
レーヴァは備えつけられている冷水器から二人分の水を入れて一方をインヴェルノに手渡した。
「お前の無口ってデフォルト?」
水を受け取り、ちびちびと飲み始めたインヴェルノの隣に腰を下ろしながら問う。
「……身内以外に対しては」
「なるほど、人見知りってやつか」
「……」
単なる人見知り……とはまた違うのだがそこは別に話す必要はないと判断し、インヴェルノは口を閉ざした。
「じゃあ俺はお前に身内と同じくらいに親しく思われるように頑張らないとな」
当然のことのように言われたレーヴァの言葉は、インヴェルノの閉ざした心の中に土足でずかずか入ってくる。
ただの契約だ。それも、まだ実験段階の≪武器契約≫。おそらく実験に協力するのは上の命令であってレーヴァの意志ではないはずだ。でなければ、こんな危険人物と寝食を共にしたりしない。なのに、この人間はインヴェルノに武器以上を求めているような言動を見せる。インヴェルノを人間だといい、食事を与え、人間の名で呼ぶ。
「……怖くないんですか」
だから、思わずそんな問いが口をついて出てきた。
小さくはない学院を一瞬で消滅させることができるほどの、その場にいた全員を一緒に消滅させることができるほどの得体の知れない力を持った化物に恐怖を抱かないのか。
この問いに、自分はどんな答えを求めているのだろうか。
怖くないと答えられたら、きっと彼のことを偽善者だと思うだろう。
怖いと答えられたら、それが当然だと思う。それでも共にいるのは、それが命令であり、任務の一環であるからだと自身を納得させるだろう。
どちらの答えでも、インヴェルノには変わりないのかもしれない。意味のない問いだ。
「たぶん、怖いよ」
答えは後者の方だった。たぶん、と付いてはいるが。
ならば、と口を開きかけたインヴェルノを遮るように、レーヴァはさらに言葉を続けた。
「でもなんか、俺よりお前の方が怖がってるように見えるから、お前のことをもっと知りたいと思う」
ドクン、と心臓が早鐘を打つ。表情には出していない。しかしその言葉は真実と言える。
元来、インヴェルノは臆病だ。怖がりだ。そしてそれは、自分の一番の弱みだと思ってきた。だからそれを、容易に悟られることほど怖いことはない。
「おいおい、そんなに警戒されるとさすがに傷つくんだけど」
そんなインヴェルノの様子に気付いたのか、レーヴァは苦笑するがインヴェルノは何も言葉を返すことができない。
「お前が何でそんなに他人を怖がってるのかはわからない。けどさ、これからたぶん結構長い付き合いになりそうだし、そんなに怖がらないでほしいなーなんつって」
あくまで軽い口調を崩さない、インヴェルノを気遣ってのものだと想像できる。
優しい人だ、と思う。その優しさは、本物だろうか。インヴェルノのための優しさだろうか。
それを手放しで信じられないほどに己の心が歪んでいることを、インヴェルノは知っている。
レーヴァ=オーレンベルク――現在の『フォティア』。兄と同じ称号を与えられた火の魔術師。
「……変わってますね」
「え、それ褒めてる?」
「……」
「そこで黙られるとさすがに傷つくぞ……」
「……さっきから傷つきまくりですね」
「主に原因作ってるのお前だって自覚ある?」
「…………ありますよ」
「その若干の間は何!?」
「……いつも通りです」
「確かにいつも若干タイムラグあるような話し方だけどさっきのはいつもより長いだろ」
「……細かいですね」
「いやいや普通だから」
レーヴァの表情がころころと変わる。
インヴェルノの表情は変わらない。
ただ二人とも、もう少しこんな他愛のない会話を続けていたいと思った。