怠惰な少女は主に従う
部屋を出て、レーヴァはとりあえず自宅へ向かう。
レーヴァがこのプロジェクトについて聞かされたのは『フォティア』の称号を得たすぐ後のことだった。
長年空席となっていた火系統の魔術師の頂点を指す称号『フォティア』。その称号を与えるという話を聞かされたのは先と同じ、王国軍軍事顧問ロカ=リースタトゥスの部屋だった。そこで先代の『フォティア』が亡くなることになったアウローラ学院消滅事件の真相を聞かされた。以来ずっと地下牢に拘束されている罪人についても。
「何故、処刑されずに拘束されているのですか」
真っ先に思い浮かんだ疑問をそのままぶつけた。何故、それ程の悲劇を引き起こした張本人に死を与えず拘束しているのか、と。
「彼女は、何をやっても死ねなかったのだ」
心臓を貫いても、毒を盛っても、首を落としても、火で炙っても、水に沈めても、電流を流しても、インヴェルノ=エスタシオンは何度でも蘇った。
「不死……ですか」
死に回数の制限はあるのか、先の暴走が原因なのか、前からあった彼女の特性なのか、まだ何も解明されてはいない。それもこれから研究を進めていくことになる。しかし、彼女はその脅威さえなければ最高の兵器だ。強力な魔術を使う不死者。これを兵器として運用するためのプロジェクトが《武器契約》プロジェクト。
罪人でありながら戦力となり得る力を持つ者を一人の軍人の兵器として扱うために《主従の輪》を開発し、その試験運用に彼女を使う。
その主をレーヴァ=オーレンベルクに命じる。
「何故、俺なんですか」
「彼女は、『フォティア』の炎に焦がれているように思うからだ」
そう話したロカの瞳の奥に見えたのは、やるせなさや後悔のような感情だった。
「今日からここがお前の家だ」
そこは軍の寮ではあるが今回の実験のために特別に立てられた家。一階建てでそれ程広くはないが二人が生活するには十分の大きさを持つ家だ。レーヴァの荷物はすでに一般の男子寮からこちらの方へ移している。インヴェルノに必要と思われる衣服や日用品なども軍から支給されていた。
「とりあえず、風呂かな」
ずっと拘束されていたのだ。やはり最初は風呂だろうととりあえず簡単に風呂場の使い方を簡単に教えて風呂場へ押し込む。
「タオルと着替えは置いとくからちゃんと拭いて着替えてから出て来いよ」
そう言い残し、レーヴァは食事の支度に取り掛かる。時刻はちょうど昼時だ。インヴェルノが何か食べるのかは不明だがレーヴァはお腹が減っている。
料理と言っても今まで男の一人暮らしで料理なんてそんな大層なものは作れないが簡単なパスタくらいなら作れる。
具は冷蔵庫の中にあるものを適当にぶち込めばいいだろう。
おそらく作っているうちにインヴェルノも風呂から上がるだろうと予想すれば、だいたいその通りになった。皿に盛りつけたパスタをテーブルの上に置き、ふと顔を上げると先程風呂場に置いておいた簡素な黒いワンピースを身にまとったインヴェルノがリビングのすぐ手前の廊下に佇んでいた。
何時からそこにいたのかはわからないが髪は若干湿っているのできちんと風呂には入れたようだ。上がったのならば声をかけてくれればいいのにと思い、ふとこれまで一度も彼女が声を発していないことに気付いた。ロカからは何も言われていないがもしかして話せなかったりするのだろうか。
「黙って立ってんなよ。上がったんなら声くらいかけようぜ」
少しおどけた風にそう言ってみるが、当然表情に変化は見られない。が、そこで初めてインヴェルノが口を開いた。
「………みません」
若干掠れた小さな声だったが、確かにレーヴァの耳に届いた。
「何だ、喋れるんじゃん。変に遠慮とかするなよ……って言っても無理か」
仮にも主従の関係にあるのだから無理な話かもしれない。それでなくても彼女は明るい性格ではないことは一目瞭然だ。それでも全く会話がないというのも居心地が悪い。これおから少しずつ改善されていくことを祈るばかりだ。
「俺これから昼にするけど、お前はどうする?一応お前の分もあるけど」
「……お任せします」
「そ。んじゃ食えるだけでいいから食えよ」
そう言い、レーヴァはインヴェルノの分も机に運ぶ。
レーヴァが座れば、インヴェルノも座る。
レーヴァが食事につければ、インヴェルノもフォークを手に取る。
一拍遅れてレーヴァの動きを追うように動くインヴェルノ。
会話はなく、ただ食器がこすれる音だけが部屋に響いている。
……正直、気まずい。
ちらりとインヴェルノの方を覗き見れば無言でパスタを食べている。とても静かに。
何なんだろうこの状況。目は死んでいるが顔立ちは決して悪い方ではないし、ずっと外に出ていなかったせいか肌は白く、汚れを落としてさらにその白さは際立っている。
そう言えば本人から直接名前を聞いていなかったと気づく。ロカから聞いているので知ってはいるのだが何と呼べばいいのだろう。
「エスタシオン」
苗字でとりあえず呼んでみる。
インヴェルノの動きがぴたりと止まった。
こちらを向くことはないがこちらの支持を待っている、ような状態に見える。答えてくれるのかは不明だがとりあえず呼び方はこれでいいか聞いてみる。
「……お任せ、します」
「何だ、苗字じゃない方がいいのか?」
その問いに、インヴェルノはわずかに首を左右に振って否定する。
「ただ……私にそれを名乗る資格は、もう」
ありませんので、と語尾を小さく言う。長い髪はうまく表情を隠している。ただ声は、小さくても確かにレーヴァの耳に届いた声は、感情を完全に殺しきっていた。
「じゃあ名前で呼んでいいのか?」
「……」
呼び方なんて、どうでもいいと思っていた。
ここ数年、ずっと『怠惰』と呼ばれてきた。それは、インヴェルノのかつてのコードネーム。兄のためだけにしか生きられないインヴェルノに、兄がくれた名前。兄を殺した、自分の名前。
新しい主は、無難に苗字で呼んだ。呼ばれた瞬間、思ってしまった。これは兄のものだと。兄と同じ名を語ることは、インヴェルノにとってもう大罪のように感じられるものだった。かつて当たり前のように名乗ったそれ(エスタシオン)は、もう己の名だと思えなかった。
ならば、何と呼べばいいのか。
インヴェルノ?イヴ?怠惰?
「……ただの武器に、それ以上の名前は必要ですか」
結局出てきたのは疑問に疑問で返すようなただの愚問だった。
「確かに武器契約だけど、お前は人間だろ」
「違います」
反射的にでた否定の言葉は、自分でも驚くほどはっきりとした声だった。
「私は主の敵を屠る剣。主を脅威から護る盾。私を人間だと思ったら……死にますよ」
「死ぬって……」
大袈裟だなと思いながらも笑い飛ばせるほど軽い気持ちで言っているわけではないことはすぐにわかった。実際、人間業では為し得ないようなことをやらかし、大罪人として長い間牢に入れられていたのだから。
ただ、そうわかっていても、本人から進言されたとしても、レーヴァには目の前の彼女を人間ではないと認識することはできなかった。それはまだ彼女のあって間もなく、さらに彼女の所業を間近で見たわけでもないから、そんな甘い考えを抱くのかもしれない。
「お前がただの武器なのか、それとも人間なのかは俺が決める。俺が人間だと言ったら俺にとってお前は人間ってことだ。イヴ」
イヴ――主がそう呼ぶと決めたのなら、インヴェルノにそれを拒む理由はない。
「……承りました、主」
「俺の名前はレーヴァ=オーレンベルクだ」
「……聞き及んでおります」
淡々と返すインヴェルノの様子から察するにレーヴァを名前で呼ぶ気はないようだ。仕方ない。そこらはここから少しずつ矯正するしかないだろう。
レーヴァは小さくため息をついて食事を再開するのだった。