怠惰な少女は武器として生きる役目を与えられた
「怠惰」
暗く、冷たく、カビ臭い、日の光の一切入らない地下の牢屋の中で寝そべっていた影が微かに身じろぐ。手足を拘束する鎖がこすれていちいち大袈裟な音を立てる。
アウローラ学院消滅は表向きには強大な魔族の出現により壊滅させられた、と処理された。インヴェルノの暴走した魔術によって闇に呑み込まれた人たちがどこへ行ったのかは未だにわかっていない。魔術の四大元素から外れている闇系統、光系統の魔術は他に比べて研究が進んでおらずまだまだ謎の部分が多い。そもそも適性を見せる魔術師の数自体が少ないので仕方がないと言えばそれまでなのだが。よって何もわからないまますでに数年の時が流れていた。その間インヴェルノはこの地下の牢でずっと拘束されている。
ぎぎっ、と耳障りな音と共に、その頑丈な扉が押し開けられ、そこから入ってきた鎧の兵士たちに無理矢理身体を起こされる。両手両足を縛られ、さらに目隠しに猿ぐつわまで施されている。拘束具にはどれも高度な術式が組み込まれており、着用者の魔術の行使を妨害している。
兵士に先導されるがままに足を動かす。ゆったりと、のんびりと、怠そうに。
兵士が足を止める。何かをして、また進む。止まる。
「久しいな。インヴェルノ=エスタシオン」
久しく呼ばれなかった名だ。今、自分に話しかけているのは誰だろうか。その声に、聞き覚えはない。
「ロカ=リースタトゥス、君が学院にいた頃、軍の総司令官をしていた者だ」
言われて、そんな人もいたかもしれない、くらいには思うがやはりはっきりとは思い出せなかった。
「インヴェルノ=エスタシオン。君の力を、この国のために使いなさい」
それは命令だった。
そこにインヴェルノ(罪人)の意志は関係ない。
「拘束を解きなさい」
「き、危険です」
ロカの命令に反射的に異を唱えた兵士は次の瞬間ロカの鋭い視線を受けて全身を硬直させた。
「聞こえなかったのか。私は拘束を解きなさい、と言ったんだ」
有無を言わさぬ言葉に、兵士は従いインヴェルノの拘束を外していく。
目隠しが外され、久しぶりの光という刺激に耐えられず思わず目を細めた。猿ぐつわを外された口で久しぶりに深呼吸し、その間に手足の拘束も解かれていく。身体が一気に軽くなったようだ。
しかし、自分の拘束を解かせた意図が分からず、インヴェルノは目の前のいかにもお偉いさんな人物に目を向ける。立派な机を隔てた向こう側でこれまた立派な椅子に腰かけ、こちらを真っ直ぐに見つめてくる白髪の男性。一目でこの人物がロカ=リースタトゥスだとわかった。
「これを」
ロカが机の上に五つの輪を置いた。大きさは三種類。直系の一番小さい輪が二つ、それよりもう少し大きめの輪が二つ、さらにそれより大きい輪が一つ。
どうやら新しい拘束具のようだが今までのものより大分小型化している。
「君にはこれを付けて、私が勧めているあるプロジェクトの実験台になってもらう」
実験台。
あまりいい響きではないその言葉に、しかしインヴェルノは表情を変えることもなく、またその場から動くこともない。
ロカはさらにそのプロジェクトの内容を説明し始めた。
プロジェクトの正式名称は≪武器契約≫プロジェクト。
先ほどの輪は特殊な拘束具で、両手両足、そして首の五か所に装着し、拘束具にあらかじめインプットされている魔力の持ち主の命令にのみ反応し装着者の主として認識されるものだ。装着者は主の武器として常に共に戦うことを余儀なくされる。もし逆らえば、主の意志一つで拘束、さらには強制的消去まで行うことができる使用になっている何とも危険な代物だ。
そしてその拘束具を付けろ、ということはインヴェルノに武器になれということだ。
拒否権もないようだし、特に拒む理由もない。
インヴェルノは無言で輪に手を伸ばし、手首、足首、そして首に自ら装着していく。
「……ためらいもない、か」
その声がどこか愁いを帯びていたように聞こえたのは、おそらく鈍った鼓膜のせいだろう。すべて装着し終え、そこでインヴェルノは一つ大きな疑問を抱いた。
この大罪人の化物の――
「主は」
誰なのだろうか。
問えばちょうどタイミングを見計らっていたようにノックの音が室内に響いた。ロカが入るように促し、姿を現したのは一人の男。赤と黒の髪が印象的な中性的な顔立ちの青年。
「彼が君の主。現『フォティア』。レーヴァ=オーレンベルクだ」
「そいつが、例の大罪人ですか」
レーヴァは背を向けたまま振り向く気配を見せないインヴェルノへ視線を向ける。
黒と白の髪は手入れもされておらず伸びっぱなしになっている。全身をすっぽりと覆うボロボロの布からわずかに見える手足には長年繋がれていた鎖の跡が痛々しく存在を主張している。そしてまたその上から真新しい拘束具がはめられていることもわかる。
「さあ、彼の元へ行きなさい」
ロカがそう命じれば、やっとインヴェルノはレーヴァの方へと振り返る。光を宿さない漆黒の瞳と一瞬目が合うがすぐにインヴェルノの方からそらされてしまった。恐ろしいほどに空虚な瞳は、もしそらされなければ完全に闇に囚われてしまいそうな、そんな錯覚さえ起こすほどに深い闇だった。
そして緩慢な動きでレーヴァに近づいてくる。すぐ側までやって来てわかったことは、彼女がかなり小柄であるということくらいだ。
「オーレンベルク。彼女の首の輪に触れなさい」
レーヴァは言われた通り、インヴェルノの首の輪に触れる。瞬間、輪が光る。次いで両手両足の輪が光り、すべてが光ったところで徐々に光は収束していった。
「契約はここに完了された」
字数安定してなくて申し訳ありません……