怠惰な少女は面倒な予感に気付かないフリをする
「よし、教室はこれで全部まわったね」
チームをさらに細分化し、各階に分けて人を送った上に途中で警報が鳴ったので避難は比較的迅速に行われた。
「私たちもシェルターへ急ごう」
それに皆がうなずき、インヴェルノたちは校舎裏に設けられた巨大シェルターへと向かった。おそらく他の場所へ言ったクラスメイトもそろそろシェルターへと向かっていることだろう。そこできちんと全員そろっているか点呼をとればいい、とインヴェルノも後ろからチームについていく。
「あ、おーい!」
シェルター近くまでいくと、シオンがこちらに気付いて手を振ってきた。どうやら中等部校舎へ向かったチームは避難誘導を終えてすでにシェルターへとたどり着いていたようだ。
「アウルのチームはまだ?」
「ああ、まだみたいだ」
わずかに表情を曇らせ、心配そうな視線をシェルターの入口へと向けている。
「それじゃあ、私、行ってきますね」
少し重たくなった空気の中、インヴェルノはそう言うと校庭の方へと足を向けた。
「え、ちょ」
慌てて引き止めようとするマレーアの手はむなしく空をきる。
「もうすぐそこまで来てるかもしれませんし、少し見てくるだけです」
足は止めることなくそれだけ言い残すと、インヴェルノは角を曲がって姿を消してしまった。
「……行っちゃった」
マレーアが行き場を失くした手から力を抜き、だらんと下げる。
「あいつって、結構謎だよなー」
シオンはインヴェルノが消えた方を眺めながらしみじみと言う。
授業態度だけ見ればまさに怠惰、不真面目、やる気なしといった感じだし、クラスでは基本的に惰眠を貪り人と接点を持とうとはしない。実の兄だというエキノクシオとその他の人間に対する態度は全く違うのだが別に他人を嫌悪しているようには見えない。ただ単に興味がないだけ、のようにも思える。
それでも今回、協力を跳ねのけるようなことはしなかったし、別に協調性に欠けるような、輪を乱すようなことを好むわけでもなさそうだ。
インヴェルノというクラスメイトについて考えているうちに、これが終わったら少しちゃんと会話してみたいという結論に至るシオンなのであった。
「インヴェルノ!」
とりあえず校庭の方へと向かっていると、インヴェルノの存在に気付いた先頭を走っていたアウルが声を上げた。
その後ろには見覚えのあるクラスメイトと見覚えのない、まだ幼さの残る顔立ちの中等部の生徒が十数名焦りのにじむ表情でこちらに走ってきていた。その背後、少し離れたところに無数の魔物の気配を感じ取り、インヴェルノは状況を把握した。
「はあ……めんど」
だからインヴェルノは足に風纏い、集団の頭上を軽々と飛び越えその殿の後ろで着地した。目視で確認できるだけでもかなりの数だ。数えるのは面倒なので数えないがこれは教師陣が取りこぼしたにしてはいくらか数が多すぎる気がする。事態はさらに面倒くさい方向へ行っているようだ。
「私が殿を務めるので、とにかくシェルターまで走ってください……っ!」
言いながらインヴェルノは魔術を使い、無数の火の玉を連続で放つ。
その背後で無数の足音が遠ざかっているのがわかる。インヴェルノは魔術の手を緩めることなく集団を追うように移動する。
「うわあっ」
そして、状況はさらに悪化した。
進行方向――つまり前方にも魔物が現れた。どこからどう見ても挟み撃ちだ。
しかしいったいどこから魔物が湧いて出てきたのか。
アウルたち高等部の生徒が何とか応戦しているが残念ながら実戦経験のない生徒では効率が悪い。この数で消耗戦に持ち込まれたらますこちらが全滅するだろう。
「っちぃ!」
インヴェルノは盛大に舌打ちをして目の前の魔物を強力な風で思いっきり吹き飛ばすとすぐさま前方へと飛び、進行を妨げる魔物を倒して道を作る。
「ええ……地面から魔物が湧いて出てくるとかどういう状況……?」
次々と現れる魔物に顔をひきつらせながら何とかシェルターが見える場所まで辿り着いた一行。
「……ああ、本当に…面倒だ」
シェルターの入口は重く魔術処理の施された頑丈な扉が完全に閉じられ、その扉を魔物が集団で壊そうとしていた。
「う、嘘だろ」
「先生は……先生たちはどうなったんだ」
学院内、それもシェルターがある様な深くまで魔物が侵入してくるという状況は確かに一見応戦していた教師たちに何かあったのではと思うのは当然の思考回路だ。だが、魔物が地面から湧き出るという今まで見たこともない現象を見てしまったインヴェルノとしてはおそらくこの状況を教師陣は把握していないと見える。向こうは向こうで手一杯だろう。奇しくも、エキノクシオがインヴェルノを避難誘導役として生徒たちの側に置いたのは良い判断だったと言える。インヴェルノがいなければおそらくここにいる何人かは魔物の餌食となっていただろう。
面倒くさいが、やるしかなさそうだ。
「少しの間、固まってじっとしていてください」
インヴェルノはそう支持を出し、襲い来る魔物を適当に風の魔術であしらいながら、別の魔術のために詠唱を始めた。
魔術とは、己の内にある魔力と想像力で自然を自在に操る術である。イメージをしっかり持っていれば詠唱などなくてもそれなりの魔術を行使することが可能だがそこに先人たちの考えた詠唱を用いて自然に語り掛けることによってより強力な魔術を行使することができる。これまでは疲れるうえに面倒だからという理由で無詠唱魔術を行使していたわけだがさすがにそんなことも言っていられない状況のようであるのでやむなく詠唱に踏み切った。無詠唱の片手間に詠唱をやっているせいでどうしてもすべてを対処しきれずに取りこぼしてしまうがそれはアウルたちが何とか対処してくれている。感謝だ。面倒だが後でちゃんとお礼を言わなければ。
「―――堕ちろ、堕ちろ、闇の渦へ、奈落の底へ、暗き闇へと沈んで行け」
魔物の足元にだけ黒いブラックホールのようなものが出現し、魔物はまるで沼にのまれるようにずぶずぶとその闇の中へと身を沈めていく。いくらもがいても、その闇から抜け出すことは出来ないようで、頭のてっぺんまで完全に闇にのまれると、そこは元の地面へと戻っていった。
うじゃうじゃといたのが嘘のように、魔物は跡形もなく姿を消した。アウルたちはその圧倒的な魔術をさらりと行使したインヴェルノに呆気にとられていたが、いち早く正気に戻ったアウルが中等部の生徒にシェルターへ入るように指示を出した。
これは一時的なものだ。おそらくまたすぐに地面から湧くようにして魔物が現れることだろう。止めるためにはその親玉を叩かねばならない―――つまり、教師陣の奮闘にかかっているというわけだ。
アウルが最後にシェルターに入ったことを確認し、インヴェルノはその扉を閉める。否、正確には閉めようとしたのだが止められてしまった。中からシオンの手が扉を開けるように力を加えている。
「あの、手、挟みますよ……?」
「お前も早く入れよ」
シオンはさも当然のように言う。無理もない。彼らにとってはインヴェルノも自分たちと変わらない生徒の一人であるのだから。
「それはできないんです。すみません」
「え」
シオンが目を見開く。その腹に、インヴェルノの足が食い込み、扉を開ける手が離れた。インヴェルノはそのままシェルターの扉を閉めると、外から鍵をかける。これでとりあえず生徒たちが中から出てくることはない。振り返ればそこにはもう異形の魔物が獲物をロックオンしている。
「はあ……面倒だなあ……」
インヴェルノはため息をつき、怠そうに制服のスカートの中に手を突っ込んで太ももに隠していたホルスターから二丁の銃を引き抜いた。己の魔力を弾として放つ魔銃剣。インヴェルノが好んで使う武器の一つだ。
無言で引き金を引き、容赦なく魔物を打ち抜いていく魔力の銃弾は百発百中、一撃決殺。まさに怠惰ゆえに無駄を無くした一方的な殺戮。インヴェルノの魔力が続く限り、死の雨が止むことはない。
ただ引き金を引く。何度も何度も銃声が響き、魔物の断末魔が響き―――最後にインヴェルノのため息が静かに響いた。
その頃、エキノクシオは目の前の光景を信じられない面持ちで凝視していた。