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怠惰な少女はそれでも幸せだと思っていた

 星一つ見えない暗闇が広がる空の下で、少女は燃え上がる炎を呆然と見つめている。

 少女の視界を埋め尽くすのは、炎の朱と血の赫と、暗闇の黒―――『絶望』の色。

「くそったれ」

 吐き捨て、少女は緩く口角を上げた。呟きは炎のはぜる音に掻き消される。

少女はこの日、大切なものを失った。



「起ーきろーっ、こンの寝坊助ぇ!」

「ぷぎゃっ」

 くるまっていた毛布を無残にもはぎ取られ、その勢いでベッドから落下しいったいどこから出たのかと問いたくなるような奇声を上げてインヴェルノ=エスタシオンは目を覚ました。ハッと顔を上げればこちらを見下ろしてくるひどく冷たい眼と眼が合う。寝癖のひどい黒と白の髪を手で梳かしながら、インヴェルノは苦笑いを浮かべた。

「起きたか?起きたな?よし、三秒以内に顔洗ってこい」

「なんて乱暴な起こし方……!もっと優しく起こしてくれ給えよ」

「優しく起こしても起きんだろうが」

「朝はぎりぎりまで寝たいんだよ……わかるでしょ、朝の布団の誘惑というものは――」

「もう三〇秒経ってる気がするんだけど、朝飯いらないのか」

「いいいいりますとも!」

 インヴェルノはさらに剣呑な眼になった兄――エキノクシオ=エスタシオンの視線から逃げるように洗面所へと向かった。

 エスタシオン兄妹はここ、トリメストラル王国で暮らしている。

 トリメストラル王国は人間の住む国。世界の西側に位置し、長きにわたって世界の東側に位置する魔族の国、エクリプセ王国と戦争を繰り返している。

 インヴェルノが通うアウローラ学院はその戦争のための兵士を育てる、云わば軍事学校としての役割も併せ持ち、生徒は一般的な学問だけでなく魔術や剣術などの戦闘訓練もそのカリキュラムに含まれている。教師は皆、王国の軍人でその中にエキノクシオも入っている。軍事学校であるがゆえに戦争時、軍事拠点の一つとして狙われることの少なくない学院の警備も兼ねて教師に現役の軍人を起用しているわけだ。

 エキノクシオは第一級魔術師の資格を持ち、魔術師としては王国で三番目に強いとされ『フォティア』の称号を得ている。これは魔術の基本となる四元素の一つを極めたものとして与えられるものであり、エキノクシオはその内フォティア――火系統の魔術を極めたということを表している。

 魔術師として優秀な、まさにエリートが何故学院で教師をやっているのかといえば……それはひとえに彼の妹君、インヴェルノにある。

 成績は中の下。座学は苦手だが戦闘訓練では類い稀な魔術の才能を見せると教師陣に一目置かれるところもあるのだが、いかんせん、普段の素行が悪すぎる。別に問題を起こすわけではないのだが、無断欠席が多すぎて出席日数はいつも進級できるぎりぎり。遅刻なんて日常茶飯事で、そんなんだから友達もできずさらに学校に行きづらくなっているのではないかと思うのだが本人は自分が所謂ぼっちであることは気にしていないらしい。一度友達でも作ればと言えば何故と本当に不思議そうに首を傾げてそう返されてしまってからこの手の話はあまりしないことにしている。

 とりあえず自分と一緒になら学校までは行くのだと判明してから、若干権力乱用して学院の教師というポストをいただいたのだ。

「まったく、不登校の不良妹は本当に手の焼けることで」

 エキノクシオは雑に毛布を畳んでベッドに放り投げ、朝食の準備を始めた。

 顔洗って出てきたらもう一度ベッドの中に引きこもってしまう前に朝食の手伝いを言いつけてやろうと頭の中で算段を整えながら。


 今日も兄に引きずられてやってきた城のようなバカでかい学校――アウローラ学院。その高等部校舎三年X組がインヴェルノの席があるクラスである。

 インヴェルノは廊下側の窓際、前から三列目の定位置に腰を下ろした。そのままやることもないので机に突っ伏して寝る態勢になる。

「おはよーイヴ、朝から相変わらず眠そうだね」

 完全に意識を沈める前に話しかけられ、組んだ腕からわずかに目だけを前へ向ければ、前の席のマレーア=イグニスがこちらへ振り返っていた。

「……おはようございます。そしておやすみなさい」

「こらこら寝るな」

 苦笑いを浮かべてとりあえずの挨拶を交わし、再び腕の中に顔を埋めようとするインヴェルノをマレーアが苦笑しながら止める。

 席が近いからかやたらと話しかけてきてさらにいつの間にか愛称で呼ばれていることに嫌悪はせずとも面倒ではあるとたいてい無碍に扱うのだが、この少女はなかなかめげてくれない。

「えっと、何か用でしょうか」

「用事がないとクラスメイトに話しかけちゃダメなの?あと、敬語やめてってば」

「これは癖なのでお気になさらず……用がないなら寝――」

「だから寝るなってば」

 がしりと両手で頭を掴まれたかと思うと上下にゆさゆさと揺らされる。揺らされるたびにぼさぼさの黒と白の髪がふわふわと踊る。

「頭が揺れる……」

「起きたかー?」

「……起きたくないのですが」

 そんなかなりくだらないことをしていても時間というものは過ぎていくようで、結局寝られないまま教室に教師が入ってきて朝のホームルームが始まってしまった。


 授業は基本的に午前中に戦闘訓練、午後は座学をした後にまた少しだけ訓練がある。

 インヴェルノは寝ているとき以外は基本的に不真面目ではない。特に教師が兄だった場合は後で家に帰ってから怒られるのも嫌なのでことさら真面目にやる。

「それじゃあ今日はあの的を使って魔術のコントロールを覚えてもらう」

 そう言ってエキノクシオが指したのは訓練場にずらりと並べられた的。五重に円が描かれたもので、この中心の一番小さい円を的確に魔術で打ち抜くというものだ。威力が弱ければ穴は開くがここで求められているのは円の大きさピッタリを打ち抜くくらいの威力を持つ魔術を放つこと。ただ打ち抜くだけでは不十分なのである。

「的は人数分用意してある。きっちり打ち抜かないと何度でも再生するからな」

 それじゃあ各自始め、という号令で生徒が的へ散る。それに紛れてインヴェルノも適当に近場の的を選んだ。

「あ、出来たやつから自由時間にしていいぞ」

 その言葉で生徒たちは俄然やる気を出したようで皆意気込んで詠唱を始めた。

「まあそんなに簡単じゃあないけどな」

 その言葉は生徒の耳に入っていたのか……すぐにいろんなところから悔しそうな声が聞こえてくる。精度と威力、この両方を完璧にコントロールするのはなかなかに難しい。

「うーん、難しい……。イヴはどう?」

 何故か隣に陣取っているマレーアがインヴェルノに問う。インヴェルノは曖昧な笑みを浮かべて難しいですねえ、と答えておいた。

 実際、難しいとは思うので嘘は吐いていない。できない、とは言っていないけれど。

 ただ今さらっとやって目立つのも嫌なので一人か二人クリアしてからでも十分なお昼寝……自由時間がもらえるだろう。周りの様子をうかがいつつ疲れない程度に魔術を打つ。

「イヴ――」

 突然背後から声がして、インヴェルノは大げさに肩を揺らして振り返った。

「うぇ、お兄ちゃん……なんでしょう?」

「エキノクシオ先生、な」

 きちんと呼び方に訂正を入れながらインヴェルノの額を小突く。

「それで、イヴ。お前、俺の授業で怠けるとはいい度胸だ」

 ぎくりと肩を震わせ、インヴェルノは上目遣いにエキノクシオを見上げる。

 この妹は兄に対しては素直というか……隠す気が全くないだろうとしか思えないような反応をする。これが他の教師であれば見事な猫かぶりでさらっと流すことだろう。そもそも怠けていることを悟らせるようなこともしまい。甘えられることに悪い気はしないがここで甘やかしてはいけないとエキノクシオは心を鬼にする。

 エキノクシオの名誉のためにここで明言しておくが彼は決してシスコンではありません。

 インヴェルノの方は否定できないけど。

「なんのことやら……怠けてないよ?本当に、これ難しいんだけど」

「できなくはないよな」

「ま、まあ何回か試して調節するぇあ……?」

 言ってる途中で両の頬を引っ張られて変な日本語になってしまった。恥ずかしい。

「あにするかね」

「怠け者の生徒に教育的指導を」

 エキノクシオは頬を引っ張ったまま縦縦横横丸書いてからの再び縦縦横横丸書いてを三回ほど続けてからやっとちょんちょんで解放された。正直痛くはないのだが、頬が伸びきったような変な違和感に顔をしかめた。

「だいたい、わかっててこんな学院に通わせてるお兄ちゃんがそれ言う?って感じなんですけど」

「お前自分の年齢考えてから言えよ。一七歳が学校に通うのは当たり前だろうが」

「考え方が古いんですう。この世には飛び級というものがあるんですう」

「あの成績と出席日数で飛び級を望むとはお前もなかなか大胆なことを言うな。そんなことをいう口はこの口か?」

 再び頬を引っ張られ、インヴェルノはうーと情けなくうなる。

「先生」

 兄妹喧嘩はこのクラスで最も優秀な生徒、俗に言う優等生枠のアウル=マッケルテイルの課題クリアの声で終了となった。

「イヴって本当に先生と仲良いよね」

 エキノクシオがアウルの課題の確認のためにその場を離れていくのを横目に見ながらマレーアが微笑ましそうに若干のニヤケ顔でそう口にする。

「そうですか?」

「そうだよ。普通兄妹でもそこまで仲良いの珍しいと思うよ?」

 エキノクシオとインヴェルノが兄妹であることはもはや周知の事実だ。隠す必要もないし、あれでエキノクシオはかなりの有名人なのだ。そんな人物と苗字が同じで親しく会話する姿を目撃されればばれるのも必然だろう。質問攻めにされるのは面倒なので早々にエキノクシオにすべて投げたのも今では懐かしい記憶である。

「まあ……たった二人の兄妹、ですから」

 たった二人だけの兄妹――たった二人だけの家族。

 インヴェルノが唯一無条件に信頼できる人物は、この世で唯一の家族となってしまった兄ただ一人。

 脳裏によぎった過去の記憶をかき消すように、インヴェルノは的へ向けて魔術を放った。

「おお、さすが……」

 隣でマレーアが感嘆の声を漏らす。

 インヴェルノの放った魔術は的のど真ん中、的確に指定された範囲のみを撃ち抜いていた。

 

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