第1章④ 故郷
失われた記憶を取り戻す可能性を信じて、ジャスパーとクロ、さくらはあの悲劇の地を訪れる。
そこでジャスパーが見たものとは?
「この場所にはもう二度と来ないと思っていました」
本当は、何も見たくないし何も思い出したくはなかった。
きっと目に焼き付いた惨劇はほんの一瞬の出来事で、他に思い出せることがあるのならば、それは幸せに笑って過ごしていたかけがえのない記憶かもしれない。
その逆かもしれない。
「大丈夫か?」
到着した村の入り口から一歩も前に踏み出せなくなったジャスパーの横で、クロはその肩に手を置いた。
しかし、その背中を押す事は出来ない。
むしろ自分すらもその村に足を踏み入れることをためらっていたのだ。
「もう過去の事よ?」
一足お先に、と言わんばかりにさっと何食わぬ顔で崩れかけた門をくぐったのは、この『和の国』からウェンダブルに出稼ぎに来ているさくらだった。
「そうだな」
さくらを連れてきたことが救いだったとクロはほっとしたような表情を浮かべ、軽くジャスパーの背中を叩く。
「さあ、行こう」
「はい」
ジャスパーは、立ち止まっていたその足を一歩、前へ進めた。
意外なことに、数年前にあの悲惨な事件があったとは思えないほどに村には人が住んでいるようだった。
そこに住居があるものや、商売をしに村を訪れるもの、大通りに立ち並ぶ商店がその村が栄えているようにも見せる。
いわゆるなにもなかったかのようなその状況は、一見して不自然にも思えた。
「全滅したって聞いたけど?そうじゃなかったのかしら?」
さくらが首をかしげながら、ひとり言のように呟く。
ジャスパーも、クロも自分の記憶があいまいなせいでいろいろなことを思い違いしていたのかもしれないと同じように首をかしげた。
「あの日」。
ジャスパーの住む村と鬼の種族であったクロたちはこの人里離れた、小さくはない村で共存していた。
しかし、お互いがお互いを牽制しあいながらうわべの共生を保っている状態だったようだ。
「あの日」それは崩れ、村は人と鬼との抗争にまで発展してしまう。
家々は燃え盛り、あたり一面に人も鬼も刺し違えるように倒れている。動いているものは仲間だろうが関係なく殲滅の対象とされた。
その時の残酷な情景があまりにもショックだったため、ジャスパーは気を失ってしまう直前の記憶しかない。
そして、この争いの中の犠牲を何とか減らしたいクロは傷だらけになりながらもジャスパーを救ったりと奔走し、すべてが終わったと思われたとき丘の上の桜の木の下で、息絶えるのをシロに救われ、その対価として記憶を失った。
ジャスパーとクロの記憶をつないだとしても、この村が壊滅状態だったのは真実だと、お互いに思っていた。
「大きな桜の木……」
クロは自分の記憶の中で鮮明に思い出すことができる場所に行けば、当時の様子がもう少しわかるのではないかと思った。
シロに出会い、シロのために生きることを誓ったあの場所からなら、確か全てが見渡すことができる。
「あの丘の上ですね」
正確に思い出したわけではない。ただ、その場所はジャスパーにとってもなぜかとても大切な場所だった気がした。
少し先の細い路地からジャスパーほどの背丈の人物がこちらに向かって歩いてきた。その人物はフードを深くかぶり顔を隠しているように見える。
クロたちに気付きジャスパーに視線を向けた瞬間、その人物は何か信じられないものでも見たかのように明らかに戸惑った様子だったがまた歩き出し、出てきたところより一本過ぎた路地へ曲がってしまった。
「なにあれ!怪しすぎでしょ!」
さくらが眉をしかめて、クロに視線を向ける。
「我々の事を知っている者なのかもしれない」
クロが横にいたジャスパーに視線を落とした。
「いない」
しかし、そこにはすでにジャスパーの姿はなかった。
「待って!待ってください!」
どうしてなのかわからない。わからないがフードをかぶった人物の瞳を見た瞬間、その背中を捕まえなければならないと思った。
頼りにならない自分の記憶のせいでどこを走っているのかもわからない、しかし自然と体は危険を避け住人であるかもしれない人物を追い詰めていく。
「この先は!」
ジャスパーは、感覚で覚えている。これが最後の曲がり角。この角をまがった先には。
「ここは……」
村の中でも一番開けた小高い丘の前。その真ん中には、シロたちのいるウェンダブルの近くにそびえたつ「世界大樹」にも似た大きな幹を地面とつなぎその存在を尊大に見せつける一本の樹があった。
「桜の木……」
激しい炎の粉がこの世界を焼き尽くすかのように地上へ向かって渦巻き散っている。
そんな恐ろしい光景とは逆に、淡く儚い小さな花弁が静かにゆっくりと空を赤く染める。
ジャスパーの記憶の中にある故郷の最後の光景。
そこのあるたった一本の樹からは激しくも物悲しい、語られることのない情景が伝わってきた。
「知ってる」
ジャスパーの瞳から涙が流れる。
クロから聞いていたからではない。感情よりも先に流れる涙。ジャスパーにとって大切なものだったのかもしれない。その桜からあふれ出る空気に触れただけで自分を取り戻せるような気がした。
「まさかあんたが帰って来るとは」
その木の陰から、フードで顔を隠してはいるがジャスパーと同年代であろう少年が姿を現した。
「君は……夢の」
ごく最近夢の中に現われた少年の姿と重なり、その姿を確かめたくてジャスパーはそっと近づく。
「何をしに来た?」
それ以上近づくなという、冷たい視線がジャスパーの足を止めた。
「この村が襲われたとき本当は何があって、僕はいったい何者なのか……君は、僕を知っているんだろう?」
失っているものを取り戻したい。
目の前にもしかしたらすべてを取り戻すきっかけを持つ存在がいる。そう思うだけで冷静ではなくなっていき自分を抑えることができず、一歩、また一歩と少年に向かって歩き出した。
「そういうことか」
ジャスパーの今の状況を察した少年は、静かに息を吐き、ジャスパーに背を向けた。
「この丘は境界線。二つの世界は交わらずそのままでよかったんだ」
「鬼の事?」
「……ああ。ウェンダブルという国を知っているか?」
「え?うん、知っている。今はそこにいるんだ」
フードの少年は一瞬ピクリと反応をしたように見えたが、そのまま静かにまた口を開いた。
「天上界の者が国を守護しているとか」
「お互いを信頼して王子に従っている」
シロと共に、妖魔と戦い国を守護する『純正団』の面々の顔を思い出すと、なぜか心が落ち着いた。
「そうか。ここと同じことにならないといいな」
冷めたような口調で話す少年はそれ以上は口を開かなかった。
ジャスパーは、少年のすぐ近くまで来てその顔をのぞきこもうとした、その時。
「ジャスパー!」
後ろから、さくらに呼ばれ、体をびくりと小さく動かすと振り返った。
「誰かいるの?」
「はい!知りたいことが聞けるかもしれません!」
「誰に?」
「え??」
不思議な顔を向けながら近づいてくるさくらの言葉に慌ててさっきまでそこにいた少年の方を見るが、そこには誰もいなかった。
代わりにジャスパーの目に映ったもの。
それは、丘を登りきり超えた先の谷に立ち並ぶ小さな集落だった。もうだれも住んでいる気配すらないさびれた家が転がっているという状態である。
「ここは」
ジャスパーの心臓が一度、ドクンと大きく動いた。
頭の中に電気が走ったようにビリッとするとズキンズキンと痛みだす。
あまりの痛みに頭を抱えその場にしゃがみ込んでしまったジャスパーをクロが抱えた。
「やはりそうだったのか」
激しい頭痛と、息苦しくなり朦朧とする意識の中で顔を上げると何かを確信したような表情のクロと、心配そうにジャスパーのことを呼ぶさくら、そして、真っ赤に染まった空が見え、ジャスパーの意識はそこで途絶えた。
お読みいただきありがとうございました。
何かをつかんだような、余計わからなくなってしまったような。そんな重要な回でした。
さて、いよいよ次回から学園編に突入します!!次話更新をお待ちください。