前編
よろしければ、読んでみてください。
全二編です。
これはある夏の日の出来事。僕、中尾 大典はいつも通りイヤホンでお気に入りの曲を聴きながら、自転車をこいでいた。そしていつもの交差点で信号待ちをしていたその時、事は起こった。
突然の事だった。右から走ってきていた軽トラが歩道に乗り上げ、そのまま僕めがけて突っ込んできたのだ。後から聞いた話ではどうやら居眠り運転だったらしい。ちょうど真正面にいた僕はそのままの速度で突っ込んできた軽トラに思いっきりはね飛ばされた。
飛んでいる間、僕はいろいろな事を考えた。家族の事、学校の事、好きだった女の子の事。走馬灯というやつだろうか。イヤホンから流れる切なげな音楽が僕を少し悲しい気持ちにさせた。
運転手の驚いた顔が目に入る。お前の人生も終わったな。
そう思った直後に僕はアスファルトにたたきつけられるように落ちた。そこからは何も覚えていない。
目を覚ますと白い天井が目に入った。ここは病院で、どうやら僕は生きているようだ。頭、それに体中が痛い。見ると、ギャグ漫画かよと言いたくなるほど全身包帯でぐるぐる巻きである。実際になってみると笑えないな。
あたりを見まわすと、すぐそばのパイプ椅子に母が眠っていた。ずっと病院にいたんだろうな。「母さん」と呼びかけようとしたところ、僕は自分の体の異変にすぐにに気付いた。
声が出ない。
隣にある医療器具は断続的に音を鳴らし続けている。何度母親を呼ぼうとしても声が出ない。気が狂いそうだ。僕は腹の底から声を上げ叫んだが、実際には医療器具の無機質な音が虚しく響き続けているだけであった。
それから数時間して医者が病室へ来た。もう覚えてないけど、大まかに言うと足と肋骨と腕とその他もろもろ骨折しているらしい。どうりで全身が痛いはずだ。
そして声も完全に失った。話によるとはねられた時か、地面に落ちた時に頭を強く打ったのが原因らしい。そして脳に関しては治療法がないらしい。神経は繊細だからとか長々と話していた。母は隣で泣いていた。
医者は、頭を打ったのに生きているだけ幸運だとか言っていたが、もう話すことも歌うこともできない人生なんてむしろ死んだほうが幸運だと僕は思った。その日から退院する日まで僕は病室のベッドで死んだように生きていた。
僕は頭が悪く、飽き性で、自覚しているためいっそうたちの悪いクズ人間だった。そんな僕が唯一はまったのが音楽だった。ギターを弾きながらたくさんの人の前で歌い、沸き起こる歓声を聴いている時の快感といったらもう言葉にできないほど最高だ。学校内で中尾大典といえば知らない人はいないぐらいには有名だった。1年前にネットに上げた曲が少し話題となり、次のアマチュアバンドの大会では”新進気鋭の高校生バンド”として優勝候補の1つとも言われていたのに。
それなのに。
退院しても僕が所属する軽音楽部に顔を出すことは無かった。他の部員も声が出ないことを知ってか知らずか誰も話しかけてこなかった。結局僕が入院している間に大会は終わり、格下だと思っていたバンドに優勝をかっさらわれた。悔しいという感情はなかった。もうどうでもよかった。授業も全く頭に入らずあっという間に放課後になった。いつも通り帰ろうとすると、僕は不意に呼び止められた。
「おい、待てよ。」
懐かしい。親友である涼太の声だ。
「久しぶり」
僕は手に持っていたノートにそう書いて見せた。
「やっぱり声出ないのか?」
「見ての通りだ」
「悪い、帰るわ」
悲しそうな涼太の表情を尻目に僕は帰ろうとした。
「なあ、部に戻ってくる気はないのか?」
「歌えないボーカルなんか必要ないだろ」
僕はできる限りの冷たい目をした。
「ボーカルなら他を探せ、ギターはお前だけで十分だろ」
そう書いた紙を見せ僕は去った。
もう部は僕の居場所じゃない、そう自分に言い聞かせた。
幼なじみの親友であり高校生離れしたギターテクの持ち主の涼太、クールだけど熱いプレイで俺たちを支える兄貴(年同じだけど)ベース担当の俊、部長でバンドのリーダーでもあるドラム担当の雅彦、そしてボーカルとギターをやってる僕だ。正直こんな中に僕がいること自体奇跡だが、ここが僕の唯一の居場所だった。別に家庭環境が悪いわけではない。でも家はひどくつまらないのだ。
気が付くと僕は屋上にいた。鍵は借りなくても窓から侵入できるのだ。冬の風が身体にしみて、骨折してた箇所が痛むようだ。
屋上にいるとなんだか空をとても広く感じる。僕の命なんてひどく小さなものだと思い知らされる。僕はボーっとした頭でふらふらとフェンス際まで歩いた。校庭からは運動部の声が聞こえてくる。それに混じって軽音楽部の練習する音も聞こえる。僕がいなくなっても世界は普通に続いていくんだよなあ。
あ、今ならなんかいい曲書けそう。歌えないけど。
ここから飛んだら死ぬかなあ。
続きます。