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洋上のストラテジー  作者: 獅子宮タケ
第1章 Z作戦
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第一節 巨砲の復権-02

 十二月八日 午前九時五十分 ハワイ諸島北東沖合

 アメリカ太平洋艦隊旗艦 戦艦サウスダコタ


 普段からご機嫌斜めである冬の北太平洋だったが、今朝の空と海は付け加えて不機嫌だった。波は鋼鉄の艦首を打ち砕くようにぶつかり、風は船乗りを冷たい大洋へ連れ込もうとガラスに体当たりを繰り返していた。

 それでも星条旗に忠誠を誓った戦乙女は着実に西へ歩みを続けていた。近代化改装により幾分か重みが増した基準排水量四万七千七百トンの六つの鋼鉄が整然と怒涛を縫って進む姿は名実ともに太平洋の支配者としての風格を湛えていた。

 前級から引き続き採用された長船首楼型船体と鋭いクリッパー型艦首はアメリカ海軍が量産に勤しんだ『標準型戦艦』と言われる系譜に彼女達が連なっていることを示し、竣工時から変わらない三脚マストは彼女達がそれまでの合衆国戦艦とは一味違う――ポスト・ユトランド世代であることを体現していた。

 合衆国が用意した海軍拡張計画の第一陣たるダニエルプランの本命であり、太平洋艦隊の主戦力である【サウスダコタ級戦艦】の彼女達は携えた五十口径十六インチ砲[Mk.6]を波しぶきで濡らしながら十六ノットというライバルに比べ控えめな速力で西進を続けていた。

 その彼女達の長女にあたり、また太平洋艦隊の旗艦でもあるフネ――戦艦【サウスダコタ】の航海艦橋では彼女達の全てを決する権限を持つ太平洋艦隊司令長官であるハズバンド・キンメル大将が苦虫を噛み潰したような表情で一枚の電文を握りしめ言った。

「ウエストバージニアが沈んだ……だと……。」

 その一文は日米関係が完全に断然したことを記していた。一九四一年十二月八日七時四十分、大日本帝國は合衆国に対して宣戦を布告。その僅か十二分後、彼らはアメリカ太平洋艦隊の根城である真珠湾パールハーバーを空母艦載機により奇襲攻撃し、停泊していた戦艦を始めとする艦艇や航空隊に甚大な被害が発生していた。

 事態の終始を記した文字列を追うごとに驚き、怒り、そして悔悟がキンメルの中で生まれ、大きくなっていった。【コロラド級戦艦】の四女が母港で死に体を晒すきっかけを命じた男は思わず歯を食いしばった。

 彼ら太平洋艦隊の主力は一斉に母港たるパールハーバーを十一月二十三日の早朝に出港していた。東京の駐在武官を介してワシントンに伝達された情報――日本海軍の戦艦がほとんど母港から姿をくらましたという知らせを受け、太平洋方面に展開するアジア艦隊も含めた全てのアメリカ水上戦力は奇襲攻撃を避けるために急遽沖合に展開していたのだ。

 もっとも命令を実行に移したキンメルだったが、彼はこの洋上避難命令は軍事を知らないワシントンの過剰反応だと判断していた。彼は日本海軍が持つ長距離遠征に必要不可欠な高速給油艦の数がお世辞にも十分ではないことを知っていたし、加えて彼は夏にも全く同様の事態に遭遇――日本海軍が太平洋で行った大規模演習を諜報部が開戦の兆候と誤認した――によって、一ヶ月もハワイ近海をひたすら遊弋した経験を持っていたからなおさらだった。

 きっと半年前と同じ。フィリピンならともかく、ここはハワイだ。そう考えたキンメルはワシントンから予告された奇襲攻撃日である十二月一日からほぼ一週間が過ぎた十二月七日の深夜に艦隊の一部を真珠湾へ帰投させていた。彼は依然として洋上待機を命じるワシントンから命令違反を追求されることを防ぐため艦隊を三分割し、補給と休養を交代でとらせるつもりだった。

 そして第一陣に選ばれた幸運な乗員は嬉々としてはパールハーバーに向かい、翌朝に控えていた補給物資の詰め込みと給油、そして半舷上陸に備えるために深い眠りについた。次の朝、彼らに待っていたものは従軍牧師による日曜礼拝と日本製爆弾の襲来だった。

 パールハーバーは瞬く間に南海の楽園から破壊が蔓延した混沌の空間に変貌した。平和な日曜日の朝は空から響く数多の轟音と次々と立ち並ぶ火柱によって完全に剥奪された。

 最悪の結果を招いたキンメルの気遣いによりパールハーバーに戻った戦艦は、彼の手元にある戦艦二十一隻の内、九隻。そして、全くの無傷であるフネは皆無だった。

 最も重大な被害を被っていたのは戦艦【アリゾナ】だった。【ペンシルヴァニア級戦艦】の次女として海に生を受けた彼女はたった七十六ミリしかない水平装甲に八百キロ爆弾を受け、主砲弾薬庫が誘爆。パールハーバー全体に破片をばら撒きながら四分五裂した状態で水底に横たわった。

 被害はそれだけではない。【ネバタ級戦艦】の次女である戦艦【オクラホマ】は複数の被雷により完全に転覆。その船底を水面上へ露わにしていたし、戦艦【ウエストバージニア】や【カリフォルニア】は本来の姿勢を保ったまま着底、その最上甲板は海水浴に興じていた。

「パールのまだ動けるフネはどうしますか? 」

 キンメルの傍らにあり、彼へ電文を届けた作戦参謀副官であるルイス・ヘンダーソン少佐の言葉にキンメルは傷ついた手駒の姿を思い浮かべた。

 日本軍は奇襲攻撃によりパールハーバーに在泊していた艦艇――特に戦艦に対して多くの被害を与えたのは前述した通りであったが、それはパールハーバーの戦艦戦力が全滅したことを示していない。パールハーバーに投錨していた戦艦の内、身動きが取れないほど傷めつけられたのは四隻。揃って枕を並べる四隻の彼女達は二列縦隊で錨を下ろしていたことから、四隻は内側にいた彼女達の仲間を守っていたのだ。

 戦力としてカウントできるのは五隻。決して無傷ではなく、どのフネも爆弾の直撃等の損害を受けていたが未だに戦力としての価値を維持していた。そして、キンメルにとって幸運なことに、内二隻――【メリーランド】・【ワシントン】の【コロラド級】姉妹二隻は日本海軍が主力とする四十センチ砲搭載艦に対抗可能なフネであった。

「とりあえず待機するようパイ中将に伝えてくれ。ミスター・パイは健在なのだろう? 」

 九隻の戦艦を率いてパールハーバーに戻ったパイの安否を尋ねる問いにヘンダーソンは窮した顔つきでキンメルに答えた。

「依然として不明です。」

 ヘンダーソンの言葉に偽りはなかったが、それは結果論であり真相はもう少し入り込んでいた。突然の空襲に混乱状態に陥ったパールハーバーに駐留するあらゆる部隊が各々、好き勝手に電文を空にばら撒いていたのだ。その中には全く事実に反する電文――いや、その多くが流言飛語の様態であった。

 太平洋艦隊旗艦の元にもそれらの電文は集積されていた。オアフ島沖合に敵戦艦のマストを発見……、湾内に日本海軍の潜水艦が侵入……、日系人による大規模な反乱が発生……、日本軍の大部隊が真珠湾に接近……。混乱の渦中にない太平洋艦隊にとって嘲笑さえ感じさせる報告の束に艦隊幕僚は事実と思える報告のみキンメルへ伝達することを決めていたのだ。

 パールハーバーにいる海軍軍人の中で最高位であるパイの生死に関する情報もその類の中にあった。彼らの元には壮烈なる戦死を遂げたとする電文と未だ健在であると告げる二種類の電文が届いていた。

「我々は如何なさいますか? 」

 ヘンダーソンの背後に現れた彼の上官である作戦参謀のチャールズ・マクモリス大佐はキンメルに尋ねた。彼はこの艦隊の作戦計画を立案する士官の一人だった。

 マクモリスの問いかけにキンメルは考えるような口ぶりで言った。

「ジャップはパールを空母部隊によって奇襲攻撃した。これはタラント空襲の猿真似だ。」

 侮蔑を表す言葉を当然のように使ったキンメルにヘンダーソンは内心に少々の心憂いを感じたが、それを押しやるように頷いた。

 ヘンダーソンは韓国戦争・レディバード号戦争に従軍する過程で特別親しい交友こそ持たなかったものの、日本人を始めとする黄色人種を間近に見ていた人物の一人だった。彼は戦局の変化から東アジアに派遣されたアジア艦隊の前線拠点が釜山、旅順、寧波と移り変わる間に共産主義に溺れた中国人や単純な感情により合衆国民を虐殺した朝鮮人よりは日本人の方がまだマシという結論に辿り着いていた。

 無論、彼にとって日本人を含めた黄色人種が白人に比べて三流でしかないことは深層的に意識していたものの、その中で日本人は独創性ある油断ならない民族だと彼なりに認識していた。彼は日本の租借地である旅順でキリスト教圏ではあり得ない日本独自の文化――ドウジンシなる恐ろしき片鱗を垣間見ていた。

 言うまでもなく彼はその感情を内心に封じ込めた。彼は常人並みの処世術を持っていた。海軍のみならずアメリカ人のほとんどは黄色人種が模造しかできない劣等人種と見なしている。

 キンメルは言葉を続けた。

「タラント空襲はイギリス軍の輸送船団を守るための目眩ましだった。なら、ジャップはこの攻撃に何の意味を持たせたのか。作戦参謀の意見を聞きたい。」

「撒き餌さなのでは? 」

 マクモリスはキンメルにそう答えると彼の上官はさらに説明を求めた。

「司令官もご存知のように日本海軍が持つ高速給油艦の数は多くはありません。また、彼らのフネは我々とは違い大距離を無補給で動き続けることはできません。」

 この言葉は全くの真実であった。日本海軍は正面戦力である主力艦、そして彼女達を支援する雷装を主兵装とする小型艦艇の建造に勤しんでいたが、彼女達の作戦能力を下支えする後方支援艦艇、特に高速給油艦の数が大規模遠征作戦の実施を全く不可能にしていることはアメリカ海軍もよく理解していることだった。ただ、アメリカ海軍はそれを日本海軍の弱点と見なした訳ではない。彼らの基本方針がマリアナ沖合での艦隊決戦であるということは当の日本海軍が国内向けに発表した広報資料の英訳により判明している。守勢作戦ならば補給問題はある程度無視が可能だった。

 キンメルが同意を頷きで示すとマリクモスは話を結論へ導いた。

「彼らが決戦を守勢で望むならば、最も恐れるべきは我々が艦隊保全主義に走ること。無論、フィリピンに同胞を持つ我々がそのように決断することはありませんが……。」

 マリクモスの言葉はフランクリン・ルーズベルト大統領の下で定められた合衆国戦争計画――レインボープランと合衆国海軍がアジア艦隊に巡洋戦艦二隻を編入させていることによって裏付けられていた。アメリカはフィリピンを放棄することなど微塵にも考えていない。なお、極東陸軍司令官の役にあり、レディバード号戦争の折から香港に陣を構えるダクラス・マッカーサー中将は大陸経由で日本海側から日本本土に上陸する作戦により早期に戦争を終結可能だと豪語していた。

 マクモリスは言葉を続けた。

「日本人は我々を是が非でも太平洋へ引きずり出したい。だから彼らは手袋を投げ込む必要があった。それに、手袋を投げ込むついでに決闘相手の体力を幾分か減らせるなら御の字だと。いくら我々が穏健でホルスターに手を伸ばすことを良としないとしても、母港を襲われ、同胞がいるウェーク、フィリピンに手をかけられたなら合衆国民が黙っていません。」

 この海域に空襲以上の脅威――水上打撃部隊の存在はないと推測する作戦参謀の言葉にキンメルは顔をしかめた。それは彼が海の支配者と考えていた戦艦という眷属がその座から転落したことを示し、また命令に背いた結果として一方的に叩き潰された不運な司令長官の経歴がここで終わることを意味していた。彼の手元にある唯一の空母――【エンタープライズ】はウェーク島へ海兵隊戦闘機の輸送任務を終えて母港に戻る途上であり、その格納庫には連絡用途以外の艦載機は存在していない。

 彼は小さく溜息をついた。彼が大将なる稀有なポジションに位置していたのはルーズベルト大統領の強引な人事の賜物であることは彼自身が最も理解していた。また、彼の他にも太平洋艦隊司令長官という重責を受け持つべき優秀な人材が合衆国に存在していることもまた彼は理解していた。そして近い将来、彼の身に起こるだろう苦難を心のなかで嘲笑しつつ太平洋艦隊司令長官は決断した。

「我々はこれよりハワイ西方沖に進出。哨戒活動を行う。」

 幕僚達が同意を示すと彼らは一斉に動き始め、マリクモスもヘンダーソンを連れて海図室へ向かった。行動を開始した彼らを横目で眺めながらキンメルは艦橋に備えられていた艦隊司令官用の椅子にもたれかかるように座ると恐らく生涯最後となる洋上の居城を感慨深く見つめた。

 波は鋼鉄の艦首を打ち砕くようにぶつかり、風は船乗りを冷たい大洋へ連れ込もうとガラスに体当たりを繰り返していた。


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