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洋上のストラテジー  作者: 獅子宮タケ
プロローグ
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プロローグ2 観艦式にて

 1937年 5月20日 

 スピアヘッド沖合 甲巡 足柄


 七つの海を制した海軍大国の沖合に錨を降ろした帝國の使者の眼前には蒼々たる光景が広がっていた。水平線を埋め尽くす艨艟の群れ。磨き上げられた鋼鉄の女神達の息吹が肌で感じられる。

 天気は良好。少し風が肌寒くも感じるが、新たなる英国王の戴冠を祝う記念すべき観艦式には最高のシチュエーションだった。

 そんな光景を織り成す一隻、遥々東洋から馳せ参じた甲巡【足柄】の艦橋トップにある露天観測所に少女にも思える顔つきの軍人が立っていた。海軍軍人としては異例の風貌である『彼』が着る純白の軍服に輝く階級章が大佐を示していることもアンバランスさに拍車を掛けていた。彼の名は北海(きたみ)連太郎。甲巡【足柄】の艦長に任命されていた彼はジョージ六世戴冠記念観艦式に参列した海軍士官の一人であった。


「艦長、お写真いいですか。」

 背後からの呼びかけに日向ぼっこを中断させられることを察した北海は幾分かの不愉快さを心中に押しこめながら振り返った。声の主は察しがついていた。出発地である横須賀を出港する寸前に便乗が決まった大尉だった。北海が聞くところによれば、彼はアメリカの何処かに派遣される旅路の途中だった。観艦式を終えた後にドイツに立ち寄り、ノーフォークに立ち寄りながらパナマ運河経由で祖国へ戻る予定であった【足柄】に便乗することは非常に遠回りにも思えるが、どうやら彼たっての希望で敢えて西廻りで新大陸を目指しているらしい。私物のカメラを持ち込んでいた彼は絶好の被写体を見つけたという所だろうか。

「また俺の写真撮るの?」

 北海は露骨に舌へ疑念を載せた。彼はインド洋を渡る最中から目の前にいる大尉への不審感を募らせていた。シンガポールで燃料を補給した後にマラッカ海峡を抜けた【足柄】を待ち受けていたのは灼熱のインド洋だった。四月上旬であるにも拘らず艦内温度四十度弱・湿度九十度前後――部署によっては室温は五十度にも達するという人間の生存に不向きな環境に陥った【足柄】の現状を鑑みて北海は戦隊司令官小林宗之助少将の黙認を得て、スエズ入港までの特例として夜間時の最上甲板における就寝と半裸での勤務を認めていた。北海自身も満点の星空の下、あられもない姿で眠りに就いていたが、彼は自身の寝顔をフィルムに焼き付ける確たる証拠であるシャッター音で目を覚ましていた。大尉は「過酷なインド洋のささやかな休息を記録に残したかった」と言っていたが、必ず別の目的があると北海は断じていた。

「艦長は海軍の広告塔ですから。いっぱい写真、撮らせてもらいますよ。」

 まるで北海の内心を意図的に無視するように大尉は微笑みながら、北海に対する海軍一般の評価を理由にカメラの微調整を続けながら言った。

 ――内心にも思っていないことをいけしゃあしゃあと……。これまで自らにカメラを構えた人間が口を揃えて言ったフレーズが耳に入ると、北海は大尉に対する言葉を胸の奥に仕舞いながら「わかったよ……」と投げやりに答えた。彼は溜息を付きながら、レンズに視線を合わせた。被写体になるのは初めてではなかったが、だからこそ被写体になることを面倒に思っていた。

「艦長、笑顔。笑顔。」

 大尉の声に北海は引きつった笑みを浮かべた。とても絵になるような笑顔はできなかった。彼は決して口外しなかったものの非常に疲れていた。中国におけるレディバード号戦争とスペイン内戦の影響で多くの艦艇を遠隔地に派遣していたイギリスは通例よりも遅くしか招待状を送れなかった。それ自体は致し方ないことだが、そのしわ寄せは北海を始めとする現場の負担増大として現れていた。加えて慣れぬ異国への長距離航海による心身への疲労の蓄積、そして何よりもカメラを構える彼は北海にとって「敵」であったことは一層北海の表情を硬くした。彼は広告塔としての地位を確立する契機となった着慣れない礼服の胸元で小さいながらも圧倒的な存在感を発する金鵄勲章を恨めしく思った。


 戦功を証明する黄金色のトビを模した勲章は北海の海軍における立ち位置を示していた。第一次世界大戦における出血の代償として大日本帝國が信託統治領として得たニューブリテン島を巡り、オーストラリアとの一連の領土問題がエスカレートした結末であるオーストラリア軍のラバウル侵攻――俗にいう外南洋事変において彼は急派された【足柄】と共にオーストラリア海軍旗艦を務めていた戦艦【オーストラリア】及び駆逐艦二隻を撃沈していたのだ。

 法的正当性を証明するために事の一部始終を映像として記録させていた彼は、事変終結後に大英帝国から外交的譲歩を引き出す材料を提供したのみならず、若干の編集の後に映像が記録映画として公開された結果として国内外問わず大幅に知名度を上昇させていた。北海にとってそれは望んだことではなかったが、海軍は華々しい功績と稀有な存在である美形な顔面を可能な限り利用する魂胆だった。


「艦長殿っ――。」

 怒気を孕んだ声にいつの間にかに視線を落としていた北海が視線を再び大尉に向けた。そこにはシャッターに手をかけた大尉の姿があった。

「ぷっぷくぷぅ~」

「ふっ」

 大尉が発した渾身の裏声に北海は思わず表情が和らぎ、同時にシャッターが切られた。ファインダーから目を離した大尉は満足気な表情を浮かべている。

「艦長、写真ありがとうございました。」

「あっ……。うん……。」

 今度こそ北海は呆れた。彼は目の前にいる生き物が何を考えているのかわからなかった。少し遅れて沸々と苛つきが心に満ちてくる。人を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。

「大尉!」

「はい?」

 全く悪気のない返答だったが北海はこれまで心中で培っていた不信をぶつけた。

「君が俺のことを嫌っていようが恨んでいようが構わない。俺だって海に出て得た行き過ぎた功績と海に出る前にやった仕事のおかげで色々と海軍内部で恨まれていることは知っている。そんなチマチマと嫌がらせするぐらいだったら、天誅とか叫んで正々堂々討ち取りに来たらどうなんだ。」

 北海は息荒く吐き捨てるように言った。――上半身裸で寝ている所を写真に収めて「北海は観艦式に参列するにも拘らず風紀がなっていない」と掻き立てるつもりだろう。彼は本気でそう信じていた。北海は彼自身が批判の対象になることは全く構わなかったが、兵の身を案じて規律を緩めた小林司令官に災難が降りかかることは絶対に避けたかった。また海軍そのものの品格をもて遊ぶような行為も許せなかった。

 礼服で笑いを堪える写真にも適当に解説文を取って付けて誹謗中傷の道具にするつもりだろう……。そんな女々しい小細工するぐらいだったら正面から斬りかかって来い。かつて内偵将校であり陸軍軍務局長室で相沢という過激思想に魅入られた陸軍中佐を斬り捨てたこともある彼は本気だった。

「その、艦長。」

「なんだっ」

 申し訳無さそうな大尉の言葉に北海は苛ただしげに答えた。例え「陸軍の娼婦」と陰口を叩かれても「俺は男なんだけどな」と冗談を言う程度の反応しか見せなかった彼であったが、親愛なる上官と海軍そのものを守りたい気迫は烈々たるものだった。

「艦長は海軍のアイドルなんです。」

「へ?」


 優しい陽光が降り注ぐ【足柄】の露天観測所で大尉は忌まわしい真実を北海に告げた。海軍は外南洋事変における勝利を喧伝した記録映画が本来の目的とは異なる方向に昇華していた現実を探り当てた。要するに美形軍服少年にある程度の需要が存在するという身も蓋もないことである。そこで誰が思いついたのだろうか。海軍は小遣い稼ぎに北海を前面に押し出した広報誌を売り出そうとしていたのだ。天宇受賣命あめのうずめは淫靡な舞で天岩戸あまのいわとを開かせたと古事記にも書いてある。海軍の一将校を見世物にしたとしても国防に寄するためである。罰は当たるまい。例え肌色が多いと国会で指摘されても彼処さえ隠していれば列記とした男が脱いで何が悪いと突っぱねられる。そうして、それに掲載する写真を集めるという密命を大尉に託したということらしい。

「で、俺の写真を集めていると。」

「はい。隠し撮りでも構わないとの指示です。」

「俺が半裸で寝ているのを撮ったのは?」

「読者はそういうのを求めています。」

 北海はこめかみを押さえながら俯いた。腹の底から安堵と自分が思い詰めていたことに対する馬鹿らしさが込み上がってきた。苦い笑みが自然と口元を緩ませる。もちろん、プライバシーなど一切存在しないということの重大さは理解していたが。

「勘違いして無礼なことを言ったのを誤りたい。申し訳なかった。ただ一つ質問させて欲しい。」

「なんでしょう?」

 首を傾げる大尉に北海は真剣な眼差しで尋ねた。

「男の半裸写真を載せて何が楽しいんだ?」

「それがいいんです。」

 少々の冗談と熱い思いを込めながら真剣にそう答えた大尉にとうとう北海は困った表情を隠すこともしなかった。何か色々と間違っているように思える海軍の意思に北海は呆れしかない言葉を呟くのだった。

「もうやだこの国……」


 足元にあったアタッシュケースから大砲のようなレンズを付けたカメラを取り出し、被写体を艨艟に切り替えた例の大尉を横目で眺めつつ北海は再び日向ぼっこに興じ始めた。彼はこの少しばかりの時間が貴重であることを知っていた。観閲船であるロイヤルヨット【ヴィクトリア・アンド・アルバート】が港を離れるまでの間だけが彼に残された日向ぼっこの時間である。

 北海は気を取り直して艨艟の群れに視線を送った。いかなる国旗に忠誠を誓うフネであっても、整然と停泊する情景に彼は少しばかりの感銘を覚えていた。彼が平和の残り香に触れるのは久しぶりのことだったのだ。もはや軍に勤める人間の中に、今は亡きフランスのフォッシュ元帥が遺した「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ。」という言葉を否定する者はいない。事実、【足柄】が道中に立ち寄ったジブラルタルにて遭遇したドイツの装甲艦【リュッツォウ】の惨事は暗雲たる未来を予想させた。

 スペイン国粋派と密接な関係を持つドイツのフネとはいえ、砲塔天蓋に中立国の印である黒・白・赤の派手なストライプを巻く彼女を攻撃するのは完全に御法度だ。何よりも、その下手人がスペイン共和派を自称する双発爆撃機――ツポレフ[SB]であることは西欧各国の琴線をかき乱していた。その機体を操ったのはロシア人であることは容易に想像できる。「やはり共産主義者とは共存できない」 北海は観艦式の下準備で接した諸外国の海軍士官からその叫びを聞いていた。どちらかと言えば、スペイン共和派に同情的という外交的立場であるはずの英国の海軍士官との雑談でこの種の話が飛び出たことは北海にとっても驚きであった。なお、観艦式にはソ連海軍からも出席者がいるはずだが、彼らは西側海軍との接触を好まなかった。

 ――やはり次の戦争は世間が騒ぐように資本主義と共産主義の対決なのだろうか?


 北海は小さく溜息をついた。いや、そうとも限らない。資本主義陣営という括りはあまりにも大雑把で実態のない幻想だ。それを標榜する国同士が砲火を交えることもまたありふれた話だ。この世界に火種は幾らでもある。

 1930年代、特にその後半を北海は「出師の時代」と考えていた。列強国から小国に至るまでその軍備の拡張スピードは異様だった。まるで、どの国も次の世界大戦が遠からず起こることを知っているような立ち振る舞いだ。確かに、前の大戦が終わった直後でも世界の海軍界隈は建艦競争というギャンブルをやめられなかった。最も、それは条約締結に最も可能性があったはずのワシントン海軍軍縮会議で米英が反目したことが主な原因であるが、そうだとしても1930年代の度を越したような海軍拡張への熱源をそれに求めるのは難しい。その過熱ぶりに20世紀以前から海軍に勤める多くの将官が1910年代の狂わしき建艦競争を思い出すのも頷ける。先の大戦で軍備は平和の保障ではないことを世界は知っているはずだが、その競争がどんな結末に終始するかは北海にも分からない。彼は答えを求めるような視線を海へ投げかけた。


 北海の視線は艦列Gラインに向けられていた。【足柄】も並ぶ招待国で編成された艨艟の列だ。各国の威信を体現させることを求められた彼女たちは塗りたてのペンキの香りを漂わせつつ、それぞれが従う旗を穏やかに靡かせている。


 その艦列Gライン先頭に位置し、一際目を引くのは世界最大の海軍国と上り詰めたアメリカ合衆国が派遣した戦艦【ノースカロライナ】だった。アメリカの艦隊整備計画『ダニエルプラン』の一翼として建造された【サウスダコダ級戦艦】の四女である彼女は三脚マストに星条旗をはためかせて新大陸の威光を知らしめている。彼の国はダニエルプラン第一陣である【サウスダコダ】をベースとした戦艦群を多数量産するのみに留まらず、近年では『ヴィンソンプラン』なる数次に渡る海軍拡張法に従って最大27ノット以上を発揮すると推測される新型16インチ砲搭載艦を1ダース分の予算を通過させるという現実離れした国力を見せつけていた。


 国内問題の都合とはいえ、1919年という軍事的に全く役に立たない時期に先の大戦に加わったアメリカは国庫が疲弊し尽くした英仏を傍目に経済的に独り勝ちの様態を見せていたが、1929年の世界恐慌という富の終わりを境に苦難の時代に足を踏み入れていた。

 1932年、ハーバード・フーヴァー率いる共和党を退け大統領に就任したアル・スミスは進歩主義を唱える保守派の旗印であり、彼が打ち出した企業結合による生存性向上政策――要するに独占禁止法の大規模緩和である「リ・トラスト」は失業者問題をさらに加速させるだけだった。彼はフーヴァー政権時代に日本が満州に国家を築き上げるディールとして得た大韓共和国という新たなる市場の開発によって危機を脱することができると踏んでいたが、それは国内における武装蜂起という最悪の結末しかもたらさなかった。

 1934年、南部諸州において『アメリカ人民連合国』を名乗る共産主義者による革命の宣言は全米を震撼させた。瞬く間に南部全州と西海岸都市圏に広がった武装闘争は共産主義者に占領されたロングビーチにウラジオストク発の「ロシア系移民」を満載した密航船が入港したことによって最高潮に達した。アメリカは約70年ぶりに2度目の内戦に突入したのである。もっとも、アメリカ人民連合国は1年と経たないうちに合衆国軍から武力にて粉砕され組織的抵抗は程なくして終わりを迎えるが、アメリカ人が2つに分断されたことは確かだった。

 1936年、声高に反共を叫んだアルフレッド・ランドン率いる共和党が東部諸州の圧倒的支持を得て政権を奪還するとアメリカは反共の尖兵として道を歩み始めた。手始めに国内におけるレッドパージに取り組んだ彼の国は同時に共産ゲリラ掃討を名目として社会主義的傾向があったメキシコへ侵攻、第二次米墨戦争を巻き起こした。彼らはメキシコに亡命したアメリカ人共産主義者が同国で武装を整え、再びアメリカへ戻ってくることを真剣に恐れていたのだ。米国の前では所詮小国であるメキシコは戦わずして政治的独立という条件付きで降伏、メキシコは親米反共国家に鞍替えを余儀なくされた。同年には中南米の親米国による米州機構(OAS)なる軍事組織を設立させ、同地域における資本主義体制の維持に本腰を入れた。翌1937年、ナショナリズムが高まりつつあったパナマにて暴動が発生したことを契機として同国に侵攻、これを併合したのみに留まらず、同年に中米の英領グラナダにて共産主義者が武装蜂起したことをきっかけに同島へ治安介入を行った。このグラナダ作戦は宗主国であるはずの英国に対して事後通告となったため両国間で深刻な外交的問題と化したが、この時点で米国は無尽蔵の公的資金を戦争という名目で大量消費するというある種の公共事業によって経済危機を完全に脱出しており、合衆国民はランドン政権が叫ぶ反共戦争という明白なる使命を熱烈に支持していた。

 1938年現在、中華民国を消滅させた中華人民共和国が英国砲艦を鹵獲したことに端を発するレディバード号戦争及び朝鮮半島にて朝鮮人民共和国を名乗る武装集団と韓国戦争を戦うアメリカ合衆国は今なお経済的発展を遂げる「拡大する戦争機械」として、その名を馳せていた。もちろん、同国の軍事力もそれに応じて急成長を遂げていた。何か事が起こるたびに資本主義と共産主義の全面戦争が噂されるのは同国の強固な態度も理由の一つである。

 唯一、幸運なことは満州国を成立させる対価として朝鮮半島を売り払った幣原=スティムソン協定以来、我が国とアメリカ合衆国は概ね良好な関係を維持していることだろうか。1938年現在は中華人民共和国去りし後の「新しい中国」構想という夢物語に絡んで、その関係性は冷却を迎えつつあるものの依然として日米軍は反共の紐帯を有しているというのが両国軍の意見である。


 順列二番目には、浮かべる大使館の行列であるG列の中で肩身を狭そうにしている小じんまりとしたフネがいた。諸国の出席艦と比べて明らかに小ぶりな砲塔の上方でトリコロールが弱々しくたなびいている。彼女は戦艦【ジョレーギベリ】。落日のフランス艦隊が誇る最大かつ最強の戦力である齢十六の戦船である。

 元はといえば、オスマントルコがブラジルから購入を決めた戦艦【スルタン・オスマン・イ・エヴェル】への対抗としてギリシャ海軍が発注した【ヴァシレウス・コンスタンティノス】であるが、サラエボの銃声が全てを帳消しにしてしまったのだ。1914年6月に起工されるも、約1年後である1915年7月に建造停止が決定された彼女は戦場がパリ北東に迫っているにも状況では放置させるしかなかった。建造が開始されたのは起工から5年が経った停戦発行後である1919年11月。フランスはこの時点においてギリシャが彼女の受領に応じる確証を持っていなかったが、自国艦隊への編入も視野に入れた建造再開の決断であった。【プロヴァンス級】と腹違いの姉妹である彼女は火力の貧弱さから建造当時ですら「並以下」という評価を頂戴していたが、仮想敵であるイタリア海軍が大戦の間に建造を中断していた【フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦】の建造を再開する中で唯でさえ弩級戦艦の整備に出遅れていたフランスは一隻でも多くの戦艦を一刻も早く欲していた。当時フランス海軍は他にも大戦によって建造が中断され、その間に陳腐化が見え隠れしていた戦艦を少なからず抱えていたが、今建造を中止すれば次の戦艦の就役が7年後になることを見越して不利を承知で建造を続けていたのだ。

 1920年、大戦が法的に完全に終結したベルサイユ条約が結ばれた頃には、今さらギリシャが彼女の受領と代金支払を拒否し造船会社であるロワール造船所と紛争が始まったが、フランス政府にとってはこれも織り込み済みであった。【ヴァシレウス・コンスタンティノス】としてすっかり公試を終わらせてしまっていた1922年。賠償金の大きさを巡る紛争は未だ続いていたが、【クルーべ級戦艦】の一隻である【戦艦フランス】がギブロン湾にて海図にない暗礁に乗り上げ喪失したことをきっかけにフランス側が折れる形でギリシャとの契約は賠償なしで放棄が確定。晴れて彼女はアロー戦争で活躍した提督の名を頂いてトリコロールを掲げた。

 前述したように【プロヴァンス級】と異腹の姉妹である彼女の携える火砲は45口径[Modèle1912]34センチ砲という戦艦としては二線級の代物であり連装砲塔5基という出で立ちも合わさって、その戦力的価値は決して高くない。竣工当時、既に英国艦隊や宿敵イタリア海軍が15インチ砲艦を揃えた戦列を地中海に並べていたことを鑑みれば、彼女の立ち位置に同情するしかない。もっとも、北海個人としてはクラシカルな容姿を「これはこれで趣がある」と気に入っていたようだが。


 もっとも、問題にすべきは彼女の存在ではなく彼女の祖国だろう。彼女が忠誠を誓う祖国は日本のみならず米英が認める正真正銘のフランス正統政権であるはずだが、その旗の下にフランス本土はおろか欧州の地は一寸たりとも残されていないのだ。



(製作中)



 順列三番目にはブリティッシュ風味の真新しい艨艟の姿があった。新月旗をはためかせる彼女はトルコ共和国が大英帝国から購入した新造戦艦【ファーティ】である。大英帝国の老舗メーカであるビッカースとアームストロングが手を取り合った結果として生まれた中型戦艦シリーズの傑作「VA型戦艦」の一隻である彼女は基準排水量3万8千トンで列強各国が揃えるバトルシップに比べれば小粒であったが、新規開発された14インチ砲の実力は侮れない。

 先の大戦が終結して以来、箱庭の小さな建艦競争が生じていた黒海に面するトルコ共和国は後塵を拝する立場であったが、それを打開するべく発注されたのが【ファーティ】とその姉【トゥルグート・レイス】の二隻だった。彼女たちがイギリスへ発注されたように、英土関係は今のところ良好であった。もちん、その背後には黒海のシーパワー競争に一枚噛んでおきたいという大英帝国の思惑があることは言うまでもない。

 革命が胎動しつつも一帝国として体裁を保ったまま連合国と講和に持ち込んだドイツと違って、国土が四分五裂したオスマン帝国だったが、その中核である小アジア半島を継承したトルコ共和国は国父ケマルが目指した国民国家・共和主義・世俗主義を標榜し続けていた故に資本主義陣営とは友好的な関係を構築することには成功していた。とはいえ、未だ彼の国が周囲から大きなプレッシャーを受け続けていることには変わりはない。1938年現在の黒海は発展著しいソ連黒海艦隊のみならず、ドイツの強い影響下にあるウクライナに駐留するドイツ黒海艦隊とウクライナ海軍がひしめく海なのだ。ローザンヌ条約によって古都インタンブールを含む海峡地帯をあらゆる国家に属さない自由地区として奪われ、ダーダネルス・ボスポラス両海峡の自由通航が認められた現状においてトルコ海軍が持つ地の利はない。英国が相互援助協定を結び、後ろ盾になっているからこそ辛うじて均衡が得られている厳しい状態である。

 なお、オスマン帝国時代にドイツから譲り受けた巡洋戦艦【ヤウズ】も英国にて近代化改装を受けており、未だ現役であった。トルコは少なくとも今後10年は老嬢を使い続けるつもりらしい。


 母なるアララト山の向こう側に巣食う赤き衝動への回答が【ファーティ】だったが、彼女の存在によって芋蔓式に建造されたフネが彼女の隣に配されたことはイギリス人がブリティッシュ・コメディをこよなく愛することを表していた。ギリシャから参列した戦艦【ヴァシレフス・コンスタンチノス】が建造された理由はトルコの【ファーティ】を撃滅することただ一つであった。

 トルコ海軍が新造戦艦を大英帝国から入手することを察したギリシャがアメリカに発注した新型戦艦は基準排水量約3万8千トンであり、主砲口径も同じ【ファーティ】と同じ14インチである。しかし彼女はアメリカ海軍が得意とするSHS(超重量砲弾)を採用することによって【ファーティ】を上回る打撃力を得ていたのだ。エーゲ海最強の名を持つ彼女の戦闘能力の高さは確かなものである。

 しかしながら、強力なる彼女の保有は強靭とはいえないギリシャ経済に重くのしかかっていた。先の大戦を迎える以前にギリシャの海を制した装甲巡洋艦イェロギオフ・アヴェロフですら彼女の名でもある大富豪が建造費の3分の1を寄付するという奇策の下でようやく建造されるという財政状況である。不幸なことにアヴェロフ氏はとうの昔にこの世を去り、ギリシャは大量に国債を発行して糊口を凌ぐという自転車操業でなんとか国家運営を行ってきたが、債務不履行という足音がすぐそこまで迫っていた。金融界隈ではどこかの債権国の軍が国土を差し押さえに来るなるジョークが流行するほどである。彼の国を助けようとする物好きな国はない。


 さて、仲良し組はここまでかな……。

 北海がそう心内で思ったように順列四番目にはゲルマンチックな艨艟の姿がある。艦の順列は英国海軍が指定したものだが、それは艦種ごとに英国との友好度を基準に組み立てられている。友好国アメリカに次いで地中海沿いの沿岸海軍風情の二隻が並んでいること自体が異様だ。残念ながら、英国の友人は少なくなっているのだ。

 新大陸で星条旗を掲げる反共主義者たちの姿に危機を抱いた結果として生み出されたフネが五月の太陽と呼ばれる太陽神インティを模した浅葱色の旗を靡かせている。アルゼンチンの虎の子、戦艦【インディペンデンシア】だ。

 現在のところ、米国は共産主義者以外に敵対する兆候は見せていないが、軍備とは相対的なものである。パナマ共和国が滅共の名のもとに消滅を迎えたことを間近に見ていたアルゼンチンは軍備拡張のために国庫から蓄えを放出するしかなかった。『独立』を名に冠した彼女はアルゼンチンが有していた旧式戦艦【リバタビア級】二隻を売却した資金を元手としてドイツに発注された基準排水量4万2千トンという現在において南米一の巨艦であり、ドイツ製38センチ砲と29ノットの最大速力はアメリカ海軍に彼女を押さえ込める戦力を南半球に貼り付けておくことを強要していた。

 アルゼンチンが数回に渡るコンペティションを経て発注国にドイツを指名したのは一重に魅力的な価格であった。ドイツは戦艦の新造がヴェルサイユ条約にて禁止されていた1920年代から積極的に中小海軍を有する第三世界へ売り込みを仕掛けていたが、彼の国は1930年代からコンペ終末期に採算に見合わない金額を提示するという手法すら取り入れていた。その成果の一隻が【インディペンデンシア】なのである。この強引な手法はヒトラー総統の発案であると噂されているが、安価な契約による契約国との結びつきの強化によって、最終的に親独的な市場を手に入れることが目的だと国際社会は見ていた。実績だけを鑑みれば、未だに正真正銘の新造戦艦の受注を勝ち得たのは今のところアルゼンチン一カ国だけだが、最終的にドイツから戦艦を購入しなかったチリやアルゼンチンといった南米諸国とも外交関係を強めており、その成果は確実に現れ始めていると考えるべきだろう。


 順列五番目にはイタリア王国から馳せた戦船が並ぶはずであったが、残念ながらイタリアの統領ムッソリーニは艦艇の派遣を拒否していた。ファシストはイギリス人と親しむつもりがないらしい。先の大戦では連合国だったはずのイタリアは気づくとその立場を変化させていた。国家社会主義を掲げる彼の国は1936年のエチオピア併合が象徴するように拡張主義を隠すことすらなくなっていた。彼らは地中海をもう一度「Mare Nostrum(我らが海)」にするために多くの努力を重ねている。その主力艦は数こそ少ないものの地中海という限られたフィールドを前提にした設計は戦闘的だった。高速を重視する伝統も不変であることがそれの脅威度をより高めていた。


 


 続く順列六番目にはイタリア風味の船体を持っていたが、どことなく陽気な雰囲気の彼女たちイタリア艦と違う、冷たい雰囲気を身に纏うフネの姿があった。彼女の名は【ムルマンスク】。赤き星の紋章を身につけた彼女は赤色艦隊のフラッグシップだった。

 イタリア、アンサルド社が書き起こした設計図を元に建造された基準排水量四万トンの船体に紆余曲折の後にドイツ製三十八センチ砲を搭載した彼女がキメラとなったのはソ連海軍の大型艦艇建造技術が未熟であることを示していた。ソビエトを掌握したスターリンは来るべき資本主義者との対決に備え、本格的な艦隊戦力の整備を指示していたが、一九三七年において野望は実を結んでいない。だが赤き目線が海上に向けられたという事実は周辺国に大きな危機感を抱かせていた。


 


 順列 番目に停泊しているのは赤と青に彩られたトリコロール旗を掲げるフランスが誇る美しき高速戦艦【ダンケルク】であった。一九三〇年代後半に発生した欧州海軍の爆発的中型高速戦艦の乱建艦の波及により建造された彼女の特徴は何と言っても前部に集中配置された四連装三十三センチ砲であろう。列強海軍基準ではやや小振りの砲であるが、新開発の砲塔であるらしく実力は侮れないものがある。

 彼女の檣楼に揚がるトリコロール旗には硝煙の香りが残っていた。スペイン内戦に本格介入を決断した左派人民戦線に対して発生した新たな革命――俗にいう『将軍達の反乱』、その混乱に乗じてフランス本国メルセルケビール軍港を襲撃したイギリス艦隊と彼女は砲火を交えていた。

 植民地であったマダガスカルとニューカレドニアを初めとする南太平洋領土をイギリスに占領されたフランス統制政府はドイツ帝国と相互防衛条約を結ぶと共に、大西洋側の西部沿岸部にマジノ線と呼ばれる要塞線を構築、来るべき英仏決戦への準備に邁進しつつあった。


 そのフランスと歩調を合わせつつあったドイツ帝国の精鋭艦は順列八番目に位置していた。ドイツ帝国海軍に所属する装甲艦【アドミラル・シェーア】は三十・五センチ砲を搭載したドイツにとって大戦後初となる新造大型艦だ。基準排水量三万一千トンであり、目立つことを避けるために『装甲艦』なる中途半端な身分で海に生を受けた彼女だったが、ヴェルサイユ条約によって長期間、新造艦の建造を封印されてきたドイツが掟を破った初のフネであることから列強海軍から広く注目された結末として列強海軍に中型戦艦の乱建造――後に言われる『シェーア・ショック』を生み出した張本人となっていた。

 第一次世界大戦を不完全な形で終了させ、そして崩壊したドイツ帝国だったが、流星の如く出現したアドルフ・ヒトラーの強烈な指導力のもと急成長を遂げつつあった。ドイツ海軍も例外ではなく、ヴィルヘルム二世の遺産を再戦力化させると共に、彼女のような新造艦を戦列に加えた高海艦隊は二十年の雌伏の時を経て再び外洋海軍へと舞い戻ろうとしていた。


 そして、舳先に菊花を頂いた黒鉄が順列九番目に浮かんでいた。大日本帝國海軍所属、甲巡【足柄】――北海が艦長を務めるフネがそこに停泊していた。

 前述した『シェーア・ショック』、そして米英海軍が口径二十五センチ以上の主砲を搭載する大型巡洋艦を建造したことから設計を大幅に変更した【妙高型甲巡洋艦】の次女である彼女は基準排水量三万一千トンという招待艦艇の中では比較的小柄な部類であったが、その船体に多くの熱い視線が注がれていた。

 ジュットランド沖海戦において爆沈した先代の名を継いだ【改クイーン・エリザベス級戦艦】であったオーストラリア艦隊旗艦、戦艦【オーストラリア】を至近距離において撃沈した彼女の知名度は急激に上昇していたのだ。

 第一次世界大戦後に経済的に疲弊しながらも八八艦隊と呼ばれる大規模建艦計画を成し遂げた大日本帝國だったが、対するアメリカがそれを上回る規模の艦隊整備を行ったことから安全保障の観点で窮地に陥っていた。国防の中核たる戦艦の数で大きく水を開けられた彼らは漸減邀撃なる思考にて迫り来る鋼鉄の暴風に抗おうとしていたが、その理想像は未だ具現化されていなかった。


 艦列Gラインには他にも各国から派遣されてきた小艦艇が散見できるていたが、彼女たちの背後にそびえ立つ浮城がほとんどの目線を吸収していた。黒に近い深い灰色で塗装され、盛大に威圧感を醸し出しているのは、艦列Fラインで佇むイギリス海軍の看板娘【ネルソン】そのものであった。

 彼女こそ一九三七年の世界で最強と評される戦艦であった。特に主砲として前部に集中配置されている四十二口径十八インチ三連装砲(推定)は世界のいかなる水上戦闘艦をも一撃で戦闘不能に陥れる破壊力を秘めている。なお、英国海軍公式は頑なに彼女たちの主砲口径を「十六インチ」と主張しているが、現状ではそれを信じるものは海軍士官にはいない。

 第一次世界大戦において国力を幾分か衰退させた大英帝国だったが、日の沈まない帝国であることに変わりはなかった。仏領マダガスカル及び南太平洋諸島を掠め盗り、アジアにおいてチベット及び中国南部を支配地域に入れ、英領アジア帝国を作り上げた大英帝国は欧州大陸諸国、そして大日本帝國と対立を深めていたが、そんなことはお構いなしに紳士達はブロック経済に邁進しつつあった。


「艦長、どうしましたか?」

 若い大尉は、ぼんやりと海を眺める北海の表情に怪訝な表情を浮かべた。

「いや、少し考え事していただけだ。」

「なるほど。確かに考えされられますね。」

 大尉は北海の声音に何を考えていたのか察したように頷いた。海軍軍人である彼らは近づきつつある一つの結末を直感的に感じ取っていた。大尉は続けた。

「一体、十年後に何隻が生き残っているのでしょうか……。」

「俺は、みんな生き残っていて欲しいな。一隻欠けることも無く。」

 大尉は北海の予想外の答えに軽く驚きながら、目の前に立っている金鵄勲章受賞者を見つめた。その様子に北海は微笑みを浮かべながら言った。

「どこのフネも、みんな個性豊か。色んな表情してる。まぁ、ウチの足柄には敵わないけどね。」

 若い大尉はもう一度、艨艟を見回した。そこには先程と全く変わらず穏やかに波間で揺れる戦船の姿があったが、無機質な鋼鉄が集う光景にそれ以上のものを彼は感じることはできなかった。

「個性豊か……ですか。」

 全く価値観を共有できない文化に遭遇した若い大尉は戸惑いながら北海に言った。一方の北海は気にすること無く独白を続けた。

「あぁ、豊満なアメリカ娘も、華奢なイタリア娘も、クールなロシア娘も、もちろん肉食派の足柄さんも、みんな大好きだ。」

「はぁ……。」

 若い大尉は呆れたように呟いた。彼は海軍の中に戦艦を始めとする艦艇を愛好する人間が少なからず存在していることを知っていた。だが、それをまるで恋愛対象であるかのように言った北海の存在は異常だった。加えて彼は北海の言葉が比喩ではないことをその表情から読み取っていた。


「――だが、フネは仕える主人を選べない。」


 唐突に耳を打ったどこか悲しい声音に大尉は北海を見つめ直した。そこには彼女達を手にかけることが約束されているだろう男の姿があった。大尉は全てを理解した。北海は彼女たちを心から慈しみながらも、その彼女たちを撃たねばならぬ立場であることを。

 この人は提督に向いてないな……。若い大尉はそれまで伝聞してきた北海の姿と実物の差に素直にそう感じた。優しき戦神。そんなフレーズが大尉の脳裏を駆けた。だが、大尉は同時にこうとも思っていた。それがこの人のいいところなんだろうな……と。

 ――この人に付いて行ってみたい。そんな想いを胸の内に抱いた若い大尉は微笑みながら言った。

「優しい人ですね。艦長は。」

「そりゃあ、紳士ですもの。」

 浮かべてしまった儚げな面持ちを隠すように冗談を言い放った北海に大尉は、ほくそ笑みながら応じた。

「軍艦を愛でる人なんて変態以外の何者でもありますまい。」

 大尉の危うい発言に北海は楽しそうに答えた。

「変態じゃない。仮に変態だとしても、変態という名の紳士だな。」

 二人はニヤリとした目線で見つめ合い、そして声を上げて笑った。


「そういえば自己紹介していませんでしたね。」

 ひと通り笑い終わった大尉はそう言って背筋を正した。

「帝國海軍大尉、高嶋正春であります。」


 北海はまだ知らない。この大尉が彼にとって永き時を共にする大切な右腕(パートナー)になることを――。

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