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Episode.Ⅸ 復讐



「……何のつもりだ」

 食い縛った歯の隙間から唸るような声で、アルウィンは言った。彼が振り下ろした剣は、深々と突き刺さっていた。シャノアの首のすぐ横、短い草の生えた地面に。

 彼にのしかかられたまま地面に倒れた彼女は、目を丸くして、かつてないほど困惑した顔をしていた。

「……それはこっちの台詞だよ」

「何だ、今のふざけた剣筋。馬鹿にしてるのか」

 さっきの彼女は、一太刀も本気でかかっては来なかった。肩の怪我の影響もあるだろうが、それを抜きにしても。

「だいたい、王都までの案内役を引き受けた理由がわからない。お前にはメリットなんかないはずだ」

 彼女は合理的で狡猾な性格をしている。戦場では、それで何度も痛い目に遭わされた。

 髪の色を幻術で金色に変えたのは、アルウィンの記憶が戻るきっかけを少なくするため。

 施療院を早く出たのは、アルウィンではなく、彼女自身の治癒能力を隠すためだ。魔族は人間よりも回復が早いから。

 全てに理由がある中で、ただ一つ。王都に向かうアルウィンに同行したことだけは、説明がつかない。

「お前は……全部、覚えていたくせに……何で俺を殺そうとしなかった」

 シャノアは、記憶を失くしたアルウィンに普通に接した。逆の立場だったら、アルウィンにはそんなこと出来ない。憎み、嫌い、隙を見て殺すだろう。

「……ああ、そうだよ。敵だったことも、剣を交えたことも覚えていた」

 静かな青色の瞳が、アルウィンの体で影になったところから見上げる。

「君に助けられたことも」

 その言葉に、アルウィンはぐっ、と詰まる。

 違う。

 あれは、助けようとしたんじゃない。ただの罪悪感だ。

 あの崖から落ちる直前。

 これで最後だと感じた。

 この一振りで、最後だと。

 ひゅっ、と風を切る音がした。

 シャノアは足を踏み替えて後方に下がり、ぎりぎりでそれを避ける。彼女の頬に掠った刃先は赤い血を舞い散らせ、同時に銀色の長い髪がばらりと切り落とされた。

 細い銀色の糸が、宙に舞う。

 青い瞳が大きく見開かれる。

 彼女が踏み替えた足が踏むべき地面は、そこにはなかった。バランスを崩して空中に投げ出されるその姿にアルウィンが重ねたのは、崖から落ちて死んだ、幼馴染の少女の姿。

 咄嗟に伸ばされた彼の手は彼女の手を掴み、そして、そのまま。

「……あれは、お前のためじゃ」

「そうだとしても」

 彼女は強い口調で、アルウィンの言葉を遮った。

「敵に借りをつくったままじゃ癪にさわる」

「……それが、俺に同行した理由か」

 でもそれだけにしては、お節介が過ぎる気がする。たかが一瞬の借りを返すために、彼女は一週間近くもかけたのだ。僅かな路銀はほとんどシャノアが稼いだものだったし、細かい気遣いをされていたこともわかる。炊事だって道中の魔物退治だって、記憶を失くして右も左もわからなくなっていたアルウィン一人では、できなかった。

「それもあるけど」

「……他にも理由があるのか?」

 顔をしかめて問い返すと、彼女はわずかに目を細めて微笑んだ。まるで、遥か遠くを見るように。

 そうして彼女は、彼の言葉に答えを返す。それは、予想だにしないものだった。

「私はただ、君と友達になってみたかっただけだよ」

 アルウィンは、ぽかんとした。

 空はすっかり晴れ渡り、風が草木を揺らして森の音を奏でる。小鳥の囀りさえ聞こえてきた。

「……は?」

 間の抜けた顔をして間の抜けた声を出すアルウィンを、シャノアはおかしそうに笑って見上げる。

「そんな変な顔をするなよ。私だって、君を憎んでいないわけじゃない。この気持ちに整理をつけるには、どうしたって時間が必要だ」

 敵同士として戦場で出会い、何度も殺意を向け合った相手。それがいきなり友人になるなんて、どう考えても無理がある。

「お前こそ、崖から落ちたときに頭をおかしくしたんじゃないか?」

「失敬な。純粋な好奇心だよ。敵だった君が、あんまり無防備に笑いかけてくるものだから、つい知りたくなったんだ」

 彼女は相変わらず穏やかに笑って、言葉を続ける。

「君が、味方に向ける眼差しを」

 こう言われて、アルウィンはたじろいだ。記憶を失っていた間の自分の言動を覚えているだけに、何も言い返せない。

「こんな世界で出会わなかったら、私たち案外良いコンビになれたと思わない?」

 にやりと笑っておどける彼女を、アルウィンはじろりと睨みつけた。冗談だよ、と言うように、彼女は肩をすくめる。そして不意に真面目な顔つきになって、こう告げた。

「君と友達になろうとすることが、私の最後の生き甲斐だった」

 声が、少し掠れる。

 彼女の傷口からは大量の血が流れ出し、地面に赤い血溜まりをつくっていた。血の流しすぎと肩の激痛で、そろそろ意識が朦朧としてきたらしい。このまま目を閉じて、眠るように死んでしまいそうな気がした。

「さあアルウィン、君の仇はここにいる。今こそ復讐を遂げるときだ」

 穏やかな微笑みを前に、アルウィンは愕然とする。

 そういうことか。

 きっと、彼女が案内役を引き受けた一番の理由はそれだ。彼女はアルウィンが記憶を取り戻しても構わなかった。むしろそれを望んでいた。

 最初から、殺されるために一緒にいたのだ。

「……何で俺に殺されようなんて考えた?」

 顔をしかめて問い返すと、彼女はゆっくりと瞼を閉じた。完全に、生きることを手放した者の顔だ。

「陛下のいないこの世界に、私はもう生きる意味を見出せない」

「それは逃げじゃないのか」

 ぽつりと呟いたアルウィンに、シャノアは目を開けて何かを言おうとした。だけど、言い返す言葉は見つからなかったらしい。彼女は代わりに、静かな声でこう言った。

「そうだよ」

 疲れきった声だった。今まで平気な顔をしていた彼女も、本当は疲れていたのだろう。

 それを目の当たりにした気がして、アルウィンは苦い顔をした。

「さあ、早くしてくれ」

 そう言って彼女は手が傷つくのも構わず、アルウィンの剣を握り、地面から引き抜く。そうしてご丁寧にも、その切っ先を自身の心臓の上へとあてがった。まっすぐに彼の目を見つめ、彼女は声に出さずに催促する。

 殺せ、と。

 アルウィンはぎり、と奥歯を噛み、手に力を入れる。ぶつ、と布地が切れる音がした。

「……ふざけんな」

 服を突き通し肌に食い込んだ剣の切っ先をどかし、アルウィンはそれを手の届かないところへ投げ捨て る。その瞬間、シャノアの目が失望の色に染まった。

「……君の憎しみはその程度か。”イヴ”とやらの仇はとらなくていいのか」

「焚きつけようったって無駄だ。俺は」

 彼女の目を睨み返し、アルウィンは投げつけるように言う。

「お前にとって都合のいい駒にはならない」

 平手打ちをかまされたかのように、シャノアは大きく目を見開いた。ついで目を逸らし、唇をきつく引き結ぶ。彼女の上からどき、アルウィンはおもむろに口を開いた。

「……だいたい友達って、こんな物騒なもんじゃねえだろ。俺もよく知らないが」

 ぶっきらぼうに言う彼を、シャノアは寝転がったまま目を丸くして見上げる。がしがしと頭をかいて、彼は呟くように続けた。

「俺はもう、お前のことを倒すべき相手だと思えない。冷静に考えてみれば、俺たちが殺し合う理由はもうないんだ」

 魔王と聖女の死は、アルウィンやシャノアのせいだけとはとても言い切れない。怒りを向けるにはお互いに的外れな相手だし、二人が戦ったところで死人は帰ってこない。

「責任も執念も、何もかも忘れて敵方の中将と旅をして、俺は」

 どうせ記憶が戻るのなら、記憶を失っていた間の記憶をは失われてしまえばよかったのにと、心の底から思う。

「俺はそれなりに、楽しかったよ」

 だけどそれは無理なのだ。

 アルウィンがアルウィンとして経験したことを、彼はこれからもずっと抱えて生きていく。

 シャノアは彼の言葉を聞いて、しばらく目を丸くしていた。だけど、不意におかしそうに笑い出した。憑き物が取れたような、晴れやかな笑い声が青い空の下に響く。

「……私もだよ、アルウィン」

 泣き笑いのような表情で、彼女はそう言った。事実、こぼれそうになった涙を隠すように、彼女は目の上に腕をのせる。

 そうしている内に、山の下から人の声が聞こえてきた。アルウィンが呼んだ救援だ。彼は自身の剣を拾い、シャノアは怪我をしていないほうの腕をついて体を起こす。そこに、すっ、とアルウィンの手が差し伸べられた。彼女は相変わらず仏頂面な彼を見上げて、小さく笑う。

 彼女の手が、彼の手を取る。

 風が吹き渡り、彼女の金色の髪をさらりと揺らした。


















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