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Episode.Ⅷ 白竜

*実にささやかですがグロ描写っぽいのあります。ご注意を。

 


 その白い竜の体躯は周りの木々など軽く超えるほどに巨大で、殺意と怨念に満ちた目は赤く血走っている。

 恐らくこれが、西の山に住み着くという竜だ。街が荒らされ始めたのは二週間前で、それはちょうど戦が終わった時期と重なる。戦場のどさくさに紛れて逸れたのだろう。

『……殺す』

 不意に、頭の中に直接響くおぞましい怨念の声が聞こえた。それはアルウィンの恨みとよく似ている。身を焦がし、他を巻き込む強い負の感情。

 竜の声を初めて聞いたアルウィンが驚いている隙に、竜はその鋭い爪を彼へと振り下ろした。後ろにはリトセがいるから、避けるわけにはいかない。歯を食い縛り腰を低くして、アルウィンは剣を構えた。

 ばちんっ

 ところが、剣の刃と竜の爪が交わる寸前、二つの間に白い光が弾けた。白く光る膜が、アルウィンとリトセを覆っている。これが竜の攻撃を防いでいた。

 口惜しそうに唸り、竜は後方にいるシャノアへと向きを変える。

『なぜ人間を庇う』

「そこの聖騎士はともかく、彼の後ろにいるのは一般人だ。手を出すことは許さないよ、ラウロ」

 しかし、怒り狂う竜は諌めるシャノアの言葉など聞きもせずに、アルウィンを睨む。

『敵……こいつ、同胞を多く殺した。死ぬべきだ』

「……ラウロ、聞け。私の目を見ろ」

 シャノアは魔王軍中将としてだけでなく、竜使いとしても名高かった。戦場に出ていた竜は、殆どが彼女の支配下だったという。この会話から察するに、この竜もシャノアの配下だったらしい。

 だが、おかしいところに気がついて、アルウィンは眉をひそめる。

 そもそも、竜は信頼した相手にしか声を聞かせない。知能、魔力、攻撃力ともにとても高く、だからこそ戦で苦戦を強いられた。縄張り意識の強さと同じくらい、仲間意識も強い。あの戦で竜をも多く斬ったアルウィンを憎むのは一見筋が通っているように見えるが、それ以前におかしい箇所がある。

 何故、主人であるシャノアの命令を聞かないのか。

 竜は誇りが高く、手懐けるのは魔族でも至難の技だという。その分一度主従関係を結ぶとどこまでも主に従順で、命令は必ず聞く。それなのに、今は。

『敵は、全て殺す。殺してやる、我らが同胞の仇』

「……ラウロ!」

 竜の歩みは止まらない。一歩ずつアルウィンに近づく足取りは、よく見るとずいぶん頼りなかった。

 声が届かないことを悟ったシャノアは、ひとつ舌打ちをすると、全力でアルウィンとリトセのほうに走り出した。もう一度、今度はさっきよりも至近距離で、大きく鋭い爪が振り下ろされる。

 ばんっ、と大きな音がした。結界が割れる音だ。光が弾けて視界が白く染まる。

 構えた剣にかかるはずの重圧はなく、かわりに腰の辺りに鈍い痛みがあった。

 光の洪水の中で痛めた目が元に戻る頃には、状況は一変していた。アルウィンの体には傷一つなく、リトセも無事だった。結界が壊れた直後に、シャノアがリトセを抱え、アルウィンを突き飛ばしたらしい。

 竜も結界の光に目を灼かれたらしく、彼らから少し離れた場所でのたうち苦しんでいる。

 絶句して、アルウィンはシャノアの背中を見つめた。

 リトセを抱き込み地面に蹲った彼女の左肩には、深い爪痕が刻まれて、抉れていた。

「…………っ」

 声にならない呻き声を上げながら傷口を押さえる彼女は、額に玉のような汗を浮かべていた。あんな深い怪我を負ったのは、気を失ったリトセを助けたせいじゃない。

「……どういうつもりだ、お前」

 アルウィンを庇ったせいだ。

 敵に助けられるなんて、屈辱以外のなにものでもない。彼は奥歯を噛み締めて彼女を睨みつけた。彼女はアルウィンを一瞥したが、すぐに視線を逸らして自身の外套を脱ぎ捨て、布を裂く。それを自身の肩に巻きつけると、右手と歯を使ってきつく締めた。

「……あの竜は、もう長くない。身体中を毒に侵されて錯乱している」

 シャノアは低い声でそう言う。

 竜の討伐には、毒を塗った刃を用いることが多かった。恐らくあの竜も、その毒にやられたのだろう。それにしても、二週間も生き延びるとは見上げた生命力だった。普通なら二日ともたないはずなのに。

「リトセを街に送り届けようにも、私はこの通りで、女の子一人抱えて山を降りることはとてもできない。君が運んだとしても、ラウロは君を追って街に降りてしまうだろう」

 シャノアの言わんとすることに気がついたアルウィンは、渋面をつくって横に立つ彼女を見る。

「共闘しろってのか……お前と」

 辛そうに息をつきながら、シャノアは後ろにいるリトセをちらりと振り返った。

「……彼女のためを思うなら」

 やれるだろう、と示唆する彼女に思いきり顔をしかめ、アルウィンは返事をする代わりに剣を構えた。

 それを見たシャノアは、意外そうな表情をしていたが、嬉しそうでもあった。

 竜はやっとダメージから回復したらしく、二人を血走った虚ろな目で凝視した。不穏な気配に、森の空気がざわりと震える。

「私が仕留める。君は足元を崩してくれ」

「お前に命令される謂れはない」

「なら君が司令塔を務めるか?」

 どうぞ、とでも言うような笑顔で、馬鹿にされているのがひしひしと伝わってきた。何だか自分だけがムキになっているようで、苛々する。その怒りをそのまま隣に立つ女にぶつけたいところだったが、生憎と今殲滅すべきは彼女じゃない。

「……もういい」

 深くため息をついて投げやりに返し、アルウィンは地を蹴って走り出した。

 竜はもう、目もよく見えていないらしい。懐に潜り込むのは簡単だった。腰を沈めて足を踏ん張り、剣の刃で足の肉を削ぐ。竜は痛みに叫び、尻尾で敵を振り払おうとした。アルウィンは飛び上がって難なくこれを避ける。だが 次の瞬間、突風が巻き起こった。

「……っ!」

 しまった。

 空中では、身動きが取れない。

 吹っ飛ばされて、だんっ、と木の幹に背中を打ち付けた。背骨が軋む感覚に呻く間に、竜が追撃にやってくる。横殴りに飛んできた爪に、アルウィンは息を呑んだ。

 がきぃんっ、という音が森の中にこだまする。アルウィンを狙った攻撃を、シャノアの剣が防いでいた。アルウィンの目の前で、彼女の肩にじわりと血が滲む。ぎぎ、と爪を押し返しながら、彼女は掠れた声で竜に呼びかけた。

「……ラウロ」

 ぴく、と竜がわずかに反応を返す。

「怯えないで。大丈夫だから」

 明らかに、竜の力が弱まった。痛いほどの殺気が失せる。

 アルウィンもシャノアも、その好機を逃さなかった。彼女が力任せに爪を弾き、隙をつくって二人とも退避する。

 彼らは木の幹に隠れて、息を整えた。白竜は苦しげに呻きながら、よろよろとその辺りを徘徊している。

「……翼が厄介だ。あれで風を起こされたらたまらない」

 アルウィンはぐっ、と剣の柄を握り、静かに問うた。

「切り落としていいか?」

 シャノアはしばらく無言で俯いていた。だけど少しすると、決意を秘めた顔で「その必要はない」と答える。彼女が早口に提案した作戦に、アルウィンは眉をひそめた。

 随分と回りくどいな、と思った。

 アルウィンは少し考えてから、口を開く。

「迷っているなら、とどめは俺がさしてやろうか?」

「いらないお節介だな」

「お前じゃ余計な情をかけそうだ。迷いは失敗を招くぞ」

「あの子は私の大事な友人だから」

 はっきりとした声で、彼女は言った。

「だから、あの子の命は私が貰う。他の誰にもやらない」

 覚悟を決めた目を見て、アルウィンはため息をついた。その気持ちがわからないでもないから、何も言えなかった。

「……仕留め損なうなよ」

「わかってる」

 アルウィンは彼女の返事を聞きながら、少し離れたところで結界に守られているリトセを見やる。彼女は、無事に兄と引き合わせてやりたい。

 アルウィンは木の陰から走り出て、竜の前に出た。血走った目が、ぎょろりと彼を睨む。即座に爪が来た。今までアルウィンがいた場所が大きく抉れる。何度も攻撃を避け、剣で弾きながら、アルウィンはじりじりと後退していった。

 あと、もう少し。

 毒に体を侵されながらもなお俊敏な竜の動きを目で追いながら、アルウィンは腰を低く沈めた。

 今だ。

 そう思うのと同時に、彼は横に飛びすさる。

 竜の体が、攻撃したときの勢いでぐらりと前に傾いだ。ものすごい地響きが山全体を震わせ、ばきばきと音を立てて木が数本倒れる。

『ここは傾斜が緩くて木が少ない。今のラウロは判断力も視界も不明瞭だ。あの子が不利になる場所へ誘導するのは簡単だ』

 シャノアの立てた策が脳内で反芻される。彼女は続けてこう言った。

 傾斜が急で木の多い場所に誘い込めば。

 もう身動きは取れない。

 確かに彼女の言う通り、暴れる翼は生い茂る緑や枝に捕らわれて上手く動かせないらしい。疲れもあるのか、起こせる風は弱かった。何の障害にもならない。起き上がる様子もない。白濁し始めた目が、きょろきょろと動く。まるで何かを探し求めるように。

「ラウロ」

 アルウィンが敵の注意を引いている隙に、木の上に潜んでいたシャノアが凛とした声で呼びかける。白竜の動きが、ぴたりと止まった。彼女はその機を逃さず、たんっ、と木から飛び上がると、剣を構えた。歯を食い縛り、勢いよく刃を振り下ろす。

 肉を貫く音。ついで、それを切り裂く音が生々しく響いた。鮮やかな赤色の血飛沫が飛ぶ。それは、シャノアの銀色の髪をわずかに濡らした。

 頸椎をやられた竜は、声もなく、静かに死んだ。

 彼女は剣を地面に突き立て、荒い息をつきながらその場に膝をつく。俯く彼女の肩からは、ぽたぽたと血が滴り落ちていた。止血した布は、赤く滲んでいる。

 力なく座り込んでいたシャノアは、しばらくすると地面に突き立てた剣に寄りかかり、緩慢な動作で立ち上がった。そして急斜面を登り、傾斜の緩やかな場所へ戻ると、長く重いため息をつく。

 彼女のそばに立つアルウィンは、何か言おうとして、自分にはその必要も資格もないことを思い出した。無言で彼女のそばから離れ、リトセのところへ向かう。

 だけど背を向けたそのとき、視界の端に鋭い刃を捉えた。咄嗟に剣を構えたところで、ぎんっ、と刃が交わる。ギリギリで間に合ったが、少しでも反応が遅れればやられていた。アルウィンは冷や汗をかきながらも、敵を睨みつける。

「リトセが先だと言っただろうが……!」

「言ったさ。だから時間はかけない」

 言っていることがめちゃくちゃだ。わけがわからない。何がしたいんだ、この女は。

 ちっ、と舌打ちして、アルウィンは剣を上に弾く。あいた胴に斬撃を入れようとしたが、素早く下がられて剣を弾かれた。そのまましばらく打ち合いが続いたが、アルウィンの苛立ちは溜まる一方だった。

 がきんっ、という音とともに、シャノアの剣が彼女の手から弾き飛ばされる。アルウィンは間を置かず、彼女の上に乗り上げて剣を振り上げた。

 切っ先が鈍く光る。

 今まで曇っていたはずの空は晴れかかっていた。雲が流され、隙間から太陽の光が地上に差す。

 これが最後だと悟ったのか、彼女は薄く微笑んだ。今までに見たことのないほど、嫌味のない純粋な笑顔だった。

 ざんっ、と剣先が貫いた。


















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