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Episode.Ⅵ 銀色

ちょっとですが暴力表現あります。

 


 兄妹が再会を果たして一年が経った頃。もともと険悪な仲だった隣国との対立が激化して戦争が勃発した。相手は魔王率いる魔族たち。人間よりも遥かに発達した魔法を持つ彼らに、臆病な王は戦争が始まる前から怖気づいた。

「どういうことですか!」

 雷鳴のような怒鳴り声にも、教皇はまったく動じない。机に座って書類仕事をしていた彼は、うるさそうに耳を塞いだ。

「うるさいですね……吠えるばかりで脳のない犬だ」

「……っイヴが、戦の最高責任者だと……こんな馬鹿げた話があってたまるか……!」

 自分への罵倒は黙殺して、アルウィンは教皇を睨めつけた。敬語はどう気をつけてもどこかで剥がれてしまう。

 イブが、最高指揮官として戦場に立つ。王の代わりとなって。それを知ったアルウィンは、即座に教皇に謁見を申し出た。

「戦争は聖女様の仕事ではありません!」

「いいえ、仕事です。彼女にはあらかじめ話を通してある」

 イヴはそんなこと一言も言わなかった。最近浮かない顔をしていたのはそれか、とアルウィンは歯噛みする。

「騎士たちにも民衆にも、心の拠り所となるものが必要です。陛下が部屋に引きこもって出てこない今、一番の適任は彼女でしょう」

 ふざけんな、そんな腰抜け王さっさと部屋から引きずり出せ。もしくは玉座から引きずり降ろせ。

 教皇の話を聞いたアルウィンは、声には出さずともそう思った。隣にいたユーナが口を開く。

「お言葉ですが、猊下。彼女は実戦経験がありません。軍師としての教練も積んでいない。戦場に出たところですぐに死んでしまっては、替え玉の意味がない。どちらにせよ陛下が戦場に立たねばなりません」

「別に彼女に最前線に立てと言ってはいませんよ。奥に引っ込んでればいいだけです。それならそうそう死にゃあしないでしょう。軍師は別の者をつけますし、万が一彼女に危機が迫ったとしても」

 教皇はにやりと笑い、自身の目の前にいる二人の騎士を指差す。

「あなたたちがいる。何のための七騎士ですか」

 二人は言葉に詰まった。

 七騎士。聖女守護騎士の俗称だ。教会騎士団の精鋭七人で構成されるその部隊には、アルウィンとユーナの名も連ねられていた。

「いるだけのハリボテになってくれればそれでいいんですよ」

 教皇は何でもない事のように言うが、前線だろうが後方だろうが戦場は戦場だ。当然危険が伴う。王の代わりになるためだけに、イヴを戦場に向かわせるなんて、アルウィンにはとても馬鹿げたことに思えた。

「……拠り所がなくとも、私たちは戦えます」

「あなたたちはそうでしょうね」

 ユーナが苦しそうな表情で言い募るけれど、教皇は取り合おうとしない。

「だけど民衆はどうします?騎士にしてもそうです。誰もがあなたたちのようにただ目の前の戦いに向き合えるわけじゃない」

 人を殺めるということは。

 覚悟のある人間にしかできない。心を殺すことのできる人間にしかできないことだ。

 戦で戦うために、兵士たちに必要なのは手っ取り早い理由だった。自分を正当化する理由。それはたとえば愛国心と呼ばれるもの。国のため、国を治める人のため。そこで生きる人々のため。

 神聖なる聖女様のため。

 それが士気を上げる。

「その役目にたまたまイブが当てはまるというだけでしょう。あまりにも勝手です!」

 アルウィンの叫びに、教皇は大きなため息をついて机に頬杖をついた。

「なら、こういうのはどうでしょう」

 彼が初めて引き下がる気配を見せたので、アルウィンもユーナも内心ではものすごく驚愕していた。彼は基本的にいつも自分の意見を押し通すので,こういうことは滅多にない。

「この戦争が終わったら聖女様を解放してあげます」

 アルウィンは目を見開く。だがすぐに表情を厳しいものにした。

「……信用するとでも?」

「さあ、どうでしょうね。あなたの自由ですよ」

 教皇はいつもの薄ら笑いで答えをはぐらかす。何か言いたげなアルウィンの横で、ユーナは唇を噛み、決意を秘めた目をしていた。

「……わかりました。失礼いたします」

 彼女は感情を抑えた声でそう言い、一礼するとアルウィンの腕を掴んで部屋から出て行った。ばたん、と部屋の扉が少し大きな音を立てて閉まった。

 ユーナに腕を引かれて歩きながら、アルウィンはまだ納得できないでいた。

「おいユーナ!あの話信じるのかよ!」

「信じないよ、当たり前でしょ。でも今あの人に何言ったって聞いてくれない」

 それでもまだアルウィンが言い返そうとする気配を感じ取ったのか、先を歩いていたユーナはかっ、と靴音を響かせて振り返った。二人は神殿の廊下で睨みあう。

「……アルウィン、わかって。私たちじゃどうしようもできないんだ」

 悔しげに表情を歪ませて、ユーナは城下に流れている噂の話をした。

 曰く、聖女様が自ら戦場に立って民を導いてくれるのだと。まだ公式に発表されたわけでもないのに、”何故か”その話は下級騎士や民衆に広く知れ渡っていた。

 アルウィンはきつく唇を噛む。

 噂というのはなかなか侮れない。ここでイヴを攫ったとして、民や兵士は混乱する。イヴの代わりとなる者もいない。戦には大なり小なり、悪い影響が出るだろう。

 下手すると国が滅ぶ。

 アルウィンやイヴはまだ身軽だからいいが、ユーナは違う。故郷に守るべき家族がいる。それに彼女の両親はアルウィンの恩人だ。

 何の罪もない人に危険が降りかかるのは、二人とも望むところではない。

「教皇のことは信用していないわ。あの人はイヴを逃がす気なんてないもの、あの約束も口先だけに決まってる」

 ユーナは剣の柄を握りしめ、鋭い光を宿した目で前を見据えた。

「戦が終わった直後はきっと隙ができるわ。イヴを連れ出すこともできるかも……それまであの子は私たちが守る」

 ぎり、と握った手のひらにいっそう力を込めて、彼女は力強く言い放った。その気迫に、アルウィンは息を呑む。ユーナは、こんな目をする奴だったろうか。

 だけど彼女は不意に表情の強張りを緩めて破顔する。

「それで全部が終わったら……みんなで一緒に帰ろうね」

 それはアルウィンとイヴのそばでいつも見せていた笑顔と同じだった。


 *


 そして戦が始まった。

 イヴは「特別な聖女様」として偶像を押しつけられ、戦場に引きずり出された。たった17の少女にとって、それがどれだけの重圧だったかは想像に難くない。上に立つ者は、いつだって当然のように弱き者を守ることを期待される。自分たちの弱さを棚に上げて、「聖女様」に縋る民衆も、イヴを国家の象徴的な存在として利用する教会も、戦の責任をイヴに押し付けた国王も、アルウィンにはすべてが憎かった。

 まるで、彼らはイヴを蝕む害虫だ。健やかに育つはずの葉を食いつぶし、根を腐らせ、養分を吸い上げ、彼女の成長を妨げる。

 アルウィンは、イヴさえ解放できればあとはもうどうでも良かった。略奪でも殺し合いでも、勝利の祝宴でも何でもすればいい。あとのことはすべて、アルウィンたちには関係ない。この戦にさえ勝てば、すべてが終わる。

 そう思っていた。

 ユーナが死んだ、と。

 その知らせを聞くまでは。

 アルウィンは彼女の墓石の前に蹲っていることしかできなかった。聖堂の奥では、イヴも部屋にこもって泣いていた。

 最悪なことに、ユーナの遺体は回収することすらできなかった。土の中に埋まっているのは、空っぽの棺桶だ。

 彼女は崖から落ちて死んだ。下は川で、あの高さから落ちてはほぼ助からない。撤退が間に合わないからということで、彼女の遺体は回収できなかった。

 こんなことになって、ユーナの両親に合わせる顔がない。彼女の両親には返しきれないほどの恩を受けたのに、彼らの一人娘を戦場で死なせてしまうなんて。遺体も回収できず、冷たい水の中に置き去りにして自分だけのこのこ帰ってきたなど。 こんなこと、許してほしいとすら思えない。

『あのねアルウィン、私、後悔はしていないのよ』

『剣を取って、あなたたちの後を追ってきたこと』

 あのとき無理矢理にでも、村に帰していればよかった。

『どうしてお前は、俺たちのことに巻き込まれようとするんだ』

『そうしたいからよ。あなたもイヴも』

 私の、大切な幼馴染だもの。

 あのときの彼女の笑顔が。心臓を苛んで、脈打つたびに痛みに襲われた。

『あなたたちは、私が守る』

『それなら俺は、お前を守るよ』

『この剣に誓って』

 なんて自分は、無力なんだろう。

 アルウィンは墓の前に蹲り、呻くように泣くことしかできなかった。


 *


 シャノア・リンドブルムと初めて剣を交えたのは、その直後のことだった。魔王の優秀なる部下として、また竜使いとして名を馳せた魔王軍中将のことは、アルウィンもよく知っていた。彼女の冷静な判断力と的確な指示によって、こちら側は結構な被害をこうむっていたから。彼女は頭の回転が早いばかりではなく、剣の腕も申し分なかった。若い割に高い地位にいるのも納得できるほどに。

 がきんっ、と剣の刃と刃がぶつかり合う。

 アルウィンは馬に乗った彼女を荒っぽく蹴落とした。咳き込む彼女の上に剣を突きたてようとしたが、惜しくも逃す。馬を失った彼女は素早く立ち上がり、剣を構え直した。かと思うと、アルウィンの馬を鋭く斬りつける。短く舌打ちして、彼は死んだ馬から飛び降りた。

「女の腹を蹴るとは、なかなか容赦がないな、君は」

 苦々しく笑って口の中の血を吐き出した彼女に、アルウィンは無表情のままで言い返す。

「どうせお前はここで死ぬんだから、関係ない」

「……いいね、面白い。何をそんなに殺気立っているかは知らないけれど」

 シャノアは口元を拭い、地を蹴ると一気に距離を詰めた。

「迷いのない剣って、私は好きだよ」

 重い刃が、ぶつかりあった。

 結局そのときは取り逃がし、それ以来、彼女はやけに戦場で目に付く存在となった。女性の戦士が珍しいからだとか、彼女の長い銀色の髪が鈍色の戦場では目立ったからという理由もあったが、一番の理由は、その鼻につく笑い方だった。全てを見透かしたような皮肉な笑い方が、アルウィンは大嫌いだったのだ。

 その後、彼女とは何度も剣を交えた。

「あなたはどうか、最後まで私のそばにいてね」

 戦も大詰めになってきて、いよいよ決着がつきそうだという日の夜、イヴはアルウィンを部屋に呼んでそう言った。久々に兄妹みずいらずで話せる貴重な時間だった。

「アルファルドも、スザンも、ユーナも皆死んでしまった……だけどあなただけは、どうか」

「大丈夫だ。お前を置いていったりしない。そしてお前は、俺が絶対に守り抜く」

 少女は哀しそうな微笑みを湛えて、小さく頷いた。

 もう二人の帰る場所はどこにもない。

 だから、何処か別の場所で。血の臭いも剣の交わる音も、葬送の鐘も聞こえない平和な場所で。

「二人で生きて帰って、同じ家で家族として暮らそう」

 そうすれば、何もかも元通りだ。

 微笑んだアルウィンに、イヴは少しだけ浮かない顔をして、窓の外へ視線を逸らす。

「そうね……そんなことが出来たら、いいね」

 妹の沈んだ声音に、兄は訝しげに眉をひそめる。彼女の言い方は、まるでそれが叶わない夢だと示唆しているようだった。

「ねえ、兄さん」

「……何だ?」

「あなただけは、生きてね。たとえ私が死んでしまっても」

「……冗談でもそういうことを言うと、本気で怒るぞ」

 途端に表情を険しくした兄に、イヴは弱々しく微笑んで、また目を逸らした。

「ごめんなさい……きっと、疲れているのね」

 申し訳なさそうに眉尻を下げて、少女は無理やりつくったような下手な笑顔を見せた。月光の中で、その歪な笑い方はくっきりと浮き立って見えた。

「兄さんも、明日に備えて今日はもう眠ったほうが良いわ。おやすみなさい」

 もしかしたらこのとき、イヴは全てに気がついていたのかもしれない。明日何が起こるのか。自分がどうなるのか。

 何も知らずにいたのはアルウィンだけだった。

「どういうことだ!」

 半狂乱になって、アルウィンは叫んだ。伝達兵が彼のあまりの剣幕に怯えて肩を跳ねさせる。

「それは確かな情報か!?」

「は、はい……聖女様が、第一師団のみを連れて敵陣側にある崖の上の教会に……」

「どうしてそんな馬鹿な真似をしたんだ!」

「じ、自分に聞かれましても……」

 理不尽な怒りを向けられて狼狽える伝達兵を見て、ジルがアルウィンの横に馬を並べた。

「落ち着け、アルウィン。そいつに怒鳴ったところでどうにもなりゃしねえよ」

 彼は冷静な声でそう言った。ジルはいつもユーナとともに、感情的になりやすいアルウィンを諌めてくれた、七騎士の一人だった。このときもアルウィンは彼のおかげでいくらか冷静になれた。

「第一師団ってのぁ、教皇猊下直属の騎士たちを中心に編成されている隊だろう」

 ジルに言われて、アルウィンははっとする。理解した瞬間、腹の底から静かな怒りが湧いてきた。

「……あいつの差し金か……!」

 にたりと笑うあの男の顔が脳裏に浮かぶ。

 獣が唸るような声で言ったアルウィンに、伝達兵が怯えて卒倒しそうになっていた。ジルは深いため息をついて、友人の背中をばんっ、と叩く。

「……っげほ、おい……っ何すんだ馬鹿力……!」

「行って来い。戦線は俺が維持する。王都には魔族一匹入れやしねえよ」

「なっ……無理だ!今、俺が前線を離れたら……っ!」

「俺たちゃ『聖女様の守護騎士』だ」

 強い目で見据えられ、はっきりした声で断言されて、アルウィンはぐっ、と詰まった。有無を言わせない力が、その声にはあった。

 何よりアルウィン自身が、イヴのもとに向かいたくて仕方がなかった。

「……悪い」

 すれ違いざまにそれだけを呟いて、アルウィンは後方に控える自分の部下たちに大声で伝えた。

 これより我らは、聖女フェリシア様の救援に向かう、と。

 アルウィンは馬を走らせながら、土煙でけぶる前方を睨み据えた。

 イヴは、決して弱くはない。教会で武術を教えられていたし、努力家の彼女は毎日剣の稽古を怠らなかった。だけど、実戦でどれだけ立ち回れるか。ふとアルウィンは、土煙の向こうに人がいるのに気がついた。速度を緩めて、後方の軍隊へ「止まれ」と命じる。

 風が吹きすさび、視界を覆っていた土煙がにわかに晴れる。そこにいたのは、敵軍の隊だった。先頭に見覚えのある顔を見つけて、アルウィンは表情を険しくする。

「……お前が、邪魔をするのか」

 忌々しそうにつぶやき、彼は前方の敵を睨めつけた。

「シャノア・リンドブルム……!」

 そこには、敵を迎え撃つ銀の髪の少女が、冷たい目をして立ちはだかっていた。



















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