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Episode.Ⅳ 流転



 半日の休養を楽しんだ二人は、その翌日にこの街を発つことにした。今日一日あれば、夕方頃には王都の関所に着く手筈だった。つまり彼らの二人旅は、今日で終わることになる。

「アルウィン、どうしたんだい」

 今朝から、何かにつけては上の空になっている彼の顔を覗き込んで、シャノアは訝しげに眉を寄せる。いきなり至近距離で目が合って驚いたアルウィンは、とっさに後ずさった。

「いや、何でもない……」

「それならいいけれど」

 下手にも程があるごまかし方だった。だけどシャノアは深くは追及しなかった。

 先を行く彼女の背を追いながら、アルウィンはため息をついた。

 今朝からずっとシャノアを問い詰める機会を伺っているのだが、いざというときにしり込みしてしまう。この繰り返しだ。

 聞けない理由は分かっていた。否定されるのが怖いんだ。

 私はユーナじゃないのだと、シャノアに言われるのが怖い。

 迷っているうちに、聞かない方がいい気がしてきた。

 シャノアとは疑念を抱いたまま別れてしまえばいい。いくらずるくても、それが今のアルウィンにとっての最善だった。

 悶々と悩んでいたその時、視界の端に何かが映った。

 濃紺の外套と銀色の髪がひらめく。

 すれ違ったそのとき、アルウィンの頭の中で何かが動いた。俺はあれを、どこかで見たことがある。それはいつだ。どこで、あの後姿を見た?フードを目深に被って、俺の方を振り返ったあの人物を、どこで見た?アルウィンはゆっくりと、その濃紺の外套を振り返る。

 ところが、彼が追いかけようとするよりも先に、走り出したのはシャノアだった。

「どうして……」

シャノアが、聞こえるか聞こえないか危ういほど小さな声で、そう呟く。そして彼女は今まで進んでいた方向とは正反対の方向に、物も言わずに濃紺の外套を追いかけていった。彼女の突然の行動にアルウィンは戸惑った。だけどあの人物を引き留めて問い詰めたいのはアルウィンとて同じだ。

 あの人は、きっと俺の記憶の手がかりになる。

 根拠はなかったが、確かにそう感じた。

『君は銀の髪の魔族と戦っていて……』

 もしかしたら。

 あれは、その魔族なんじゃないだろうか。



 全速力で疾走したものの、フードを目深に被ったその人物には一向に追いつけなかった。しかも路地を駆使して逃げ回ってくれたので余計な体力を食った。

 結局シャノアとアルウィンは、濃紺の外套を見失ってしまった。

「シャノア、一体どうしてあの魔族を追おうとしたんだ?」

 息を切らせながら、気になっていたことを聞いてみる。シャノアもさすがに疲れたらしく、肩で息をしながら首を伝う汗を拭っていた。見たことのないほど、険しい顔だった。彼女の青い瞳が、アルウィンを見つめる。

「それは……」

 だけど、答えかけたところで彼女は驚いたように目を見開いた。アルウィンも、彼女が見ている方を振り返り、呆然とする。

「ヨハン……?」

 今まで二人が走り抜けてきた細道に、昨日出会った兄妹の片割れがいた。彼は二人に負けないほど息を切らせて顔を真っ赤にしている。かなり走ってきたらしい。肉の落ちた細い脚はもう限界を訴えていた。尋常でない様子のヨハンに駆け寄り、アルウィンは今にも倒れそうな彼を支える。

「どうしたんだ、こんなところで。お前、自分で街の西側には来るなって……」

 今日は妹がいないようだった。ヨハン一人だ。彼はよろめきながらアルウィンの服にしがみつき、叫ぶように言った。

「リトセを助けて……!」

 あまりに悲痛な響きを持ったその声に、シャノアもただ事ではないと悟って、痩せこけた少年の肩にそっと両手を置いた。腰をかがめ、彼女はヨハンと目を合わせる。

「落ち着いて。状況を詳しく話して聞かせてくれ」

 揺らがない瞳と落ち着いた態度に安心したのか、荒い呼吸をしていたヨハンぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「リトセが……家に、帰るって」

 目尻からこぼれる涙を拭いながら、彼は必死に事情を話す。

「おれと神父様が話している間に、あっちに……」

 少年が指し示す方角を見た二人は、息をのんだ。心臓の底が急速に冷えてゆく。

 彼が指したのは、竜が棲んでいるという西の山だった。

 だけど、何故家に帰ると言って山に登らなければならないのか。話の中になぜ神父が出てくるのかもわからない。彼の話は支離滅裂で、アルウィンには到底理解できなかった。

「事情はわかった」

「わかったのか!?」

 だから、シャノアが力強く頷いた横でアルウィンは素っ頓狂な声を上げた。

「俺は全然わからないんだけど……」

「そうか、君は知らないよな……」

 シャノアは気が急いているようだったが、早口ながらも一応説明はしてくれた。

「あの山の向こうに、群青平原という平野がある。戦の中盤あたりではあそこまで戦火が及んでね、平原は炎に呑まれた」

 まさか、という思いがアルウィンの背筋に悪寒を走らせた。異常に痩せ細った兄妹。粗末な服にぼろぼろの靴。もしかすると、彼らは。

「この兄妹は戦災孤児だ。教会にでも預けられているんだろう。多分彼らの元の家が、あの山の向こうにあるんだ」

 シャノアの言う通りに考えれば、全ての辻褄が合った。アルウィンはただ愕然としていた。戦争の影響が、こんな子どもにまで及ぶなんて知らなかった。多分、気がつこうとしていなかった。きっとこの国には今、この兄妹のような子どもたちがたくさんいる。

 それも全て、戦争の結果だ。

 平穏に暮らしていた人々の日常を壊して、敵という名目のもとに生き物を殺す。

 それはただの破壊に過ぎない。これじゃあ本末転倒だ。急に、自分の腰につけた剣を重く感じた。

「とにかく、私はリトセを探しに行く。アルウィンはその子を教会まで送ってやってくれ」

「何言ってるんだ、一人で行くなんて無茶だろ、俺も……」

「いいから!」

 言いかけた彼を、彼女は声を張り上げて制する。アルウィンも面食らったが、怒鳴るように言った彼女のほうが狼狽えた様子で俯いた。

「……その子を一人にできないだろう。私なら……上手くやるから、心配ない」

 確かに彼女の言い分はもっともだし、今は時間がないことも確かだ。だけど、決断を急ぎ過ぎている気がした。いつだって冷静沈着な彼女にしては、今回の件は違和感が拭えない。いつものように、安心して任せられる気がしなかった。西の山へ向かう彼女の背中を見ていても、不安だけが込み上げてくる。

「……死ぬつもりじゃ、ないよな?」

 やっと絞り出した声は、乾いてひび割れていた。

 シャノアがぴたりと歩みを止める。

 彼女に関して、アルウィンは殆ど不満を持っていない。戦闘力は申し分ないし、聡明で気配りができて、頼れる存在だ。

 だけど、ひとつだけ。

 自分の命を軽んずるような傾向があるのが、解せなかった。

 シャノアはゆっくりと振り返る。金色の髪が風に靡き、踏み替えた靴の音がかつん、とよく響いた。

「まさか」

 それは、いつも通りの彼女だった。

 そのはずだ。嘘をついているようにも見えなかった。だけどアルウィンは、彼女が行ってしまった後もずっと、言いようのない不安に支配されていた。

 それがヨハンにも伝わってしまったのか、彼はアルウィンのシャツをきつく握りしめる。その爪の先が白くなるほど、強く。

「……あの姉ちゃんが、妹のこと絶対連れて帰ってくるから、心配すんな」

 ヨハンに言い聞かせるつもりで、アルウィンは自分に言ったのかもしれなかった。

 シャノアの強さはよく知っている。彼女なら竜が相手だって、立ち回れるだろう。

 だけどそこに、彼女以外の人物がいたら?

 ただの仮定だったが、思わずぞっとした。

 いくらシャノアでも、子どもを庇いながら剣を扱えるのか?

 こんなところで、また。

 また、守れないのか。

「あの人、一人じゃ危ないんでしょ?」

 そのとき、アルウィンの頭よりもずっと下の位置から見上げる少年が、涙声でそう聞いた。

「行ってあげてよ、このままじゃリトセもあの人も死んじゃう」

 アルウィンに縋る小さな手は冷え切って震えており、もう満足に力も入らないようだった。少し熱もあるようだ。アルウィンはきつく奥歯を噛んで、首を横に振った。

「……駄目だ、俺は行けない」

 苦い表情を浮かべて言いきったアルウィンに、ヨハンは再び泣きじゃくり始める。そんな彼を抱え上げて、アルウィンは中央通りまで向かった。ヨハンは驚くほど軽くて、そのことにまた心が痛む。

 シャノアは、きっと大丈夫だ。

 彼女はアルウィンよりもよほど強いし、アルウィンが援護しに行ったところで足手纏いになるだけだ。

 きっと彼女は、リトセを連れて帰ってくる。



「王都までの道案内が済んだら、シャノアはどうするんだ?」

 唐突な質問に、夕食を作っていた彼女は目を瞬かせる。焚き火の上に据え置かれてぐつぐつと煮え立つ鍋からは、おいしそうな匂いのする湯気が立ち込めていた。彼女は炊事の技術も完璧で、山菜と毒草の見分けも余裕でできるほどに博識だった。

「これだけ何でも出来るならどんな職業にでもつけそうだけど……やっぱり軍人を続けるのか?」

 彼女は何をさせても人並み以上の出来栄えでこなしたが、やはり突出しているのは剣の才だ。これを生かせない職業につくのは、ちょっと惜しい。

 シャノアは椅子に手頃な平たい石に腰掛けると、膝に頬杖をついて難しい顔をした。

「……考えてなかった」

「え」

「でも軍人はもう勘弁」

 その表情からは、いくらか疲労が見えた。女性が軍に在籍することは、やはり並大抵のことではないのだろう。彼女の几帳面でしっかりした性格も、軍隊の荒波に揉まれたからこそ形成されたものなのかもしれない。

「もっと気ままなものがいい……」

 眉を寄せて考え込み、ややすると彼女は思い切り伸びをした。その流れのまま満天の星空を見上げて軽やかに笑い声を上げる。

「そうだな、旅でもしようかなあ」

 ざくっ

 土を踏みしめる音が、過去の記憶を振り払う。疲れきった四肢に鞭打って、アルウィンはつんのめりそうになりながら急な斜面を登った。

 あの後、ヨハンを街の人に任せて、また引き返してきたのだ。街の人たちには救援を要請しておいた。万が一にもシャノアが竜と遭遇していても、数に物を言わせればなんとかなるかもしれない。勿論それは希望的観測だったが、何も策を講じないよりはましだ。

 竜は縄張り意識が強い。そう言ったのはシャノアだ。山に分けいればただでは済まないことを、彼女は誰よりもわかっていたはず。

「このっ、ほら吹きが!」

 死ぬつもりはないなんて言っておいて、生きて帰るつもりもなかったんじゃないのか。

 そうとわかると、腹の底から怒りが込み上げてきた。どうしてそう、早死にしたがるんだ。せっかく戦争の時代を生き抜いたっていうのに。

「……っユーナ……!」

 シャノアは、ユーナなんだろう、と彼女に直接言えば良かった。何で名前を変えて、本当のことを言わないで、他人の振りをし続けたんだと問い詰めたかった。今度こそ、守らなければいけないのに。

「…………っ!」

 不意に、頭が割れそうなほどに痛くなった。

 何の前触れもなく訪れた激痛に瞠目して、アルウィンはよろめいた。近くにあった木の幹に手をついて、そのままずるずるとしゃがみ込む。目の前が白黒になり、世界がぐるぐる回る。

 歩けない。

「くそっ……何で、こんなときに」

 思い出したいと切に願うときは来ないくせに、どうしてどうでもいいときに来るんだと、心の中で悪態をつく。この頭の痛みは、施療院で感じたものと同じ。記憶が戻る予兆だ。

 歯を食い縛り、アルウィンはよろめきながらも立ち上がる。そんなはずはないのに、地面が揺れているようで、この上なく歩きづらい。

 それでも、必死に歩みを進める。

「ユーナ……っ」

 最後の一つくらい、守らせてくれ。

『私は』

 頭の痛みが激しくなって視界が眩み、アルウィンは仕方なく立ち止まって過去の記憶に耳を澄ませた。

『私は下っ端の兵士だったから、君に関してはこれくらいしか知らない』

 ぽた、と汗が顎を伝って地面に落ちた。

 目を見開いて、アルウィンは息を止める。

 これは、記憶を失くしたあとの記憶だ。シャノアは、自分のことをそう言っていた。

 だけど今考えると、彼女のこの発言はおかしい。シャノアがたかが一兵卒?そんなことはあり得ない。あれだけ強いのに、そんなこと。

 まさか、これが嘘なのだろうか。

 彼女は、いくつ嘘をつき、いくつ本当のことを言っていただろう。

 それならシャノアという少女は、一体誰だ。

『あなたたちは、私が守る』

 今度は、ユーナの声だ。

『どうしてお前は、俺たちのことに巻き込まれようとするんだ』

『そうしたいからよ。あなたもイヴも、私の大切な幼馴染だもの』

 イヴ?幼馴染?

 夕日が霧散して、今度は暗い月を浮かべた夜が来る。

『お前を置いていったりしない。俺が絶対に守り抜く』

『二人で生きて帰って、同じ家で家族として暮らそう、イヴ』

 聖堂の景色が塗り替えられ、今度は質素な宿屋の壁になる。

『剣を交えたことはある』

 きん、と乾いて澄んだ音がした。

 まるで記憶を閉じ込めていた檻が、壊れたかのように。

『あなたはどうか、最後まで私のそばにいてね』

『アルファルドも、スザンも、ユーナも皆死んでしまった……だけどあなただけは、どうか。例え私が死んでしまっても』



『どうか、生きてね。兄さん』



 ざく、と再び土を踏みしめる。

 滴る汗は目に染みて、泥だらけになった服は肌に張り付いて気持ち悪い。

 それでも、進まなければならない。

 この先に、全ての答えがあるから。

 全ての始まりが、あるから。

 ゆっくりと一歩ずつ踏みしめてゆくと、やがて開けた場所に辿り着いた。緩やかな斜面を持つ木の生えていない草原が広がっている。

 だけどそこには、明らかな異物がいた。

 銀色の髪をした少女。

 風がその短い髪を絡め取る。彼女はゆっくりと、アルウィンの方に顔を向けた。

 ぎぃんっ、とのどかな山に耳障りな金属の音が鳴る。

「……いきなり斬りつけてくるなんて、ひどいじゃないか」

 そう言いつつも、彼女はしっかりと彼の剣を受け止めていた。こうなると、予想はしていたのだろう。

「なぁ、アルウィン?」

「気安く呼ぶな、シャノア・リンドブルム」

 ありったけの憎しみを込めて彼女の名を呼び、アルウィンは後方に飛んで距離を取った。

 甘かった。守るものが残っているなんて、とんだ勘違いだ。自分は、全てを失ってあの崖から落ちたのだ。

 何もかも全て、思い出した。

















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