Episode.Ⅹ 戦友
ざく、と山の草木を掻き分けて土を踏みしめる音が二人分響く。西山の竜を倒した翌日のこと、アルウィンとシャノアは再びその山を登っていた。
「……お前はさ、無茶するのが好きなのか?」
「別に、そんなことないけど」
「だったら何で、片腕千切れかけてる奴が山なんて登ってんだ」
危なげなく斜面を登ってゆく背中を、アルウィンはうんざりしながら見上げた。いくら魔族の治癒能力があったとて、あれは一朝一夕で治る傷ではないだろうに。不満げなアルウィンの声に、彼女は一旦足を止めて振り返り、彼を見下ろした。
「だったら、あのまま街に留まって英雄扱いされろというのかい」
「……それは」
勿論、アルウィンだって気が進まなかったが。
昨日の一件、つまり、竜を追い払ってリトセを無事に連れ帰ったことで、二人は街の人々にたいへん感謝された。シャノアの怪我は無償で診てもらったし、ほんの気持ちだ、と言って結構な額の報奨金まで貰った。
王国騎士団が動けない今、野放しにするしかなかった怪物を追い払った旅人は、そりゃあ街の人々にとっては英雄だろう。しまいにはこの地を治める領主の家の晩餐会にまで招かれそうになって、二人とも閉口していた。
「恩人だ、なんて言われたらむず痒いんだよ。こっちは感謝されたくてやったわけじゃないのに」
そんなわけで、二人は早朝に人目を盗んでこっそりと街を発ったのだった。
「その割に金はきっちり貰ってたけどな」
「人の厚意は素直に受け取るべきだよ。その方が物事が円滑に進むしこっちも得する」
そう言い切ると、彼女は前を向いて再び歩き出した。アルウィンは荷物を抱え直し、荷物持ちをしている彼のことなど構わず、早めのペースで進むシャノアを睨んだ。自分のせいで怪我を負わせたのだから荷物くらい持ってやろうと思ったのが甘かったらしい。
「山じゃなくて平地を行けばいいだろ」
手練れの追っ手を撒くわけじゃあるまいし、逃げるのが目的なら山になど入らなくても充分なはず。今更な事を言う彼を振り返ることもせずに、シャノアは少し沈んだ声で答える。
「……遺体が腐る前に、弔いたいんだ」
アルウィンは堂々とした少女の背を見つめた。納得できる答えだ。
不意に視界が開けて、昨日の場所へ辿り着いた。そこには、白い竜が眠るように横たわっていた。昨日のうちに亡骸を平らな場所へ移し、シャノアが結界を使って街の人々に見えないようにしたのだ。それにはちゃんと理由がある。
竜は長寿な上に、狩人に狩られることも滅多にないほど強い。そのため、存在もそうだが亡骸はとても珍しい。爪、目玉、鱗などを主として、竜の体の様々な部位は高額で取り引きされる。友人がそんなふうに解体され、商人たちに売り捌かれるのは誰だって嫌だろう。
彼女は白い竜の亡骸にそっと手を触れ、服が汚れるのも構わずに泥まみれの体へ身を寄せた。その姿を少し離れた場所で見つめていたアルウィンはすぐに地面へ視線を落とす。
喪う哀しみは敵も味方も同じなのだと、改めて思い知らされた気がした。
「……さあ、そろそろ始めようか」
竜のそばから離れてアルウィンへ笑いかけるシャノアに、彼は閉口して竜の巨体を見つめた。
「……これを埋葬するって、どれだけの労力だ……」
「埋葬なんてしないよ」
「は?」
シャノアがあっさりと予想外のことを言ってのけたので、アルウィンは顔をしかめて隣に立つ彼女の表情を伺う。
「人間や魔族の間では埋葬が主流だろうけど、竜の葬儀は少し違うんだ」
「……そうなのか」
初耳だった。でもおかしな話じゃない。
竜のように人語を解するほどの言語能力を持つ種族なら、独自の文化が発展していても不思議なことではないだろう。
シャノアはひとつ息をつくと、まっすぐに亡骸を見つめて手をかざした。すると足元で魔力の動く気配がして、亡骸を中心に青い魔法陣が円形に拡がる。仄かに光る白い竜の周りには、魔力の粒子が青い光となって浮遊していた。
息を呑むほどに、美しい光景が広がる。
見たことのないほど広範囲に及ぶ魔方陣は、二人の足元まで来ている。ふと顔を上げて、アルウィンはぎょっとした。陣の中心にいる竜の白い体躯が、空気に溶けつつあった。青い粒子となってそれは中空に浮遊し、溶けて無くなってゆく。やがて全てが細かい魔力の欠片に変わり、ぱん、と弾けた。
魔方陣の光が失われ、徐々に薄くなって消える。僅かに残った青い魔力の欠片は、風に乗って空高く舞い上がっていった。
その光景があまりにも神秘的で、呆然としているアルウィンの肩に、不意に重みがかかる。横を見ると、シャノアが心なしか青い顔をして彼の肩に手をかけていた。
「……どうした」
「ちょっと、私の魔力量じゃきついんだよね、これ」
アルウィンは数度瞬きをした。
確かに、昨日の竜の亡骸に浮遊魔法をかけて運んだときも彼女は青い顔をしていた。もともと魔力が少ないのかもしれない。あの怪我で更に無茶をしたのかと思うと、アルウィンは思わず渋い顔になる。
何度か深呼吸をするとすぐに落ち着いたらしく、彼女はアルウィンの肩に置いていた手を外して自力で立った。竜の亡骸が消えた空を見上げるその表情は晴れやかで清々しかった。
「上手く行って良かった」
「……これが竜の葬儀なのか」
「そう。竜って体の構造が魔法生物に少し似ているから、外から力をかければ魔力の粒子に変わるんだ」
アルウィンは魔法のことはよく知らないから、この辺りの理論は詳しく聞かされても多分わからない。シャノアの話をわかりやすくすれば、ルサラ山で斬ったあの魔物と同じことなのだろう。死ねば魔力の粒子となり、世界に還る。その現象がひとりでに起こるかそうでないかの違いだ。
「翼を失ってももう一度、空に羽ばたけますように。そうしていつか、空を渡ってこの世界の何処かに再び生まれ落ちてくれますように」
彼女は目に染みるような青い空を見上げて、歌うように祈りの言葉を紡ぐ。
「そんな願いを込めて、送り出すんだ。だから土の下には埋めない」
その言葉に、彼はなるほど、と納得する。確かに、土の下に埋めるよりもそちらのほうが良い気がした。人や魔族は土に還り、竜は空に還る。それがあるべき姿なのだろう。
「……そういえば、昨日街で会った魔族は誰だったんだ?」
ずっと疑問に思っていたものの、問いただす機会がなかった質問を出してみる。銀の髪は魔族にはさほど珍しくないが、あの濃紺の外套は間違いなく彼女のものだし雰囲気もそっくりだった。だけどあの場には、あの銀の髪の女とは別に、シャノアがいたのだ。
「ああ、あれは幻」
「幻?」
「幻術だよ」
アルウィンは訝しげに眉をひそめた。
「誰がそんなこと」
首を傾げるアルウィンの横で、シャノアは柔らかく微笑んで答えを明かした。
「ラウロが私を呼んでいたんだ。すぐにわかった」
言いながら、彼女は今まで竜の亡骸が横たわっていた場所に歩いてゆく。
そして地面に手を伸ばすと、いつのまにかそこにあった青い玉を拾い上げる。その欠けひとつない球体は、日に透けて美しくきらめいていた。
「……それは?」
「コアだよ。竜の核を成すもの。宝珠と言ったほうが一般的かな」
宝珠という言葉ならアルウィンも聞いたことがある。竜の宝珠。売れば数千万はくだらない逸品。
シャノアはそれを大切そうに布袋の中にしまい、戻ってきて自分の鞄の中に入れる。
「さて、アルウィン」
しみじみとした空気を振り払うように明るい声を出して、シャノアは不敵に笑った。
「これから、君はどうする?」
一緒に行こうだとか、ここで別れようだとか、シャノアはそんなことは一切口にしなかった。
「案内役は、まだ必要かい?」
その代わり、アルウィンに選択肢を与えた。性格の悪い聞き方だ。
だけど二人とも選ぶ道はもう決まっていたし、互いの選択を既に知っていた。
「……いいや」
アルウィンは目を閉じて、首を横に振る。もう記憶は取り戻したし、王都までの道もわかる。この先は、一人でも大丈夫だ。
「俺は王都に向かう。そこで踏ん切りをつける」
会わなければならない人がいるし、手向けの花を贈らなければならない人がいる。今までの全てに、決着をつけに行かなければならない。
アルウィンの言葉を聞いて、シャノアは意味深な笑みを浮かべた。予想した通りの言葉に、満足したような。
彼女はそう、と呟くと、一呼吸ついて続けた。
「私は北に向かう。ラウロの故郷にこのコアを返しに行く」
これからのことを語る彼女の表情は明るく、その目はすぐそばにある死ではなく、遠くにある未来をしっかりと見据えている。
この通り、進むべき道は二人とも決まっているし、それは重なることのない道だ。奇妙な二人旅は、もう終わる。
自分の荷物を担ぎ上げ、アルウィンと言葉を交わすこともなく、彼女は北の方角へ向かう。怪我をした肩を庇う様子が少し気がかりだったが、アルウィンが心配したところでうるさそうに取りなされるだけだろう。彼はため息をついて自分の荷物を持ち上げると、王都の方角へ足を向けた。
「縁があったらまた会おう」
そのまま何も言わずに行ってしまうかと思われたシャノアの声を背中に聞いて、彼は意外そうな表情で振り向く。そこには、木漏れ日の中で微笑む彼女がいた。
「なあ、戦友」
シャノアは凛とした声で、アルウィンに呼びかけた。彼は軽く目を見張り、それから口元をゆるめる。距離を隔てた場所に立つ彼女に向かって、短い返事を返した。
「ああ、またな」
この先、出会うことはないかもしれない。あるかもしれない。
それはアルウィンにもシャノアにも、誰にもわからないことで、確かなものなんて何もない。心許ない繋がりだけど、それが嫌だとは微塵も思わなかった。
きっと彼女も、同じだ。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!




