9 フレイリアの研究
「フレイリア様…」
トアリーがキリュウを連れて、研究部屋に入ってきた。
「あ、トアリー! ちょうどいいところへ! このサンプルなんですが……」
フレイリアが資料を見ながら、淡く藍色に光る液体の入った小瓶を手にし、トアリーに話しかけた。まだキリュウの存在には気づいていない。
「フレイリア様、そのサンプルについてはあとで。フレイリア様の研究を手伝いたいという者を連れてきました」
トアリーはキリュウがナイト希望であることをなぜか敢えてフレイリアには伝えなかった。
「あ、そうなんですか?」
フレイリアはキリュウに気がつき、にっこり笑った。
「こんにちは、はじめまして。マギのフレイリアです」
「はじめまして、今年、入学したキリュウです」
キリュウはトアリーの後ろから慌てて前に出て、挨拶をした。
フレイリアは、自分の興味がある研究の話となると、途端に調子が良くなり、行動も機敏になって、さらに饒舌になる。人見知りだなんて嘘のようだ。
「私の研究は色素と発光に関することなのですが、興味がおありなのですか?」
「はい! 長時間維持の大型魔法陣について興味があるので……」
フレイリアは、キリュウの言葉を聞き、話のわかる仲間ができた!と、さらにウキウキした様子だ。魔法陣は魔法を使ううえで必ず現れる。その場限りの単発の魔法は、詠唱することで魔法陣が現れ、魔法が発動したらすぐに消える。
しかし、ある一定以上の大型魔法で、さらに長時間維持するためには、魔法陣を自らの手で描き、詠唱して魔法を発動させるという特殊な方法になる。また、魔法が発動している間も魔法陣が消えないようにしなくてはならない。
数年前までは、このような長時間維持の大型魔法の詳細な発動方法について、知られていなかった。すべての魔法が詠唱することにより、魔法陣が自動的に現れるというのが常識とされていたためである。
そのため、魔法陣を描くための色素や、色素の安定化、および色素が発光し続けるにはどうしたらいいかなどの情報は、重要なはずなのに、詳細に記された文献が不思議なことにほとんどなく、現在フレイリア達が研究している。
「興味を持ってもらえて嬉しいです! 先生方から研究成果を出すよう急かされているのに、人手が足りなくて……しかも地味な研究なので、なかなか人が集まらないのです」
「確かに。新しい魔法を発見して使うとか、新たに今までにない魔法具を作るとかと比べたら地味ですね……」
キリュウがさっくりと指摘する。
「そうなんです………世間からは目に見えて役立つものではないので、あなたの研究は遊びでしょ? とか言われてしまって……」
フレイリアがあからさまに落ち込み、トアリーも遠い目をする。
「……あぁ、それで人手があまりないと」
「あまり……というか、まったくない」
キリュウの相槌に、トアリーが全否定する。
「えーっとね、今のところ、いち、に、さん……ってところですね♪」
フレイリアが、人差し指で、自分とトアリーとキリュウの順に指差し確認する。
「……」
暫く沈黙が続いたあと、
「あぁっ! そぉいえば用事が………」
キリュウがくるっと後ろに向き、ドアに向かおうとしたが、トアリーに肩を捕まれた。
「用事って?」
トアリーがにっこり笑っているが、目が笑っていない。そして、ここで逃がすわけないだろうオーラをひしひしと醸し出す。
「あ、いえ………あの、その……」
キリュウが笑って誤魔化そうとしたが、
「キリュウ………目的を忘れたわけではないですよね? さっき、私に話したことは嘘ですか?」
トアリーが小声で囁いた。
「いや、忘れてなどいないですが、なんとなく……予想外にハードワークになりそうで………。他の方法でも目的を達成することができるのではと……」
「それはないです。この研究室に所属し、フレイリア様の好感度をあげた方が、後々フレイリア様のナイトに志願しやすくなりますよ。ここで去れば、心証は最悪です」
トアリーが笑顔で呟いた。「だから、この研究部屋の所属になれ」と、無言の圧力をかける。
「………くぅ」
キリュウは、逃れられないことを悟り、フレイリアの方に向き直って、覚悟を決めたように口を開く。
「…………こちらの部屋に所属したいです……」
トアリーに言わされた感丸出しだ。
「ありがとうございます。宜しくお願いしますね」
フレイリアがにっこり笑った。トアリーが、どこから出したのか、申請書をキリュウに差し出した。そして、
「じゃあ、事務に提出するので、ここに名前と生年月日、入学年月日を書いて」
テキパキと説明し、キリュウに羽ペンを渡す。
キリュウは、仕方ないと諦めた様子で、トアリーの指示された通りに書いた。
「では、あとの事務手続きは私がしておきますので、早速キリュウはフレイリア様の手伝いをお願いしますね」
トアリーはキリュウから申請書を受け取ると、颯爽と部屋から出ていった。
「フフッ………それではキリュウ、こちらへどうぞ」
フレイリアは今にもスキップし、小躍りでもしそうな雰囲気だ。
げんなりしたキリュウなどお構い無しで、大量に小瓶やらフラスコやら置いてある部屋へと連れて行き、色素と発光の違いによって、魔法陣の反応性が異なることについて説明し始めた。
*****
トアリーがどうやって話を通したのかわからないが、その後、正式にキリュウは無事(?)フレイリアの研究部屋の所属となった。
また、その数日後、フレイリアのもとに、「例の新入生の説得は必要なくなった」との連絡がきた。フレイリアは、首を傾げつつも、やらなくてはいけない実験が多いため、すぐにそのことは忘れた。
キリュウは、なんだかんだ言いつつ、実験内容を理解し、手伝ってくれていた。
そして、キリュウが所属してくれたおかげで、魔法の詠唱時間が大幅に短縮され、詠唱時にミスがなくなったので、実験スピードが格段にあがった。
大型魔法陣の場合は、詠唱が長いし、途中で言い間違えると魔法陣を描くところから仕切り直しなので、今までなかなか進まなかったのだ。
フレイリアは、当初の予定より早く、しかも順調に実験が進むことをとても喜んでいた。そして、キリュウが例の新入生であることに気づいていない様子だ。
魔法学院は、常に新しく発見されたことをすぐに授業に取り入れる傾向にあるし、同期生で教えあう風習があるためだ。
「フレイリア様、サンプルできました。青色2A、藍色1の等比混合で、発光レベル3です」
トアリーがノートを見ながらフレイリアに説明し、小瓶を手渡す。
「ありがとうございます」
フレイリアが、サンプルを受け取ると、その色素で魔法陣を描いていく。
「キリュウ、フレイリア様が魔法陣を描き終わったら、出番です」
トアリーが窓辺で外を眺めているキリュウに言ったが、返事がない。
「キリュウ?」
トアリーがキリュウの近寄り、話しかけた。
「中央広場の付近に雲が出てますね………」
キリュウが青空をゆっくりと流れるうっすらとした白い雲を見つめていた。
「そうですね……それがどうしました?」
トアリーも中央広場付近の空を見た。
「あの辺は結界で雲は通らないはずでは?」
キリュウが怪訝な表情でトアリーに聞いた。
「………そういえば、以前はそうだったみたいですね。何年か前、中央塔で事故があって、それからこういうことがたまに起きてるみたいです。今は、風を起こして雲が中央広場にとどまらないように流すことで対処することになったって聞きましたよ」
「……まずいですね。この頃、先生方からの研究成果の催促が頻繁になってきてるのは、そのせいかもしれないです」
キリュウはそう言って、魔法陣を描いているフレイリアの側に行き、待機した。
確かに以前にも増して、先生方の催促が頻繁になってきた。焦りのようなものも感じる。魔法の反応性が7、8割でも良いとも言われた。
しかし、7、8割の反応性の色素で魔法陣を描いても巨大な魔法を維持しきれない。どんどんと時間の経過とともに綻びが出てきて最終的には崩れ、大事故が起きてしまう。色素の安定性についても強制劣化の試験の最中で、今のところ順調であるが、検証および最終確認ができてないため、不安が残る。
トアリーは、もやっとした気持ちを振り払い、安定性試験を行っている部屋に向かったのだった。
*****
長い休みが終わり、学院生が戻ってきたため、学院内は賑やかだ。
しかし、それとは対象的にフレイリア達の研究部屋の空気は重い。……というか、フレイリアの周りだけが沈んだ空気になっている。
「うぅっ……胃がキリキリします………」
フレイリアが部屋の隅で研究成果が書かれた紙を握りしめながら、うずくまっている。
「フレイリア様、とりあえず、お茶でもどうぞ……」
トアリーがハーブティーを差し出す。何度もフレイリアのこういう状況を経験してきたトアリーは、対処方法も慣れている。
「………毎回、すみません」
フレイリアが申し訳なさそうに見上げて、ハーブティーのカップを受け取った。
そこへキリュウが授業から戻ってきた。
「ただいま戻りました。……っ!! フレイリア様!?」
部屋の隅にフレイリアがいるとは思わず、キリュウは後退りした。
「どうしたんですか? ……確か今日は研究成果の中間報告会では………」
キリュウがサラリとフレイリアの胃にとどめをさす。
「うぅ〜っ……」
「キリュウ! その言葉は今は禁句です。フレイリア様、落ち着いてください……。できれば私が側についててあげたいですが、今回はマギお一人だけで発表しないといけないので……」
トアリーは困った顔をし、さらにフレイリアのカップにハーブティーを注ぐ。
「すみません………」
キリュウは、慌てて謝った。
「……しかし、聞いておいて良かったです。うっかり会場に行ってしまうところでした。共同研究のメンバーなら会場に入れると思ってましたから……」
キリュウは神出鬼没で、いつの間にか独自に情報を得て、自分が興味のあるところには必ず自分の足で行き、見て確かめている。
「とにかく、あともう少しで、この研究テーマも一段落なんですから、楽しみましょう!」
「そうですよね……」
トアリーの励ましで、なんとかフレイリアの気持ちが浮上する。
「そうですよ! 最終成果報告会では、ボク達も聴講できるらしいので、その時は行きますし!」
「………そうでした、この報告会のあと……最終成果報告会が………まだ、あるんですよね……」
キリュウの言葉を聞き、再びフレイリアが沈む。
「……あれ?」
「キリュウ……」
トアリーが、お願いだから黙っててくれと、キリュウに目で訴えた。
「すみません………」
キリュウは「フレイリアを励まし隊」から離脱し、大人しく自分の机に向かった。
*****
そんなフレイリアの胃痛の原因となったイベントからさらに2ヶ月経ち、現在は、研究データのまとめとその研究成果を本にするため、3人で分担して執筆している。つまり、修羅場の真っ只中である。
「あと3日しかないのに、ホント間に合うのでしょうか………。ボク、もう血を吐きそうです。今だったらその血で血文字の本が書けそう……」
「血で本を書くなっ! ただでさえ地味な研究内容なのに、それだけで呪本扱いで、禁書行きじゃないですか!」
キリュウのぼやきに、トアリーは執筆の手を休めることなく、ツッコミを入れる。
「2人とも……お願いします。真剣に書いてください……」
フレイリアが涙目で訴える。
「「はーい」」
再び3人は無言で机に向かうのだった。
*****
「はぁ……、なんとか間に合って良かったです」
キリュウが机に突っ伏した。
「……キリュウ、もう、眠くて死にそうなんで、今はまともな会話はできないです………」
トアリーも椅子に寄りかかってヘロヘロな状態だ。
フレイリアも当然ボロボロだったが、中央塔のパトロナスのもとに、先程書き上げたばかりの本を持って行った。これでパトロナスによる査読が通れば、あとは最終成果報告会での実演だけだ。
「いよいよか……」
キリュウは手のひらにのせたビンの中で七色に光る星形20面体を見つめた。