異世界リーゼント
月のない夜だった。
澱むような闇だった。
暗黒の世界。人の住めぬ森。
その中で、淡く輝く光があった。
「来よ、来よ……」
静寂の中、人の声。
それに伴って、淡い光が、ゆらゆらと揺れる。
「来よ、来よ……」
杖だった。
鈍色の杖が鈍く輝きながら、舞っている。
それを手にしているのは、女。黒色のローブで全身を覆った、魔女とでも呼ぶべき者。
「常世の境を越え、世界の輪転を越えて、我が元へ……」
歌うように言葉を紡ぐ。
闇の森の中、魔女の声だけが、高く、低く、響く。
しだいに、しだいに。
杖の放つ光が、飴のように伸びてゆく。
光の軌跡が、漆黒の虚空にゆっくりと、ゆっくりと、円環を描いてゆく。
光の軌跡が、完全なる真円を描いた、瞬間。
魔女が、その瞳を大きく見開いた。
紫の瞳が、光の円を鋭く射抜く。
「来たれ! 人の子よ! 来たれ! 彼方より! 来たれ! 世界の壁を越えて!」
魔女が唱える、その一節ごとに、光は強さを増していく。
そして魔女は、ひときわ鋭く、強く。言葉を紡ぎだした。
「現れよ――我が声に応えてっ!!」
魔女が言い放った――瞬間。
光の円が、強烈な光を吐きだした。
光の奔流は、まっすぐ天に昇ってゆく。
あたかもそれは、大陸の夜を切り裂くかのように。
「――さすがにおしまいだと思ったけどよォ。ここァ、どこだァ?」
「本能寺では……ないようだが……女……異人か……話せ」
そして奴らは現れた。
壊れたバイクにまたがった。
クラサン長ラン天突く巨漢。白髪交じりのリーゼント。
びろうどマントを身に纏い。
南蛮鎧の老いた美丈夫。鋭き瞳の天下人。
弓折れ矢尽きて満身創痍。
泥地にまみれて瀕死の姿。
されど瞳は――なお輝く。
「のじゃ」
魔女は絶句した。
◆
「妾はシス……魔女、とでも呼んでくれい」
魔女シス。そう名乗った絶世の美女は、傷だらけの二人を治療しながら、言葉を続ける。
「そなたらをこの世に召喚した者よ」
「この世ォ?」
比較的傷が浅いリーゼントの巨漢――山田正道が問う。
二人からすれば、本能寺の変の真っ最中、もうだめかと思った瞬間、光に包まれて、気がつけば金髪美女が目の前に居たのだ。わけがわからない。
「我々の世界。主らの世界とは異なる法理を持つ世界よ」
「おおォ。つまり、ここァ異世界ってことかァ――この、怪我ァ治してくれたのも、魔法ってヤツかァ?」
「うむ。“武装”という。概念を帯びて具現化せし鉄の武具よ」
「……?」
「……我が知識を伝えよう。その方が早そうじゃ」
まったく理解していない正道の様子に、魔女はため息をついて、鉄の杖を彼の額にあてた。
とたん、情報が波濤となって正道の脳を襲った。
この大陸で使われる複数の言語、文字、大陸の文化風俗、そしてこの世界の根幹ともいえる法理――武装。
あまりの情報量に、正道のごくごく許容量の小さい脳が耐えられるはずもなく。
「むぅん……」
「のじゃ!?」
ひっくり返った正道に、魔女は悲鳴をあげた。
◆
ひたり、と魔女シスの頬に刀が当てられた。
織田信長だ。全身に負った傷を庇いもせず、怒りを込めた瞳を魔女に向ける。
「おぬし……我が親友になにをした?」
「この世界の知識を伝えただけじゃが……」
「……ふむ? どのような手妻を使ったか知らぬが……一度にか?」
「うむ」
とうなずく魔女に、信長は「ならば、さもありなん」と息を突き、腰を落とした。重傷なのだ。
「物覚えの悪い人間に無理をさせるものではない。つぎはゆっくりと、ひとつづつ伝えることだ」
その言葉で、正道がぶっ倒れた理由に気づいたのだろう。
魔女はほっと溜息をつきながら、信長の治療を再開した。
「……傷口がふさがってゆく。不思議な力であるな」
「うむ。そのあたりの知識は、ぬしにも後で伝えようぞ」
そう言いながら、彼女の視線は信長が手に持つ刀に向けられている。
闇の中、魔女シスの杖が発する燐光を受け、ぎらと輝く刀は、あまりにも美しく、強い存在感を持っている。
「……すさまじい刀じゃな。美しく、強い。これほどのものは、妾の知識にもない」
「左文字の名刀……と、言うても分からぬか。わしの天運の象徴のごとき命刀よ」
桶狭間の合戦において今川義元が携えていた刀だ。
以後、信長のそばで、信長の天下取りをずっと見てきた。
「すばらしい。ぬしらを呼べたのは、望外の幸運かもしれぬ」
魔女は顔を輝かせた。
金髪紫瞳。異相の、だが絶世の美女。
使う言葉は間違いなく日本語だが、正道が使う言葉に近い。
その不思議に、信長はあらためて気づく。
「そういえば聞いておらぬな。なにゆえ我らをこの地に連れてきた」
「うむ」
信長の問いに、魔女は静かにうなずき、そして言った。
「この大陸を支配する帝国。その皇帝を……殺してほしいのじゃ」
その言葉の端から、戦乱の匂いを感じて。
「デアルカ」
織田信長。
この戦国乱世の天下人は、にぃ、と笑った。
◆
「……ここァ」
正道が目を覚ますと、朝になっていた。
あたりは深い森だ。昼なお暗いが、視界は十分通っている。
半身を起こして、左右を確認していると、木陰より織田信長が姿を現した。
「起きたか。山田の」
「織田のォ」
帷子は破れ、血だらけだが、ぴんしゃんとしている。
むしろ十五年も若返ったように気力に満ちた瞳をみて、正道はにぃ、と笑う。
「無事でよかったぜェ……ずいぶん楽しそうだなァ?」
「おうさ、山田の。楽しいともさ。なにせ五十近くなって、異なる世界で一からやり直しだ」
「……なるほど。そりゃあ楽しいなァ」
嬉しくなってきて、正道は笑う。
やることなすこと気に入らなくて、けんか別れしたころの信長の面影はない。
いま目の前に居るのは十五年前、桶狭間の戦い直前――正道と初めて出会った時の、織田信長そのものだ。
「大昔、唐にな、始皇帝という男がおった」
信長は言う。
「いくつもの国に分かれておった唐を統一した偉大なる皇帝よ。だが、その偉業は二代にして潰えた。たった二人の卑賎な輩の反乱を皮きりにしてな」
この大陸の状況は、その時の唐の状況と似ている、と信長は言う。
「盗れるぞ。丸ごと……盗ろうぞ、丸ごと。我ら二人が、この世界の陳勝、呉広となるのだ!」
「言ってることはわかんねェけどよォ」
正道は不敵に笑う。
「織田のォ。お前があんまり楽しそうだから……手伝ってやるぜェ」
「デアルカ」
信長が、楽しげに口の端を曲げる。
正道が、リーゼントをかき上げる。
「……もしかして、妾はとんでもない者を呼び寄せてしまったかもしれぬ」
すこし離れた場所で、魔女シスが頭を抱えているのはともかく。
「――さあ、異世界でも、ヒートに行くぜェ!」
「ああ! 往こうぞ! ともに!」
二人の天下取りは、ここから始まる。
合縁奇縁腐れ縁。
世界を越えて結ぶ縁。
片や乱世の天下人。万人恐怖の第六天魔。
片や戦国リーゼント。讃え称さる神剣の化身。
ともに並んで歩みを止めぬ。目指すは異世界天下取り。
※
魔女シス「つぎはもうちょっとおとなしい人を……ていっ!」
濃姫「(スッ ドヤァ」
魔女シス「あ、そういうのはいいです」
濃姫「(ショボーン」
リクエストから、現代人喚んだらリーゼントだった魔女さん。
おまけもつきました!