辻ノ瀬学園中等部3年4組 七瀬詩仁(4)
抵抗は、俺の意思とはまったく関係のないところで起こっていた。身体が勝手に生きようとする。首にかかる指を、力ずくでどうにかしようとしている。俺が望んだわけじゃなかった。俺が望んだのは、いなくなることだった。だったらこの状況は、好都合じゃないか。無理矢理身体を制御しようとすれば、その分だけ、何故か俺は足掻いてしまう。息が苦しくて、だんだん視界がブレてくる。指の腹で圧迫されて、喉に鈍い痛みが走り続ける。その指にどれだけ爪を立てても、俺を解放してはくれなかった。細い息しか、吐き出せなかった。吐き出すだけで吸うことはできなかった。以前に同じことが起こったときより明らかに強い憎悪が、俺の中に流れ込んでくる。視界に何人かの大人が映る。俺を殺すのをやめさせるのか。ほっとけ。もうほっといてくれ。俺は、そう言うことさえもできない。眩しい太陽が、目に痛い。弱々しい息がまた零れた。
「詩仁!」
幻聴。空耳か。嘉兄の声がした。俺の名前を呼ばれたような、そんな気がした。気のせいだ。俺はもう死んでしまうから、最後の最後に、神サマが優しい幻想を用意してくれたのだ。気道がどんどん狭まっていくのがわかる。実在するなら、神サマ、俺は地獄に突き落としてくれ。俺は今まで嘉兄といられて幸せだったから、死んだ後は不幸せでいい。どっちみち俺は、嘉兄のいない世界で幸せになんてなれるはずもないのだ。嘉兄に阻まれた俺の世界は、疾うに崩壊している。自分でわかっていたことだった。
「詩仁! 詩仁!」
幻聴が続いている。飽くまで嘉兄の声が、俺を呼ぶ。なんでだ。俺が本当に俺の意識で、死にたくない、と願ってしまう。一思いに死なせて欲しかった。頼りない吐息が漏れる。嫌だ。やめろ。なにに対してそう思った。泡が弾けるように発生したその疑問で、俺は、現実世界に引き戻された。
首から、ふたつの手が消えた。俺は上体を跳ね起こし、首を押さえて噎せる。誰かが俺の背中を懸命に摩っていた。咳を繰り返しながら、背中を摩ってくれている手が誰のものなのかを朦朧としながら考えた。答えは、すぐに出てきた。その手の感覚を、俺は、よく知っていた。小さい頃から、俺の頭を撫でてくれた手だった。俺が悪いことをすれば叩いて、その後に、ちゃんと撫でてくれる優しい手だった。なんでだ。膨大な疑問符が頭を巡る。なんと表現していいのかわからない、溢れ出す感情が俺の視界を潤ませる。俺はまだ、激しく咳き込んでいる。
嘉兄は、俺の背中を摩りながら、俺の名前を何度も呼ぶ。その声に、次第にしゃっくりじみたものが混ざっていく。
「辛かったよな。怖かったよな。痛かったよな。お前には、俺しかいないことはわかってたのに」
俺の咳が、一度止まった。嘉兄が泣いてる。驚いて、俺は嘉兄の顔を見た。俺がなにかを思う前に、嘉兄は、俺を背中から抱きすくめた。相当走ったのか、嘉兄の身体は熱く、息もほとんど掠れていた。
「ごめん。本当にごめん。悪い兄貴でごめんな。俺、謝るから。何度でも謝るから」
ぎゅっ、と嘉兄は一層強く俺を抱きしめた。片手は俺の背中に、もう片方の手は、俺の頭に当てて、自分の胸へと引き寄せてくれる。嘉兄が、何度も鼻を啜る。
「嘉兄、俺のこと嫌いなのに」
「ごめん」
「好きで兄貴やってるわけじゃないんだろ」
「ごめん」
「嘉兄の下に生まれてきたこと、反省してるよ。また次に生まれてくるときは、嘉兄には全然関係ないところで」
「お願いだから、そんな言い方しないでくれ!」
声を潰すように、嘉兄は語調を強めた。びっくりする俺を、嘉兄は、もっと強く抱き寄せて言う。
「俺が悪かったんだ。俺が、悪い兄貴だっただけなんだ。詩仁が悪いんじゃない」
やばい。泣くかも。声が震えてしまうのを必死に堪えながら、俺は答える。
「嘉兄が悪い兄貴だったことなんて、一度だってない」
「酷いこと言ってごめん。詩仁、ごめんな。俺、もっとしっかりして、強くなるから」
我慢するのも限界だった。嘉兄が泣くからだ。止め処なく、涙が俺の目から零れ落ちる。俺は瞳を閉じて、嘉兄に身を寄せた。今はこうしてもいいんだ。そうわかると、もっと涙腺が緩んでくる。
「なんなんだよ、それ」
トーンの高い、不機嫌そうな声が響いた。俺は、嘉兄から少し身体を離してそっちを見た。引き戻すように、嘉兄が俺を胸に押しつけた。嘉兄は赤く泣き腫らした目で、睨むような悩むような、上手く言い表せない顔をして声の主を見ていた。俺も再度、そっちに視線を戻した。このタイミングで、大宝寺は、何故か酷く息を切らしていた。
尋常ではないくらいに肩を上下させながら、俯いて、大宝寺は言う。
「なんでそうなった。意味わかんねえよ。七瀬、言ってたじゃないか。弟を殺せるって」
俺を、殺せる。率直な一言が、俺の耳の奥を貫通した。身体が震える。嘉兄の手が、そんな俺の身体を引き寄せてくれる。嘉兄の今の本心。俺も、嘉兄の手にしがみついた。
「そいつがいるせいで、なにもかも狂ったんだ。そうだろ、七瀬。弟がいなきゃ、お前は楽になれるんだろ。そんなふうに、自分で認めてたくせに」
嘉兄は、なにも言わなかった。それでも大宝寺は、一方的に喋っていた。
「殺してやろうと思ったのに。俺は、恩人じゃないのかよ。目障りな奴を消してやるんだから、俺はお前の、恩人になれると思って」
突然大宝寺は、言葉を区切る。大宝寺の息が上がるスピードが、急に遅くなった。下を向いて、両手で耳を塞いで、いきなり大宝寺は、声にならない呻き声を絞り出した。目の前で起こっていることが本当とは思えなくて、俺は、息を呑むことすらもできなかった。
小さく名前を呼ぶ声が、俺の耳を刺激した。泰雅。その声は、驚愕したような響きを持って、そう言っていた。このとき俺は、嘉兄がひとりでここに駆けつけたわけではなく、もうひとり、嘉兄と同じ制服の誰かも来ていたことに気が付いた。よく目を凝らせば、景兄も嘉兄の傍にいた。どういうわけか、景兄は、手にスニーカーを一足携えている。思いついて確認してみると、嘉兄は、靴下しか履いていなかった。
「ああもう、煩い。煩い、煩い、煩い!」
大宝寺が、首を激しく横に振る。はち切れるようなその高い声が、痛いくらいに空気を伝う。煩い、って、今ここで、大宝寺以外には誰も喋っていないのに。大宝寺の様子は、誰がどう見ても普通ではなかった。
「理解できない。理解できない。今の俺には、全然、理解できない」
今度は臆病に震える声で、大宝寺は繰り返す。
「理解できない。理解できない。俺には理解できない、理解できない!」
「おい泰雅、落ち着け!」
嘉兄と同じ制服を着たその人が、声を張って大宝寺に駆け寄った。駆け寄ろうとした。俺には理解なんてできない、大宝寺はそう叫んで、2歩、3歩と後ろにさがる。さがったところで、大宝寺は、口を両手で覆って微かに身を屈めた。大宝寺の両腕は、明らかに血色不良だった。そのくせに、左手の真っ白な包帯に滲む赤色だけは、変に映えていた。まだ真新しいその色が、怖いと感じる俺の心を、少しだけ煽っている。
大宝寺が吐いたのは、突然だった。大宝寺の両手の指の隙間を、薄く色づいたその液体が伝って落ちていく。同時に、鼻をつくあの独特の臭いが、辺りに漂い始めた。嘉兄と同じ制服を着た人が、驚愕して、足を止めた。
膝を折って、大宝寺は嘔吐を続けていた。両手を地面について、立て続けに、大宝寺は胃液を吐き出す。出てくるのは、本当に胃液ばかりだった。固形物はなにひとつない、水分ばかりがそこに広がっていた。俺も嘉兄も景兄も、嘉兄と同じ制服の人も、公園に集まっている野次馬も、なにも言わなかった。俺は呆然として、四つん這いになって戻し続ける大宝寺を見つめているだけだった。
火がついたように、嘉兄と同じ制服の人が走った。肩に提げた通学鞄からタオルを取り出すと、その人は、吐瀉物まみれの大宝寺の口の周りを拭き取った。大宝寺は、すぐにまた吐いた。吐いたものが、その人の手にもかかっていた。大宝寺の嘔吐は、一向に治まる気配がなかった。間を置いては少し吐き出し、間を置いては少し吐き出しを繰り返す大宝寺のリズムは、俺には、永遠に続くようにさえも思えた。
しんと静まった空気の中で、どこかの誰かが、汚い、と呟いた。俺と年端近そうな、女の子の声だった。一瞬、大宝寺の口元にタオルを当てていたその人の背中が、小さく揺れた。大宝寺は、まだ辛そうに息を切らしていた。
「ふざけんなよ、誰か早く救急車呼べよ!」
人だかりを振り返り、その人は、声を掠れさせて怒鳴った。集まった人々がざわつき、空気が淀む。そうだ、救急車だ。救急車を呼ばないと。咄嗟に俺は、自分のズボンのポケットを探る。携帯電話は入っていなかった。携帯電話なんて、目もくれずに家を飛び出してきたことをすぐに思い出した。どうしようかと、俺は、嘉兄の腕の中から視線を動かす。そこで、今に限っては場違いもいいところの、無表情の三橋と目が合った。三橋は、顔に似合わず愛くるしいクマのマスコットがぶら下がった携帯電話を、しっかりと左手に握っていた。
「もう呼んだよ。たぶん、すぐに来てくれると思う」
嘉兄と同じ制服の人の動きが静止した。望ましいこととは言え、この状況で、飽くまで冷静な態度を保つ三橋に驚いているようだった。嘉兄と同じ制服の人は、三橋に目を向けて、少しだけ頬を弛緩させた。
「小さいのに、そこらの大人より肝が据わってるな。ありがとう」
「僕になにかできることはある?」
「俺のはもう使えないから、タオルが欲しい。いくら救急車が来るっていっても、口の周りは拭いてやらないと」
わかった、とだけ言うと、三橋は、野次馬のほうに身体を向けた。人混みのところどころから、はっと息を呑む気配があった。端正な作りもののような顔をした三橋としては、慣れた反応なのだと思う。誰にというわけでもなく、三橋は人々に手を伸ばした。せびる気だ。そうするしかないとしても、三橋は単純だった。
大宝寺の息切れが、突然激しくなった。大宝寺は、苦しそうな呼吸に紛れて、なにか言っているようだった。制服の人もそのことに気が付いたらしく、大宝寺の背中を摩って説得している。今はなにも言わなくていい、すぐに病院で診てもらえるからと、その人は、頻りにそう言っていた。それでも大宝寺は、掠れ掠れになりながらも、喋ることをやめなかった。大宝寺は、同じ言葉を言い続けているようだった。大宝寺が発しているのは、たった三文字の単語だった。それだけの短い言葉を、大宝寺は、涙が混ざった声で訴え続けていた。
「ごめん」
俺がそれを聞き取った直後、大宝寺は再び酷く嘔吐した。今までに相当の量を戻したのに、まだ出てくるものがある。だんだん怖くなってきた。本当に大宝寺は、身体中の水分をすべて消費して、死ぬまで吐き続けるのではないかと思った。三橋が持ってきたタオルも、すぐに汚れてダメになっていった。大宝寺の青白い両腕には、季節はずれの鳥肌がおぞましいほど浮かんでいた。
「ごめん。ごめん。本当にごめん。ごめん」
「おい泰雅、もういいから喋るな」
「俺、もう、なにするかわかんなくて」
俺は確かに、大宝寺に2回殺されそうになった。2回だ。それは、とても大きな数字だと思う。でも、大宝寺は、ここまでの仕打ちを受ける必要があるのだろうか。被害者である俺自身がそう思ってしまうほど、大宝寺は、凄まじく苦しそうだった。俺が本当に死んでいたならまだしも、大宝寺は、実際には人を殺していない。大宝寺は、殺人者にはなっていない。今の大宝寺には殺人を図った罰が下っていると考えても、あまりにも酷いんじゃないか。そうは思っても、俺には、目の前の壮絶すぎる光景を変えることなんてできなかった。
「頭がおかしくなったんだ。俺、もう、ダメなんだよ」
「泰雅!」
「ああ、わかってる。俺の妄想。だって俺にしか、この声は聞こえてない」
嘉兄の口が、微かに動いた。「やっぱりそうなんだ」。嘉兄は、小さな声でそう言った。それきり嘉兄は口を噤むと、悔しそうに目を伏せた。俺にはわけがわからなかったけれど、嘉兄が、俺を抱きしめる腕に更に力を込めたのがわかった。俺はずっと、嘉兄の胸に頭をつけたままだった。
大宝寺が少しだけ顔を上げた。顔色の悪さは、どう考えても異様だった。救急車、早く来ればいいのに。通報したという三橋を見た。三橋は気付かないふりをしているのか、一切俺を見なかった。いつも通りの無表情で、三橋は大宝寺を見つめていた。
「立川、景」
掠れた声で、大宝寺は口に出した。嘉兄の靴を持ったままの景兄が、俺の横で、びくりと肩を上げた。肝の据わった景兄も、さすがにこの状況で自分に名前が、しかも大宝寺の口から出てくるとは思っていなかったようだった。
景兄の名前が登場したことで、周囲の空気が少し変わった。野次馬はみんな、首を絞めている大宝寺と、首を絞められている俺のことで、頭がいっぱいだったのだ。だから、芸能人の立川景がこの場にいたことにも、大抵の人間が気付かなかった。景兄自身、芸能人であるという自分の肩書きを忘却して、呆然と事態を見つめていたようだった。靴を手に持って焦る不思議な景兄の像を、俺もまた、ぼんやりと見つめていた。
大宝寺の双眸が景兄を見つめて、一瞬、とてつもなく潤んだ。そんなふうに、俺には見えた。やっぱりこの人は、こんなに苦しむ必要はないんじゃないか。無意識のうちに、俺はさっきと同じことを考えた。
「羨ましいけど」
大宝寺は、再度俯く。ひとまず嘔吐は落ち着いたようだけれど、呼吸は相変わらず激しかった。救急車、早く来い。俺は必死にそう念じた。なにかよくないことが、大宝寺の体内で起こっていることだけは確実だった
「七瀬の友達が羨ましいけど、俺には、もう無理だよな」
嘉兄は答えなかった。大宝寺は、嘉兄と同じ制服の人には、見向きもしなかった。急に俺は、砂漠にひとり取り残されてしまったような気持ちになった。下の名前で呼ばれているにも関わらず、大宝寺は、嘉兄と同じ制服の人を友達だと認識していない。その事実を急激に思い知らされたような気がした。
泰雅、と制服の人が言った。薇が切れかけたブリキのような動きで、大宝寺は、ゆっくりとそっちを向いた。そして、制服の人の手にべっとりとかかっている、それに小さく反応した。制服の人は、なんと声をかけたらいいのかわからないのか、三橋が持ってきた新しいタオルを手に持ったまま動かなかった。
「ごめん」
再度、大宝寺はそう口にした。「上野も、本当にごめん」
大宝寺は、足を縺れさせそうになりながら立ち上がった。立ちあがったまではいいものの、大宝寺の足には芯が入っておらず、ほとんど直立できていなかった。吐き気もぶり返してきたのか、落ち着いていた大宝寺の息が上がり始めてきた。目も虚ろで、今現在、大宝寺がどこに照準を合わせてなにを見ているのかも謎だった。
鈍い呻き声を、大宝寺は漏らす。一体なにがどうなっているのか、俺には、さっぱりわからなかった。
「俺が助けなかったから」
はっとして、俺は嘉兄の顔を見た。嘉兄は下を向いたままで、俺を見ようとはしなかった。
「大宝寺はずっと、大宝寺にしか認識できないなにかに蝕まれてた。それが変なことだって自分で気付いてたから、俺に助けを求めてたのに」
「あの人、日本で一番強い高校生なんだろ」
「物理的な話だ。精神的な話じゃない」
「嘉兄のせいじゃない。嘉兄は悪くない」
嘉兄の胸に触れて、俺は、唇を結ぶ。嘉兄は悪くない。俺は口の中で再度そう繰り返し、もう一度、口を開いた。
「あの人もきっと、悪い人じゃないんだ」
大宝寺は、ただ、ずっと辛いところで我慢している嘉兄を、助けたかっただけなんだと思う。嘉兄にとって、弟の俺は完全なるお荷物で邪魔な存在だと、以前から大宝寺は知っていたのだ。だから、犯罪者になってしまうことも厭わず、俺を殺そうとしていた。殺人は確かに悪いことだけど、裏を返せば、大宝寺は、それだけ嘉兄のことを慕っていたということでもある。嘉兄のことを思ってくれる人間がいるのは、俺にとっては、願ってもなく幸せなことだった。大宝寺は、友人として嘉兄のことが大切なだけだった。人の命を奪おうとはしていたけれど、同時に、そうすることで嘉兄を救い出そうともしていた。そこまで想像できる。大宝寺が悪い奴だなんて、俺には到底考えられなかった。
悪い奴がいるとするなら、それは間違いなく俺だ。今までずっと、なにもかも嘉兄に頼ってばかりだった俺だ。金髪に染めた意味も、ピアスの穴を開けた意味も、結局なかった。俺がすべての原因を作った。その意味では、大宝寺の主張は正しかった。そうとするなら、俺は果たして、こうして嘉兄の温もりに甘えていてもいいのだろうか。
ふと疑問に思ってしまうと、もうどうにもできなかった。きつく抱いた嘉兄の腕の中で、俺は、そうっと身体を引き剥がそうと動いてみる。大宝寺に変化があったのは、そのときだった。
「泰雅!」
制服の人の焦った声が響く。よく通る声だ。俺は、呑気にそんなことを考えていた。嘉兄は、終始、無言だった。小さく息を吸い込んで、嘉兄は、大きく目を見開いた。俺が呆けて嘉兄を見つめているうちに、俺の背中側では、なにかが倒れるような音がしていた。振り返ってみると、視界に大宝寺が飛び込んできた。うつ伏せになって、自分が吐き出した大量の胃液を覆うようにして、大宝寺は地面に横たわっていた。
「泰雅! おい泰雅、しっかりしろ!」
制服の人が、大宝寺の肩を両手で必死に揺さぶる。大宝寺の反応はまったくなかった。見れば見るほど、大宝寺の顔は真っ青だった。映画やドラマでも見たことがないその青白さに、俺は無意識に生唾を飲み込む。
もしかして、死んだんじゃないのか。頭の片隅を不謹慎な問いが漂う。制服の人がいくら呼びかけても、肌を叩いても、指先ひとつ動かさない大宝寺は、実際俺には、死んでいるように見えた。死んでいるようにしか見えなかった。
救急車のサイレンが、人垣を抜けて響いてきた。三橋の通報の成果が、ようやく形を成したようだ。俺が三橋に目をやると、三橋は、相変わらず面白味のない表情をして突っ立っていた。どこまでも人形みたいな奴だった。
遅ぇんだよ、このバカ。停車した救急車のほうを向いて、制服の人が吐き捨てる。大宝寺のこの友達は、大宝寺に対して一方通行だった。それなのに、この人はここまで必死になれる。まるでがむしゃらに弟を護ろうとする兄貴のようで、俺の目には、制服の人が少し嘉兄と被って映った。