辻ノ瀬学園中等部3年4組 七瀬詩仁
賞に送って落選したやつ。1回投稿しちゃってるし、ってことはもうどこにも送れないから、ネットの海で流すことにしました。次々起こる事件をテンポよく解決、様々なイベントに全力投球な青春物語、とかそんなのではなく、どっちかというと病んでる心理描写メインの仕立て。趣向が合ってたり、ちょびっと気が向いたり、その他物好きだったりする方へ。暇つぶしくらいにはなれればいいな、と思います。
「おいおい、本当にいいのか?」
恭兄ちゃんは不安げなトーンで訊いてくる。恭兄ちゃんの戸惑ったような声を聞くのは好きじゃないけど、それでも俺の決意は固かった。堂々とはっきりと、きっぱりと俺は頷いた。
でも、と鏡に映った恭兄ちゃんは言い淀む。誰かに助けを求めているような、でも誰も助けには来ないことはわかっているような、ちょっとびびった表情だった。明るい茶色の髪の毛をお洒落っぽくセットした恭兄ちゃんとは対照的に、俺の髪の毛は真っ黒だ。大好きなV系バンド風に整えるために多少の長さは揃っているけれど、この髪とも今日でおさらばする。鏡の中の俺の瞳には、自分が見てもそうだと自覚できるくらい、毅然とした決意が宿っていた。
それでも恭兄ちゃんは滅茶苦茶不安らしく、毛染め用の液体が入った容器と櫛を持ったまま硬直していた。見かけはチャラそうなのに、ちょっと度胸なしなのが俺の従兄弟の恭兄ちゃんの欠点だ。早く決行してしまわないと、嘉兄が学校から帰ってくる。そうしたら、絶対にこの決意は無駄になる。嘉兄には逆らえない。嘉兄にこの現場を目撃されたら恭兄ちゃんはまず容器をひっくり返すだろうし、俺はとりあえず言い分の主張だけはするけれど、それ以上の結果にはならないだろう。つまり、髪の黒色は維持されてしまう。そんな展開になったら、嘉兄に内緒で学校をさぼった意味がない。俺は、鏡に映った恭兄ちゃんをしっかりと見据えた。
「早くやってくれ」
「でも、詩仁。金髪だぞ。さすがにやばいって。中3になったばっかりだし、それに名門辻ノ瀬の生徒なんだ。学校がなんて言うかわからないし嘉仁だって」
「早くやって」
恭兄ちゃんの言葉を遮る。腕を伸ばして、手に持った鏡との距離を取った。黒髪の俺の、最後の見納めだ。思いっきり怯んだ表情の恭兄ちゃんが映っているけど、そこは気にしない。これは俺にとっての決別の儀式なのだ。髪の色を変えることで、今までの自分と決別する。今のまま辿り着くこれからの自分とも決別する。俺は俺だ。俺は嘉兄の弟であり続ける。そのために必要な俺なりの儀礼。それがこの毛染めだった。だから早く実行して欲しいのに、恭兄ちゃんはびびりだ。10歳も年上のくせに、俺の方が随分肝が据わっている。
びびりの恭兄ちゃんも、ようやく心の準備を決め込んだらしい。恭兄ちゃんは、毛染め容器を握る左手に力を込めた。意を決したように容器の蓋を取る。すぽっと気が抜けた音がした。
「本当にいいんだな」
「くどい」
「了解」
恭兄ちゃんは、俺の肩にかかったタオルをきちんと配置し直し、液の入った容器を頭の上で傾けた。髪の毛の上に、ひんやりと冷たい感触が広がった。俺はじっと鏡を見つめた。さらばだ、黒髪の俺。今までの俺。恭兄ちゃんの表情が、びびりながらも真剣なそれに変わっている。さすが美容師。こういうときの恭兄ちゃんは男前だ。俺も大人になったら、年下の子供に男前だと思われるようになりたい。そのためにも、この毛染めの儀式は必須だった。周囲は俺の変わり果てた髪の色を見て驚愕するだろうし、呆れもするだろうし、怒鳴りもすると思う。でも、そいつらには理解できなくても、俺には必要な行為なのだ。俺が必要だと感じることを、なにも知らない石頭の利害一色の大人なんかに否定させない。したとしても、それは無意味だ。俺の行動に意味があるかないかは俺が決めるし、俺の行為に意味を与えるのも俺自身だ。恭兄ちゃんにも質問攻めにされたけど、結局は納得して手を貸してくれた。俺が嘉兄の手を借りずに気兼ねなく頼れる相手と言えば、恭兄ちゃんだけだった。
恭兄ちゃんは手際よく俺の髪に液を染み込ませていく。俺は黙ってその様子を観察していた。
嘉兄はびっくりするだろうな。他人事のように俺は考えていた。恭兄ちゃんが言う通り、嘉兄は、俺の頭を見て衝撃を受けるに違いない。そこは謝ろうと思う。でも、俺なりの決意の形を、嘉兄はきっと汲んでくれる。嘉兄はその辺にいるありきたりな人間たちとは違う。俺の自慢の兄貴だ。だから嘉兄、これが最後だ。俺の最後の精神的我侭だ。結局付き合わせてしまうけれど、そこも謝るしかないけれど、俺は嘉兄の弟だ。嘉兄は俺の兄貴だ。それくらいの融通、利かせてもいいよな。そっと目を閉じた。恭兄ちゃんが髪を梳かす感覚は、自分が変わっていくことの具現の感覚のようで、なんだか心地よかった。
俺は変わる。この儀式の意味を、もう一度心に刻み込んだ。目蓋の裏で兄が微笑んだ。「お前は変われる」。嘉兄の優しい声が、頭の上から降ってきたような気がした。
書きたいように書いてます。いろんな意味で。誤字とかあれば、こっそり教えてください。